【明慧日本2023年2月14日】明慧ネットの不完全な統計によると、2023年1月に15人の法輪功学習者が中国共産党(以下、中共)により迫害で亡くなったという。内訳は、黒竜江省2人、吉林省2人、河北省3人、山東省2人、遼寧省1人、安徽省1人、湖北省1人、湖南省1人、北京1人、上海1人である。
情報の収集期間は2023年1月1日から2023年1月31日まで(うち、以前に未発表の迫害による死亡事例を含む)。 2023年1月31日現在、中国本土で4904人の法輪功学習者が迫害により死亡した。
1. 長春市の姜勇さん(31歳)は、懲役8年半の判決を言い渡され、迫害で死亡
姜勇さんは吉林省長春市の法輪功学習者で、2021年6月に身柄を拘束され、濡れ衣を着せられ、懲役8年6カ月の不当な判決を宣告された。姜さんは長春市公主嶺刑務所で迫害され重体に陥り、2023年1月23日、長春公安病院で31歳の若さでこの世を去った。
2021年6月28日午後9時ごろ、長春市前進街派出所の警官8、9人が姜さんと両親(法輪功学習者でもある)の身柄を拘束した。姜さんの両親は10日間不法に拘束され、その後帰宅した。 姜さんは留置場に連行され、懲役8年6カ月の不当な判決を言い渡された。姜さんは断食で迫害に抵抗した。
2022年10月11日、吉林結核病院は姜さんの家族に対して危篤の通知を出した。その後、姜さんは長春公安病院で拘禁されて重体に陥った。家族は吉林省刑務所管理局や公主嶺刑務所の責任者に、姜さんの保釈を何度も打診したが、関係部署は互いに責任をなすり合った。
2013年1月23日、旧正月の2日目、姜さんは長春公安病院で息を引き取った。
2. 武漢市の宗明さんが「法律制度教育勉強班 」で迫害されて死亡
宗明さん(59歳女性)は、湖北省武漢市の法輪功学習者である。2022年4月18日午前、宗明さんを含む8人の法輪功学習者は礄口区公安支局の漢水橋街派出所の警官に身柄を拘束された。その後、警察は8人を武漢市礄口区竹葉海の「法律制度教育勉強班」、すなわち礄口区額頭湾洗脳班で拘禁され、迫害を受けた。
2022年12月26日、額頭湾洗脳班は家族に宗明さんを迎えに来るようにと連絡をしてきた。その頃、宗明さんは迫害を受け、痩せこけて黒い髪はすべて白くなり、話すことすら困難な状態になっていた。2023年の元日、家族は宗明さんを病院に搬送して治療を受けさせたが、病院に入院を拒否され、宗明さんは当日、救急治療室で死亡した。
3. 上海市の蒋林英さんはクリスマスイブに迫害で死亡
蒋林英さん(70歳近くの女性)上海市宝山区に住む法輪功学習者である。2022年9月8日、上海静安区裁判所に懲役4年の不当な判決を宣告され、12月24日、蒋さんは宝山区留置場で迫害により死亡した。当日、蒋さんの家族は留置場に最後の別れを拒否された。
蒋さんはかつて1回労働教養処分を科され、2回(3年6カ月と5年)不当な判決を宣告され、合計10年間拘禁されたことがある。刑務所で殴打され、脳神経を破壊する薬を注射され、長時間にわたって立たせる、小さい腰掛けに座らせる、トイレと食事禁止などの拷問を受けた。出所後もよく中共関係者から嫌がらせを受けた。
2022年12月24日午後、蒋さんの夫は宝山区留置場の電話を受け、蒋さんが危篤のため、病院に搬送されたと知らされた。しばらくして、宝山区留置場の関係者はまた家族に電話をかけ、医者が蒋さんに対して危篤通知を出し、呼吸衰弱の傾向があると診断されたと告げた。
家族は焦って居ても立ってもいられず面会を求めたが、留置場に拒否された。12月24日の夜10時29分、宝山区留置場は家族に蒋さんが死亡したことを知らせた。
4. 頼志強さんは冀東刑務所で迫害されて死亡
頼志強さん(50代)は河北省唐山市出身、刑務所で7年間拘禁され、出所の前に家族が喜んで待っている中、2023年1月3日午前8時、頼さんの妻は冀東刑務所から夫の頼志強さんが死亡したと告げられた。
一家は急いで刑務所に駆け込んだが、刑務所側は1000元(約2万円)を支払わないと面会させないと言われた。翌日、遺体を見た家族は、頼さんの身長が1メートルもなく、顔も変形したことを確認した。4、5人の警官が頼さんの妻を引きずって、近づくことも、触れることも、死装束に着替えることも許さなかった。家族は遺体を持ち帰って見たいと求めたが、刑務所側はこれに応じず、頼さんの娘をだまして、遺体を急遽、火葬できるようにサインをさせた。
2016年3月31日、頼さんは警察に身柄を拘束され、その後、懲役7年の不当な判決を言い渡された。頼さんの母はショックで不慮の死を遂げた。2020年1月、頼さんの妻は、担ぎ出されてほとんど動かない夫にようやく会うことができた。刑務所は頼さんの家族にいわゆる治療費や薬代の名目で数千元のゆすりを強要した。
家族は治療のため保釈を求め続けたが、刑務所は何度も法務局に報告したが、同意を得ず、地元の派出所とコミュニティーが受け入れないという理由で地域社会が受け入れないと推し通した。家族は自力で法務局に出向いたが、ゲートすら入れなかった。
5. 18回身柄を拘束された冷水江市の劉而礼さんは死亡
劉而礼さんは湖南省冷水江市の法輪功学習者で、計18回中共の警官、610弁公室の関係者に身柄を拘束され、8回拘禁され、4回労働教養処分(計5年)を科されたことがある。73歳の時、懲役3年6カ月の不当な判決を宣告され、2023年1月2日に他界した。享年81歳。
2018年7月21日、獄中から帰宅した劉さんは、体調を崩し、中共から年金を差し止められたり、長年にわたり嫌がらせや監視を受け、肉体的・精神的に何度も打撃を受けたりと経済的迫害を受けてきた。
劉さんが亡くなる1カ月余り前、十数人の中共党員が劉さんの自宅に押し入り、劉さんを連行しようとしたが、ベッドから起き上がるのが困難なのを見て諦めた。
6. 河北深澤県の崔秀珍さんは死亡
崔秀珍さん(女性)は河北省深澤県北白荘村の出身である。1999年7.20以降、崔さんは何度も家宅捜索され、投獄され、拷問を受け、18000元(約36万円)を強要された。
崔さんは留置場と労働教養所で便所でしゃがむ、電撃、殴打、ねじり、唐辛子液を吹きつけられる、足を焼かされる、胸をねじられるなどの拷問を受け、九死に一生だったという。その結果、小脳萎縮症を患い、半身不随になり、言葉を失った。2023年1月10日、崔さんは他界し、享年80歳。
7. 北京の秦静さんは死亡
秦静さんは北京市崇文区の学習者で、2010年10月、北京の東郊で「法輪大法は素晴らしい」の内容を貼り付けたとして、朝陽区高碑店派出所の警官に身柄を拘束され、その後2年間の労働教養処分を処せられた。
2015年10月末、秦さんは江沢民(法輪功への大量虐殺・臓器収奪の首謀者)を告訴する告訴状を提出したとの理由で、鎮政府と派出所の警官らに数えきれないほど嫌がらせを受けた。秦さんは大きなプレッシャーの中、2022年12月22日に他界した。享年64歳。
秦静さん |
8. ジャムス市の王玉芳さんは迫害で死亡
王玉芳さんはジャムス市の出身で、1999年7.20以降、何度も嫌がらせを受け、6回身柄を拘束され、労働教養処分と不当な判決を言い渡された。市留置場で毒の薬物を注射され、身体が不自由になり、一時的に記憶喪失した。2022年9月28日の朝、王さんは59歳でこの世を去った。
2015年6月1日、王さんは最高検察庁と裁判所に告訴状を提出し、迫害の責任を追求した。
王玉芳さん |
9. 山東冠県の申亮華さんは死亡
申亮華さんは山東省聊城市冠県桑阿鎮の出身で、2回労働教養処分を科され、前歯3本が殴られて抜けた。申さんは帰宅後もたびたび嫌がらせを受けた。2022年11月16日、申さんはこの世を去った。
2022年12月14日、申さんが亡くなってから28日後、桑阿鎮の中共関係者2人、村の書記を先頭に、再び申さん宅に行き、嫌がらせをした。家族に申さんの死を伝えると、やっと「もう来ない」と言われた。
10. 莱陽市の于春強さんは死亡
于春強さん(66歳)、山東省莱陽市譚格荘鎮の西河北村に在住。2008年、于さんは地元裁判所に秘密裏に懲役13年の不当な判決を宣告され、山東省刑務所で拘禁された。迫害で糖尿病、高血圧などの病気を患い、一時脳出血したことがある。
于さんは2020年9月20日に出所後もよく嫌がらせを受け、回復できずに2022年11月1日に他界した。
11. 合肥市留置場で注射され、彭玉信さんは死亡
彭玉信さんは安徽省合肥市蜀山区統計新村の出身で、何度も中共関係者に身柄を拘束され、拘禁された。2011年に懲役4年の不当な判決を宣告され、公職を追放された。2020年4月下旬から5月上旬にかけて、再び警察に身柄を拘束され、その後、懲役1年6カ月の不当な判決を言い渡された。合肥市留置場で不明な薬物を注射されてから一度言語機能を失い、出所後もなかなか回復できなかった。2022年8月中旬、彭さんは55歳で他界した。
12. 綏中県の翟永池さんは迫害で死亡
翟永池さんは遼寧省胡蘆島市綏中県に住む。2017年5月14日、翟さんは県公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関、以下、国保)の警官及び発電所の警官に身柄を拘束され、罪に陥られた。6月26日、翟さんは県裁判所に裁判を開かれ、懲役7年の実刑判決を宣告された。
2022年12月27日、翟さんは瀋陽第一刑務所で迫害されて死亡した。享年69歳。
13. 河北泊頭市の何振恒さんは迫害により死亡
何振恒さんは河北省泊頭市交河鎮西関村の出身、何度も身柄を拘束され、拘禁されたことがある。2022年の1年間、交河鎮の警官は何度も何さんに嫌がらせをし、本人と家族に法輪功を学ばないという書類にサインを強いた。2022年5月24日、公安局は保釈の期間満了を理由に再び嫌がらせをした。
2022年11月23日、何さんは迫害によりこの世を去った。享年80歳。何さんが死後、地元派出所の警官は家族に死亡証明を提出することを要求し、案件を終わらせた。
14. 吉林松原市乾安県の孟艶さんは迫害で死亡
孟艶さんは吉林省松原市乾安県の出身で、何度も身柄を拘束されたことがある。2015年8月、法律に従って江沢民を告訴したとの理由で、県国保に身柄を拘束され、懲役3年の不当な判決を宣告され、吉林省女子刑務所で小さい腰掛けに座らせるなどの拷問をうけ、心身とも大きなダメージを与えられた。
出所後、社会保障局から退職金を不正に差し引かれるなどの経済的迫害と嫌がらせを受け続け、孟さんの健康状態は悪化した。2022年10月8日、孟さんは74歳の生涯を閉じた。
15. 大慶市の朱秀敏さんは死亡
朱秀敏さんは黒竜江省大慶市の出身で中共から繰り返し迫害を受け、5回身柄を拘束され、拘禁され、懲役7年の実刑判決を言い渡され、様々な拷問を受けてきた。2017年3月21日午前、朱さんは夫と共に義理の両親を訪ねるためにチチハル市に戻り、友人の劉明英さん宅に立ち寄ったところ、待ち伏せたチチハル市公安局と龍沙支局の国保警官に身柄を拘束された。朱さんはすでに妊娠しており、家に帰された。朱さんの夫は懲役3年の実刑を宣告された。
朱秀敏さんの娘 |
2020年3月、朱さんの夫は帰宅し、一家団らんはわずか数日間も経たないうちに、朱さんは心身ともに限界に達したため、2022年7月にこの世を去った。5歳の娘は母を失い、幸せだったはずの一家は迫害により破壊された。