マレーシア法会|師父のご加護で風雨を乗り越えてきた
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文/マレーシアの大法弟子

 【明慧日本2023年2月21日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私はジョホール・バールの出身です。1999年に大法が中国共産党に迫害された後、私はテレビでレポーターが師父にインタビューしているのを見ました。師父は立掌されていたのですが、全身が金色の光で輝いていました。私は「仏だ!」と思いました。

 1週間後、書店で『轉法輪』と『大圓満法』という非常に目立つ本を目にしたので、購入しました。人間は神様まで修めることができること、そして「徳」は一種の転化できる物質だと知って驚きました。徳はどのように転化するのだろうかと考えていると、やがて師父は転化の仕方を見せてくださったのです。

 ある日、娘が悪いことをしたので、私は叱りました。すると娘の頭上に光が見え、叱れば叱るほど、娘の全身が光っているのに驚きました。私は、すぐに叱ることを止めました。私は徳の転化の仕方を理解しただけでなく、私から娘に徳が渡されたのだと分かりました。私に修煉の方法を教えてくださった師父に感謝いたします。それ以来、もう私は子供を叱らず、ただ善をもって勧めるだけです。

 真の修煉とは何か 摩訶不思議な体験

 私は暇さえあれば本を読み、本で師父が実演されている動作に従って煉功しました。10日後、手のひらの腫瘍が消え、目の前が明るくなりました。近所の人に「朝早くから夜遅くまで働いて、疲れないの?」と聞かれても、「疲れていない」と答えました。煉功するとエネルギーが満ち溢れ、体の中で法輪が回っているのを感じたのです。体に大きな変化がありましたが、実はまだ修煉の本質をしっかりと理解できていませんでした。

 2011年にサバ州を訪れたとき、体調を崩して片腕が上がらなくなり、食事も睡眠もろくにとれなくなりました。とても苦しく、どうしようかと思いました。お坊さんになって修行したいと思ったので、15歳になる末っ子の娘に、「お母さんがお坊さんになっても、大丈夫?」 と聞くと、「大丈夫」と答えました。

 そこで私は仏教会に行きました。しかし入り口に来ると、両足が重くて入れません。何度行っても誰にも会えず、入ることができず、何度電話してもつながらなかったのです。どうしてこんなことになるのだろうと戸惑いました。後になって、これは師父からの啓示なのだと気づきました。

 一週間後、末っ子の娘が後悔して「お母さんがお坊さんになったら、私はどうするの?」と聞いてきました。私は、お坊さんになる気持ちを諦めるしかありませんでした。帰宅後、以前読んだ本『轉法輪』を再び目にしました。今度はようやく、これこそ修煉なのだ!と理解しました。どうして今までわからなかったのでしょうか?  それ以来、私は法輪大法を修煉すると決心しました。

 その後、2人の友人を連れて9日間の講習会に参加しました。講習会の途中で、突然師父がテレビの中から出てこられ、師父の法身がどんどん外に出て、大小の法身が空間全体を満たしているのが見え、私は驚き、素晴らしいと感じました。その間、私は朝晩に煉功に励み、自分の病気のことも忘れていたほどです。思い出した時には、いつの間にか治っていました。

 その後、夫の仕事がうまくいかなくなり、私たちはペナンに戻りました。その1年後、一家はジョホール・バールに引っ越しました。しかしその数年間、修煉を緩めたことで私の心性は常人と同じようになり、健康上の問題も再発し始めました。

 ある日、心臓に強い痛みを感じました。部屋のドアに鍵をかけて床を転げ回りながら、師父に「助けてください」と叫ぶと、すぐに痛みが緩和されました。しかし、すぐにまた痛みが襲ってきました。師父に再三お願いしましたが、自分の業力は自分で背負うべきだと思うと、またすぐに楽になりました。

 翌日の昼、また胸が痛くなりましたが、起き上がって煉功すると元気になりました。先ほどまで痛みで苦しい表情だったのに、今は何事もなかったような私を見て、夫が「どうしたのか」と聞いたので、私は「煉功で回復した」と答えました。大法の不思議を目の当たりにした夫は、自分では修煉しないものの、私の修煉を止めませんでした。それから数日間、食事をとると胸が痛くなりましたが、煉功するとすぐに元気になりました。

 その後、グループ学法に参加した時、発正念の必要があると知りました。朝、痛みで目が覚めたとき、直ちに発正念をすると、痛みが緩和されるようになりました。明慧ネットで同修の交流文を読み、発正念をするときに頭の先から足の先までの邪悪を取り除くと書かれていたので、それを参考にしてやってみると、2日後には病業が消え、痛みもなくなりました。

 それからしばらくしたある夜、寝る前にふと以前の胸の痛みを思い出し、痛みが復活しました。しかし直ぐにベッドに座り発正念をすると、すっきりしました。業力は人を惑わすものであり、実は虚像であると分かりました。

 法輪功の真実を伝え、大法を理解し人心を変える

 その後、私は仕立て屋として自分の店を開きました。私は6年間、すべてのお客さまに法輪功の真実を伝えました。この辺りは治安が悪く、テナントのバイクがよく盗難に遭っていたと聞きます。私が入居したばかりの頃、隣の雑貨店のオーナーから「毎日夜8時まで営業して、強盗は怖くないのか?」と聞かれたことがあります。そのオーナーは5回も強盗に遭ったと言っていました。私は、毎日法輪功の真実を伝え、良い人になろうと律しているので怖くはありませんと答えました。

 私の店の上に住むインド人女性は、毎日狂ったように罵っており、近所の人たちが私のところに苦情を言いに来ました。私は「罵り返さないように」と忠告しましたが、しばらくするとその女性も罵らなくなりました。

 あるとき、インド人の父娘が店にやってきました。娘がぼんやりしているので、どうしたのかと尋ねると、父親が「娘が病気になった」と答えました。その父親によると「婿が亡くなってから、娘はこうなってしまった」と言うのです。私は娘さんに「大法の本をお贈りします。これを読めばよくなりますよ」と勧めました。娘さんは承諾しました。1ヵ月後、父親がやってきて、娘が元気になって普通に働けるようになったと嬉しそうに言うではありませんか。そして私に3回お辞儀しました。私は「感謝は師父にするべきです」と言いました。

 実は半年前、その父親は酒飲みで、毎晩酔って大騒ぎしていました。朝になって私の店が営業を開始すると彼がやってきたので、「こんなに毎日酒を飲んでいては身がもたないよ 」と言いました。毎日彼に法輪功の真実を伝え、いい人にしていれば福報が訪れると伝えました。その後、彼はようやく話を受け入れてくれました。飲酒をやめ、二度と騒ぐことはありませんでした。

 あるとき、マレー系の人に法輪功への迫害について伝え、煉功の効用について話したことがあります。その人は自分の家に空き地があると言い、私に煉功を教えてほしいと頼みました。そしてある日、マレー人の女性が地面に落ちているお金を見つけて持ってきたのですが、私は自分のものではないと答えました。私が受け取らないのを見ると、彼女もあえて取らず、見つけた場所に戻しました。

 修煉の道を歩む私を加護して下さった師父

 ある時、3日間留守にしました。そして帰宅すると、裏口が大きく開いていたのに驚きました。しかし確認すると何も盗まれておらず、不思議に感じました。

 ある朝の煉功後、立ったまま寝てしまったことがあります。目が覚めると横たわっていましたが、怪我はありませんでした。師父が私を守ってくださったと思い感謝しました。

 ある時、夕食の準備で食材を切っていると、誤って包丁で指を切ってしまいましたが、何かに守られているような気がし、結果的に無事でした。師父が再び守ってくださったのだと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 疫病が流行る中、ジョホール・バールはロックダウンされました。店の経営ができなくなり、夫は家を売って実家のペラ州に戻りました。テロックインタンの市場で法輪功への迫害のチラシを配ったとき、「心から九文字を唱えれば疫病が治るよ」と伝えると、多くの人がそのチラシを受け取りました。

 私は毎日チラシを配りに出かけていましたが、それを知った夫は不機嫌になり、妹や娘、叔母に文句を言いました。そして「外はウイルスだらけだから、出てはいけない」と言われ、家にいるしかありませんでした。ある日、携帯電話でネットを見ていると、ある社長が、自分の工場で50人あまりの従業員がウイルスに感染し隔離されていると言っていました。私はその社長に電話をかけ、従業員に「心からの九文字」を唱えさせてみて下さいと提案しました。

 それから2年後、私はジョホール・バールに戻って娘の家に住みました。心性への試練にはしばしば失敗していましたが、明慧ネットの交流を読み、心性に対する試練をしっかり乗り越えていこうと決心しました。

 ある日、明慧ラジオを聴きながら仕事をしていると、怒りだした娘が罵ってラジオを消したのです。私は静かに片付けをし、自分の部屋に戻ると発正念をしました。5分後、娘は何事もなかったかのように笑顔で部屋に入ってきました。私は、やっと乗り越えられたと嬉しくなりました。

 ある日、外で仕事をする婿がウイルスに感染し、続いて娘も感染しました。私への感染を恐れ、クアラルンプールに行くように勧められましたが、私は大法を修めているので大丈夫だと答え、ここに残って娘たちの面倒を見ることにしました。その後、クアラルンプールに住む末っ子の娘が病気になり、ジョホール・バールにやって来ました。彼女は病弱で機嫌が悪く、よく私に当たり散らしていましたが、私は気にせず言い争いをしませんでした。ある日、「どうし何を言われても怒らないの?」と娘に聞かれました。私は「あなたは体の調子が悪いから、気を紛らせているだけよ」と答えました。すると、娘は私を抱きしめて泣きました。その後、娘は機嫌を直してクアラルンプールに帰りました。

 私は思いがけず翌日から発熱し、咳が出ました。発正念も効果がありません。その後、ようやく咳が治まると、今度は片足が動かなくなったのです。同修から電話がかかってきて「全国一斉の学法に行かないか」と誘われたので、私は思わず「行く」と答えました。旧勢力は隙を突いてきますが、隙に乗じられてはなりません。私はすぐに自室に戻り、煉功に励みました。するとあくる日、私の足は元に戻りました。

 修煉の道を守ってくださっている師父に感謝いたします。師父の慈悲深い救い済度に応えるべく、日々精進をし、前途をしっかりと歩んでいきたいと思います。

 師父、ありがとうございます。

 同修の皆さん、ありがとうございます。

 (2022年マレーシア修煉交流会の原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/2/10/456595.html)
 
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