【明慧日本2023年1月16日】湖南省婁底(ろうてい)冷水江市の法輪功学習者・劉而礼さんは、中国共産党当局により計18回連行された。そして8回拘留され、労働教養を4回強いられた。73歳の時には懲役3年6カ月の実刑判決を下され、今月2日に冤罪のままで死亡した。享年81歳。
法輪功は法輪大法とも呼ばれ、心身を健康にする伝統的な修煉法である。しかし中国共産党は1999年7月以来、この修煉法を迫害している。
劉さんが亡くなる1カ月少し前、当局の役人ら10数人が劉さんの家に押し入り、劉さんを連行しようとした。しかし劉さんは起き上がるのが困難な状況であり、断念した。
劉さんは、かつて湖南省冷水江鋼鉄会社で作業中に負傷して左手の指3本が折れたとの労災で定年退職した元職員。1998年までに劉さんは重病に罹り、なかなか治らなかった。
1998年8月、劉さんが法輪功を試してみると、なんと1週間で健康を取り戻した。真っ白になった髪の毛も黒くなりはじめ、身体が若返った。
しかし、1999年7.20以降、劉さんの生活はもはや安泰でなくなり、長年にわたって家族とともに中国共産党から精神的、肉体的、経済的な迫害を受けた。劉さんは以下の通り、18回にわたって連行された。
1回目:2000年7月、波月洞公園で煉功していた際、現地の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官らに連行され、15日間拘留された。
2回目:2000年8月、家に押し入ってきた国保の警官らに連行され、10日間拘留された後、住宅監視になった。
3回目:2002年8月、家から直接留置場まで連行されて4カ月拘禁された。
4回目:2003年6月、自宅から冷水江派出所まで連行されて3日間身柄拘束された。610弁公室の伍姓副主任に平手打ちされた。
5回目:2004年4月、冷水江市五一広場で煉功していた際、現地の国保の警官により連行され、家宅捜索を受け、留置場で15日間拘留された後、1年の労働教養を強いられた。労働教養所で殴られたり、スタンガンで電気ショックを受けたりした。
拷問のイメージ図: スタンガンでの電気ショック |
6回目:2009年12月、屋外で法輪功迫害の実態が書かれた資料を配布したとして連行され、15日間拘留された後1年の労働教養を強いられたが、労働教養所から受け入れを拒否されたため帰宅した。
7回目:2010年1月、屋外で法輪功迫害の実態が書かれた資料を配布したとして再度連行され、15日間拘留された後1年の労働教養を強いられた。しかし健康原因で同年6月に解放された。
8回目:2010年7月、当局により家宅捜索を受け、国保まで連行されて1日拘束された。
9回目:2011年3月中旬、家から連行されて国保で1日過ごした。
10回目:2011年3月26日、屋外で法輪功迫害の事態が記されたDVDを配布したとして現地の警官らに不当に連行され、家宅捜索を受け、15日間拘留された後1年6カ月の労働教養を強いられたが、健康状態が原因で受け入れを拒否された。
11回目:2011年4月18日、自宅に押し入ってきた610弁公室の役人らに勤務先の警備課に連行され、そこで1日間行動を制限された。翌日洗脳施設に送られそうになったが、劉さんは逃げた。警官らは劉さんの息子の店舗で1週間待ち伏せた。また、劉さんの長男を連れてあちらこちらの全ての親戚を一通り回り、劉さんを探していた。長男は「行かない」と言ったが、警官らは「行かないと会社を解雇する」と脅した。
12回目:2012年2月16日、屋外で神韻公演のDVDを配布していた際、現地派出所の警官らに連行され、家宅捜索を受けた。当日午後6時ごろ、劉さんは帰宅した。
13回目:2012年3月6日、屋外で路線バスを待っていた際、通りかかった国保大隊長に見つかり、連行された。100枚以上の神韻DVDが警官らに没収された。身体の原因で当日解放された。
14回目:2012年8月、自宅に押し入ってきた当局10数人の警官らに検察庁まで連行された。しかしその日のうちに劉さんは帰宅できた。
15回目:2013年に5回の連行。
16回目:2014年1月、再度検察庁まで連行され、召喚状と起訴状にサインを強要された。その後帰宅した。
17回目:2015年1月12日、孫を学校に送っていた途中、現地の国保の警官らに連行された。身体検査で拘禁に不適格となり、数時間後帰宅できた。
18回目:2015年1月22日、また孫を学校に送っていた途中、現地の国保の警官らに連行され、留置場に送られた。冷水江裁判所に秘密裏に懲役3年6カ月の実刑判決を下された。家族は事情を知らず、控訴も禁止された。同年4月8日、劉さんは湖南省網嶺刑務所に収監された。
劉さんは刑務所で拷問された。当局の役人らは皆「今回は生きていて出所できるわけがないだろう」と思っていたが、劉さんは頑張って生きたまま出所できた。
2018年7月21日、劉さんは出所して帰宅した。しかし、健康状態がずっと回復せず、さらに年金発給も停止され、常に当局の役人から嫌がらせを受け、監視され心身ともにダメージを受け、2023年1月2日にこの世を去った。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)