私は大法の子供弟子
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 【明慧日本2023年2月17日】私は、小学4年生の子供弟子で11歳になります。法輪功を学び始めた当時、私は目の病気を患っていました。自分で、身の回りのこともままならず寝たきり生活をしていました。瞼は、赤く腫れあがり、常に涙が流れ続け、目を開けることができませんでした。あまりの痛みにたびたび震えていました。何年もの間、両親は私を中国医学、西洋医学、民間療法など多くの場所へ連れて行ってくれました。薬を飲んだり、注射を打ったり、目薬を差したり、民間処方など大金を使っていろいろな方法を試しましたが、良くなるどころか悪化しました。最終的に、ハルビンの眼科医から「角膜潰傷と診断され、北京へ行って目の角膜を交換しなければ失明してしまう」と言われました。

 角膜移植の医療費は、私たちが何年かけても払うことのできる金額ではなかったため、私たち家族は絶望しました。父と母は「もし私が失明したら家族3人で死のう」と言いました。しかしそんな時に、私たち家族3人は法輪功を学び始めました。1週間もたたないうちに奇跡が起きました。私の目は正常になり、学校に行くことができるようになったのです。

 私が小学1年生の時は、教室の1番前に坐っていても黒板がはっきり見えませんでした。しかし、今は3、4列目に坐っても問題ありません。わたしは、もう目の病気のせいで学校に行けなくなる心配をしなくて良くなりました。払うことのできない莫大な医療費も節約できました。法輪大法は、私から苦痛を取り除いただけではなく、家族3人の命も救ってくれたのです。

 法輪功を学んでから、私は毎朝起きて煉功を続け、時間があれば学法をしています。学法を通して、私は、人生の本来の目的は返本帰真し本当の家に帰ることであることがわかりました。そのため、私は法を師として、自分に高く要求し、心性の関を良く乗り越えます。

 私は内向的な性格なので、小学校に上がってから人を怒らせたこともなければ、いじめられたこともありません。しかし修煉を始めたころ、ある同級生がわたしのことを「ちびデブ」と呼び始めました。他の同級生も私をそう呼び始めました。呼ばれたばかりのころ、私はとても怒っていました。しかし、私は自分が修煉者であることを思い出しました。私は忍耐するべきで、何と呼ばれても気にしなくなりました。毎日私の顔を触り、私をあだ名で呼ぶ同級生がいました。ある時、顔を触られたときに目に当たり、針で目を刺されたような痛みを感じました。私は机にうつぶして泣きました。しばらく経つと、授業が始まり、先ほどのような痛みは感じなくなりました。先生が授業をしているとき、黒板を見ても周りがぼんやりして黒板が見えませんでした。私は絶望して再度目を閉じました。師父がおっしゃっていた「物事の善し悪しは一念で決まる」を思い出しました。私は、自分は修煉者だ、師父が私を守ってくださる、私の目は絶対大丈夫だと思いました。しばらくして、再度目を開けて黒板を見ると黒板の文字がだんだんとはっきり見えるようになりました。私は、この大きな1つの関を乗り越えたのだ、と悟りました。

 席替えで私は、とても暴力的で気性が荒く、成績もとても悪い同級生と隣になりました。彼は私の宿題を写そうとしましたが、私は断りました。それ以来、彼はいつも私を殴り、罵り、蹴るようになりました。しかし、私は1人の修煉者として、トラブルが起こるのは偶然ではないと考えていました。私は心の中で「精進要旨」の中の「忍とは何か」という経文を読みました。また、師父は何かをするときはまず相手のことを考える、ということも教えてくださいました。担任の先生は毎日私たちに授業をして下さっているので既に忙しく疲れています。私は先生に迷惑をかけるわけにはいきません。これ以上先生を心配させてはいけないと考えると、私の心はとても静かになりました。この方面で、私は心性を高めることができました。

 新学期が始まり、委員会のメンバーを選ぶことになりました。私はもともと学級委員だったのですが、今回は落選してしまいました。また、国語の授業では、先生に文章を読むように言われたのですが、2回読み間違えてしまいました。そのため、先生に叱られてしまいました。その日、昼食を摂るために家に帰ると父から、食べるのが遅い! と叱られました。しかし、1人の修煉者として、返本帰心しなければなりません。これくらいの苦がなんだというのですか。私は、必ず耐えることができます。私は泣くこともなく、辛いとも思いませんでした。1歩向上したと感じることができたからです。

 あるとき、クラスの多くの同級生が、あるペンを持っていました。彼らがそれを持っているのを見て、私は本当に羨ましくてしょうがなかったのです。家に帰って、母にお小遣いが欲しいと頼んだら、母は不服そうに私にお金をくれました。母は私に買ってほしくない様子でした。そのため、私はお金を使わずにいました。学校から下校すると、1元が落ちているのを見ました。その時私は、1元あればペンが2本も買えると思いました。しかし、私は1人の修煉者です。これは師父が、私が利益の心を放下できるかどうかを見ておられるのだと思いました。私はお金を見なかったことにして、その場を去りました。

 私は、時間を見つけては両親と一緒に煉功点へ行き、学法と煉功をしています。煉功の時、足を組み坐禅をすることは私にとって、とても困難なことなのです。修煉を始めたばかりのころは、足を組むことができず、父母が足を組むことでできているのを見て、不安で泣いていました。何日も経たないうちに、私も足を組むことができるようになりました。煉功点で初めて煉功したとき、15分間坐禅をしただけで耐えがたい痛みが走り、足首が折れたように痛くなりました。他の同修が長時間足を組んでいるのを見て、私も耐えなければいけないと思いました。次の日、両親は痛みで泣いている私を見て「足を崩すように」と言いました。しかし、私は足を組んだまま30分間耐えることができました。3日目に煉功したとき目を開けてみてみると、ほかの同修はみなとてもよく煉功していました。私は心の中で自分を鼓舞して「苦しみを味わうことはほかでもない業を返すこと」という師父のお言葉を思い出していました。師父はまた「忍び難きは忍びうる、行い難きも行いうる」ともおっしゃいました。師父の教えを胸に、私は痛みに耐えました。ちょうど私が、足の痛みに耐えているとき、通行人が歩いてきて「体を鍛えたいなら、体操をすればいいじゃないか。わざわざ痛みに耐えなくてもいいじゃないか。はやく足を下ろしなさい」と言ってきました。これは魔が通行人を利用して私の煉功を邪魔しようとしているに違いないと思ったので、私は一時間痛みに耐えて坐禅をしました。それ以来、私は足を組むたびにできるだけ我慢してもっと長く坐禅できるようにと、自分を厳しく律しています。

 煉功点で学法をするとき、同修たちはいつも私に読むのが上手だとほめてくれます。そのたびに私は、師父の「精進要旨」の中の「修めるものはおのずとその中にいる」という経文を思い出します。師父は「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」とおっしゃいました。このようにして、私は歓喜心を生じさせないようにしました。

 私が体験した奇跡的な事実から、師父の偉大さと慈悲を感じることができ、より一層師父と大法に対する信念が強くなりました。私は心の底から「師父! ありがとうございます!」と言いたいのです。私は、大法の教えに従い、宇宙の特性である、真・善・忍に同化し、師父についていき、早く圓満成就して、自分の家に帰ります。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2007/3/5/150171.html)
 
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