7年の判決を受けた翟永池さん 刑務所の迫害で死亡
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 【明慧日本2023年2月4日】遼寧省胡蘆島市綏中県の法輪功学習者(以下、学習者)・翟永池さんは懲役7年の判決を下され、刑務所に収容された。そして、瀋陽市第一刑務所の迫害で翟さんは2022年12月17日、69歳で死亡したが、刑務所側は、家族に死因の説明はしなかった。

 法輪功は世界の人々に親しまれる精神修養法であるが、1999年以来、中国共産党によって迫害されている。大慶市譲胡路に住んでいた翟さんは、大慶石油管理局の優秀技術者で、法輪功の信仰を堅持し続けたが、当局に繰り返し迫害を加えられた。翟さんの妻はこのことで、常に当局を恐れ、圧力を感じ、大きなダメージを受けて病気になり、他界した。その後、翟さんは娘を連れて胡蘆島市綏中県に移住し、綏中県発電所に就職した。

 2017年5月14日朝、翟さんは自宅から綏中県公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官と会社の公安科の職員によって連行された。同年6月26日、綏中県裁判所は翟さんを不正な裁判にかけた後、懲役7年の判決を宣告した。同年8月17日、錦州新入刑務所に収容されたが、その後、瀋陽市第一刑務所に移送された。2022年12月17日、刑務所は、突然、家族に「翟永池に救急手当を受けさせたが、死亡した」と、翟さんの死を伝えた。

 絶望の中 大法を学んで救われる

 翟さんは法輪功を学ぶ前、心筋梗塞、胃病、貧血などの病気を患い、長年、薬を飲んでいた。狭心症の発作が起きると、一瞬で顔色が真っ青になっていた。

 多くの病を患っている翟さんはさらにある日、職場で同僚1人と作業中に事故に遭った。重さ3トンの機械の下敷きになった翟さんは、骨盤が数箇所骨折してしまった。一緒に仕事をしていた同僚はその場で死亡してしまった。病院に運ばれた翟さんは命が助かったものの、重い後遺症が残った。反応が鈍く、よだれが垂れて、身につけた技術もすべて忘れるほど、記憶力が低下した。

 しかし1995年、障害者になって絶望していた翟さんは、法輪功に出会い、「真・善・忍」に従って自分を要求し、奇跡的に健康を取り戻した。それから、翟さんは職場に復職し、真面目に仕事をし、会社に大きな貢献をした。上司も同僚も認められる優秀な技術者になった。翟さんは会社に何十万、何百万という利益を生み出したが、名声と利益に淡泊になり、まず何事も他人を優先させたので、翟さんと接したことのある人達はみんな、翟さんはとても良い人だと話していた。

 圧力を受け 妻は他界

 1999年7月、江沢民グループは法輪功への残酷な迫害を発動した。翟さんは、会社のリーダーや警官からの嫌がらせ、脅迫、連行されるなどの迫害を受けた。

 2003年初め、翟さんは石油管理局の保衛科の職員と譲胡路派出所の警官によって、譲胡路紅衛星洗脳班に連行され、数カ月間拘禁された。洗脳班で毎日、法輪功への誹謗中傷のビデオなどを見せられ、人格的な侮辱を受け、殴打され、ずっと立つことを強制され、睡眠の剝奪などの拷問を受け、「転向」をさせられた。

 翟さんは洗脳班に拘禁されていることで、圧力と恐怖を感じた妻は精神的に大きな苦痛を受け、錯乱状態になり、夜中に「警察が来た!」と叫ぶこともしばしばあった。徐々に健康状態が悪化した妻は、重病を患い、2007年5月にこの世を去った。

 その後、絶えず嫌がらせを受けた翟さんは娘を連れて遼寧省胡蘆島市の綏中県発電所に住み込みで働くことにした。2014年に前の会社に退職手続きをした。

 7年の判決を受ける

 2017年5月14日朝、綏中県公安局の警官はビル管理者だと名乗り、翟さんの家に不当に侵入した。それから、警官らは何の手続きなく証明証も提示しないまま、「法輪功を学んでいる」という理由だけで翟さんを連行し、留置場に送った。

 健康だった翟さんは綏中県留置場に拘禁され、迫害で血圧が200mmHgまで上昇し、血便の症状が現れ、2回も意識不明になったことがある。

 同年6月26日、翟さんは不正な裁判にかけられた。公訴人は翟さんの供述を証拠として、翟さんを起訴した。翟さんは尋問のときに、「法輪功は正法です。共産党こそが邪教です」と話し、これが罪の証拠として扱われた。しかも、案件の証人は翟さんの家に侵入した警官2人となっていた。

 綏中県の610弁公室と司法関係者らが結託して、翟さんを陥れた。2017年5月24日、綏中県検察庁は翟さんに対して逮捕令状を発付した。6月26日、綏中県裁判所は翟さんに不当な裁判をかけた。翟さんの弁護士2人は法廷で、信仰の自由、言論の自由、法輪功が邪法ではないこと、『刑法』300条が適用されないことなど、法律に基づき、翟さんの無罪を主張した。国保の大隊長は北京からの弁護士を怒鳴りつけ、殴ると脅し、法廷を乱した。裁判官も、「法輪功のことについて弁護することは許さない」という理由で弁護士の弁護を阻止した。

 翟さんは法廷で、公訴人が法輪功に対する誹謗中傷する言論に反論し、冷静に「大法は私に良い人になることを教えています。例え、殴られても殴り返さず、罵られても言い返さないことを教えています」と話した。

 しかし、裁判所合議廷は、弁護士の根拠のある無罪の主張と翟さんの自己弁護を受け入れなかった。8日後の2017年7月3日、裁判所は翟さんに懲役7年の判決を宣告した。その後、翟さんは胡蘆島市中級裁判所に控訴したが、却下され、原判決を維持された。

 刑務所の迫害により死亡

 2022年12月17日午後4時、翟さんの娘は刑務所から、翟さんの死亡を告げられた。遺族は、翟さんがどんな「重病」で助からなかったのか、「突然死」の理由は何だったのか、5年間刑務所で何があったのか等について刑務所側からの説明もなく、教えてもくれなかった。

 翟さんの幸せだった家庭は、23年間中国共産党によって引き裂かれ、娘は両親を失った。

 明慧ネットの報道によると、瀋陽市第一刑務所で数人の学習者が迫害され死亡した。以下、一部の事例である。

 1、遼寧省胡蘆島市綏中県の学習者・範徳震さんは同県の国保の警官に連行され、綏中匯陽ホテルまで秘密裏に送られ、拷問を受けた。その後、綏中県留置場で迫害され、範さんは32歳の若さでこの世を去った。以前の範さんは体重が70キロ以上あり、とても健康的だった。2カ月も経たない間に骨と皮だけになって痩せこけていた。範さんの遺体は、顔が変形し、目と口は開いており、歯は噛みしめたまま、ショックを受けた表情をしていた。また、腹部は黒くなって3センチほどの傷があり、四肢と背中は青紫色で、肛門は緩んでおり、血便が流れ出ていた。死ぬ前に苦しんだようだった。範さんの遺体は強制解剖され、火葬された。範さんの息子は当時まだ授乳期の赤ちゃんだった。

 2、遼寧省建平県の学習者の尹国志さんは、2019年9月に不当に連行され、当局の裁判所に懲役10年の重刑を下され、瀋陽市第一刑務所に送られた。2022年3月8日、遼寧省瀋陽第一刑務所の2人の警官は、尹さんの家にやって来て、「尹国志は刑務所で末期の肺がんになり、今病院で酸素吸入をしているため治療費を出せ」と告げた。家族は尹さんは健康で持病もなかったと言って、お金を渡さなかった。その後、警官は家族を刑務所に呼び、尹さんの映像を7分間見せた。尹さんは病衣を着ていて、変わり果てた様子で、黙っていた。尹さんの右のこめかみに殴られたと思われる傷があり、その姿が映っていた。その後、尹さんの消息が途絶えた。2022年5月22日未明、刑務所から「尹さんは刑務所で先ほど死亡した」と家族に連絡があり、死因は言わなかった。6月22日、家族は、彼の遺体を確認するために刑務所に行くことを許された。尹さんの体は極度に痩せて、目は膨らんでいて、恐ろしい姿だった。家族はこれ以上見る勇気もなく、足だけを触った。家族は刑務所側から早く火葬するようにと告げられた。

 3、瀋陽市瀋北新区小学校の体育教師・奚常海さんは、瀋陽新区の国保の警官に自宅から連行されて、裁判所から懲役11年の重刑を下された。2009年に瀋陽市第一刑務所に送り込まれた。刑務所で拷問を受け、半身不随になった。そして、2015年9月25日に冤罪が晴らせないままこの世を去った。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/1/26/456120.html)
 
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