15年の冤罪で何度も危篤 遼寧省の劉梅さんに再度懲役
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 【明慧日本2023年1月12日】遼寧省東港市の法輪功学習者・劉梅さん(56)は、法輪功の修煉を堅持したとして2年の労働教養と13年の実刑判決を受けたことがある。劉さんは長年拘禁されて、心臓病、肺結核、小脳萎縮症などの病気になり、何度も命の危険に晒されていた。2021年11月、劉さんは再度不当に連行され、2022年12月13日、丹東振安区裁判所に懲役2年の実刑判決、罰金3千元(約6万円)を科された。

 2021年11月7日午前、劉さんは市場へ行く道中、偶然に出会ったもう1人の法輪功学習者・張麗さん(以下、学習者)と同行して市場へ行った。家に戻る時、警官らに呼び止められてバッグを検査された後、向陽派出所に連れて行かれた。派出所で劉さんは尋問され、鉄の椅子に座らせされるという拷問を受けた後、15日間身柄を拘束された。

 15日後、警官らは劉さんを留置場に送ろうとしたが、身体検査の結果が基準に満たないとして、留置場に受け入れを拒否された。そこで、于本という警官が留置場に駆けつけて、4時間の交渉をして劉さんを留置場に入れた。

 同年11月30日、警官らは劉さんを起訴した。1週間後の12月7日、劉さんに逮捕状が発布された。しかし、身体検査の結果で引き続きの拘禁が不適切だったため、12月17日、劉さんは留置場から解放されて帰宅し「住宅監視」となった。

 2022年、于本警官は何度も劉さんを探して「起訴を撤回するため」という嘘を言って劉さんにサインを求めた。10月11日、警官・于本と周興宇の2人は、また劉さんに「起訴を撤回するため、検察庁に行こう」と嘘を言って劉さんを騙した。劉さんは案件撤回の申請書を持って検察庁に行ったところ、自分が警官らに騙されたことがやっと分かった。しかも、劉さんと共に市場へ行った張麗さんが劉さん有罪の証人として警官らに利用された。つまり、警官らは任意に劉さんの友人を証人にしたことである。警官の恥知らず、手段を選ばない犯罪行為がこれで分かった。

 2022年12月13日、丹東振安区裁判所で裁判が行われた。当事者が依頼した弁護士は無罪の弁護をした。弁護士も劉さんも中国共産党国務院第50号令の文書を裁判官に提出した。弁護士はまた最高検察庁と最高裁判所が2022年に挙げた邪教の中で、法輪功はないという書類を裁判官に提出した。

 張麗さんも出廷し、自分が劉さんを罪に陥れる証人になることを認めないと態度を表明した。自分が尋問されていた際、何を言ったか監視カメラの撮影を調べたら分かるのではないかと提案したら、検察官は「当日停電のため、音声も録画もできなかった」と答えた。

 12月29日、劉さんは懲役2年の実刑判決、罰金3千元(約5万8000円)という裁判の結果を宣告された。

 劉さんは1995年に法輪功を学び始め、1999年7.20以降のある日、北京へ陳情しに行ったとして連行され、何人かの警官に地面に押さえつけられて三角帯と竹の皮で殴られて人事不省になった。あの時、劉さんはただ自分がふわふわと空中を漂っていただけで、目的もなく前に漂っていたと覚えている。その後、誰かが自分の名前を呼んでいるのが遠くから聞こえ、劉さんはその声に則って戻ってきた。気がつくと、尻、腰、太腿は黒くて厚い大きな鍋底のように腫れあがり、少し動かしても激痛でたまらなかった。

 2002年、劉さんは夫と同時に不当に連行され、2人は共に懲役13年の実刑判決を言い渡された。劉さんは遼寧女子刑務所に拘禁されていた。2007年、ずっと迫害を受けていた劉さんは高血圧、心臓病に罹り、身体が極めて虚弱しており、少し小指を動かすことも、瞬きをする力さえもなかった。肺結核で毎日吐血し、内分泌障害を起こし、腹が腫れあがって胸より高くなり、便膿、血便、小脳萎縮などでトイレに行く時に人の支えが必要だった。足の甲が腐って靴下が膿の血にくっついており、大腿も小腿も酷く腫れあがり、夜も昼も、頭がガチャガチャと音を立てていた。

 2015年に劉梅さんが刑期を終え田舎に帰った時、家も畑もなく、親族の部屋を借りて住んでいた。帰って間もなく、体がまだ完全に回復していないうちに、姑が病気で入院した。劉さんと夫は自ら姑を看護し、24時間付き添い、約1カ月後、姑が退院した。ある年、姑は1カ月ほど寝たきりで、劉さんは毎日大便や小便の面倒を見、寝返りや体を拭くなど全部手伝っていた。隣人、親戚、友人はみな「劉梅さんのような良い人は稀だ!」と称賛した。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/1/6/454570.html)
 
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