法輪功を学んで3日で不治の病が消えた秦静さん 迫害され死亡(二)
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 【明慧日本2023年1月26日】(前文に続く)

 二、法輪功の真実を伝え 労働教養処分を受ける

 江沢民が引き起こした法輪功への残酷な迫害が20年以上続く中、秦さんは連行、拘禁、労働教養処分、拷問などを受けた。以下、秦さんが受けた迫害事実を自ら述べたものである。

 2010年10月1日、私は北京で「法輪大法は素晴らしい」と書かれた紙を貼っていたところ、北京高碑店派出所の副所長・趙永生と警官・劉志偉に連行された後、北京朝陽留置場に1カ月以上拘束されました。その後、北京新安労働教養所に送られ、2年間拘禁されました。

 朝陽留置場に移され、私が部屋に入った途端、部屋のリーダー役は、「法輪功の人がまた来たぞ。また、やらなければならない仕事がある」と言っていました。つまり、私を殴る仕事ということです。そこで、私は彼らに法輪功の素晴らしさを伝えました。そのリーダーは法輪功のことを理解し、「法輪功はそういうものなのか、今まで知らなかった! ここに来た法輪功の人が、俺らに殴られていた。警官に指図されたからだ」と言いました。今回、彼は法輪功の素晴らしさを知り、私を殴りませんでした。

 留置場で1カ月以上拘留された後、私は北京新安労働教養所に送られました。教養所に送られた法輪功学習者(以下、学習者)は、「転向」を強要され、信仰を捨てることを強制されました。私は信仰を放棄しなかったので、他の学習者2人とともにある部屋に閉じ込められ、激しい体罰を受けました。「転向」しない学習者は最初に、3人を一組にして一つの部屋に閉じ込められ、「転向」を強要されます。それでも、屈しなかった学習者は独房に閉じ込められ、さらに迫害を加えられます。

 留置場の警官の話によると、どうしても「転向」しない学習者には、東北のある場所に送り込んで集中して拘禁するというのです。私はその後、明慧ネットで学習者による暴露した迫害の真実の文章を読んで、その東北のある場所は、おそらく学習者の生体臓器摘出のために拘禁するところだと思いました。私と一緒に拘禁されていた劉春さんという学習者がいましたが、その後、独房に移されました。ある日突然、劉春さんの悲鳴が聞こえてきました。しかしその後、劉春さんには二度と会えませんでした。それからしばらくして、私は偶然、私が拘禁されている部屋の班長と警官の会話を耳にしました。警官は「劉春がどんな状態で死んだのか知っている」と話していたのです。それで、劉春さんが迫害で死んでしまったことを知りました。

 私は独房で2カ月以上暴力的に「転向」を強要されました。その間、毎日2人の「包夾」(労働教養所の受刑者で学習者への監視、迫害を任され、教養所から学習者を迫害することにより減刑や関連利益を与えられる)によって監視されました。これらの「包夾」は学習者への迫害を加える道具として利用されています。利益の誘惑の下で、彼らは学習者を狂ったように迫害し、学習者に我慢の限界まで、あらゆる悪辣な手段で苦痛を与え、死に至るまで拷問し、法輪功への信仰を諦めさせました。彼らは、詐欺師や麻薬中毒者、ならず者など社会のクズばかりですが、警官に命令され、真・善・忍に従って善良である学習者に対して、侮辱や罵り、殴るなど残酷な迫害に加担しました。

酷刑演示:罚坐小凳子

拷問の再現:掌大の椅子に座らされる

 私が最も苦しめられたのは、幼稚園で子供が座るような小さな椅子に座らされる拷問です。毎日、朝の5時から夜の11時まで、高さが地面から20センチほどしかない椅子に、背筋を伸ばし、首を伸ばし、頭を上げ、胸を張り、手を膝に置いている姿勢で座らされました。しかも、少しでも動いたら叱られたり、厳しい罰を受けたりしました。この椅子に長時間座っていると、なんともいえない苦痛を感じました。その結果、お尻の筋肉が腐ってしまいました。私は法輪功を学んでから治っていた痔も、この拷問のせいで再発したのです。

 また、長期間トイレに行かせてくれない拷問も、非常に苦しめられたのです。この拷問は肉体的だけでなく、屈辱を感じさせられたものです。「転向」を行われる期間中、トイレに行くのは1日に1、2回しか許されず、毎回トイレに行く前に「包夾」に何度も請求しなければなりませんでした。学習者を苦しめるために、「包夾」は請求されても決してすぐに行かせず、我慢させるのです。請求し続けた学習者に「包夾」はまず、警官に聞きに行って、同意を得て、やっと行かせますが、トイレに入ると、1、2分も経ったないうちに、出るように催促するのです。ですから、トイレに行く回数を減らすために、私は食事はできるだけ控え、水も基本的に飲まず、せいぜい喉を潤す程度で数口しか飲みませんでした。水分を少なく摂ったため、あるとき、1週間も便が出ず、大変苦しい思いをしたことがあります。ある強い意志を持った学習者は、「転向」を強いられ、トイレに行くことを一切許されず、その結果、そのままズボンに便を出すしかなかったのです。

 私は長時間、軍人が行う、しゃがむ姿勢を要求されました。片足で半分しゃがむような姿勢を長時間させられると、足が痛くてしびれ、しゃがめなくなりました。また、「軍人の姿勢」と呼ばれる、長時間立つことを強制されました。「軍人の姿勢」というのは、動かずにまっすぐ立つことです。長時間になると、フラフラして立っていられなくなりました。そのうえ、私はラジオ体操のある動作を延々と繰り返すことを強制されて、疲れ果ててしまいました。しかし、もし、少しでも不満があり、抵抗したりすると、より残酷な拷問を与えるのです。この非人道的な拷問に抗議したある学習者は、「集中訓練隊」に送られ、それ以来、生死不明で、消息が途絶えています。

 教養所の「転向」の期間中、同じ部屋に拘禁されている学習者は、その中の1人だけが「包夾」の要求に満たさない場合、その部屋にいる学習者全員も一緒に体罰を受けることになります。学習者を微動もしないままで小さな椅子に座らせますが、少し動きたいときに、「包夾」の許可を取らないといけません。許可なしで我慢できずに少しでも動いたら、厳しく処罰をされ、しかも、部屋にいる他の学習者も一緒に処罰されます。

 肉体的な拷問だけでなく、強制的に洗脳も行われます。学習者は激しい体罰を加えられながら、法輪功を誹謗中傷するビデオを見せられ、それを見た後、感想文を書かせられます。警官は納得いくまで感想文を書かせ続けるという懲罰があります。どのような拷問でも、目的は学習者に法輪功を諦めさせるためです。

 学習者が例え、「転向」したとしても、その後も常に「包夾」によって監視され、互いに話すことは許されません。一部屋に少なくとも2人の「包夾」がいて、学習者の動きを常に監視し、随時に警官に報告する役割を担っています。

 しかし、私が受けた拷問はまだ軽い方でした。私がこの労働教養所に入れられる前、教養所側は学習者たちを奴隷労働者として扱い、お金を稼いでもらいたいため、懸命に働かせました。お金を稼げば稼ぐほど警官らはより多くボーナスをもらえるからです。私がこのような奴隷労働を免れたのは、教養所に入ったときのある出来事があったからです。学習者3人は、完成した手工芸品に「法輪大法は素晴らしい」と書いたメモを入れ、その商品を外に出しました。このことを知った教養所側は非常に怯え、法輪功の真実を暴露されるのを恐れました。そこで、教養所側がその学習者3人にそれぞれ、半年、7カ月、9カ月と教養期間を延長させ、「集中訓練隊」に送り込みました。「集中訓練隊」は労働教養所の中で最も酷い迫害を行う場所です。意思の固い学習者はそこに送られ、残酷な迫害を受けることになるのです。同じような事件が起こらないように、教養所は学習者に奴隷労働を強要しなくなったわけです。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/1/21/455552.html)
 
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