文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年3月9日】迫害発生から間もなくして、私は自分自身の強みを活かして地元の迫害について暴露するため、文字を整理する仕事を引き受けました。迫害案件の調査や視察、検証に行くことも多く、ほぼ毎日、地元の報道文章を照合し、修正しました。師父の教えの通りに行い、迫害の報道をどのようにうまく書くか、また法を正す進展にどのようについていくか、そればかりを考えていました。迫害があるところには、恐れずに、躊躇せずに、私はその場所にいました。
――本文からの抜粋
* * * * * * *
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
第19回明慧ネット中国大陸大法弟子の修煉体験交流会に際し、私は自分の強みを活かして、地元の同修と共に、地元での法を実証する活動に参加したことを、師父にご報告いたします。
1997年、私は重い病気になりましたが、大法の修煉に入り、すぐに病気が治りました。初めて『轉法輪』を読んで、「『轉法輪』に書かれているように、みんなが人を大切にできたらどんなにいいだろうか」と感じました。大法の法理を深く理解するにつれ、修煉の概念と内涵を徐々に理解し、真の大法徒となりました。
中国共産党(以下、中共)が、法輪大法に対して狂ったような迫害を行った後、私は師父の心のこもったていねいな教えと、大法弟子の神聖な使命を心に刻み、積極的に法を実証する地元の活動に参加し、地元の同修と互いに協力し手を取り合って地元の邪悪を暴き、地元の衆生を救い済度しました。
一、迫害の報道をまとめ同修の救出に参加する
迫害発生から間もなくして、私は自分自身の強みを活かして、地元の迫害について暴露するための文字を整理する仕事を引き受けました。迫害案件の調査や視察、検証に行くことも多く、ほぼ毎日、地元の報道文章を照合し、修正しました。その頃、私は師父の各地での説法を学ぶことも力を抜いてはいませんでした。報道を書いている時は、すべての面を把握し、師父の教えの通りに行い、迫害の報道をどのようにうまく書くか、法を正す進展にどのようについていくか、そればかりを考えていました。
迫害があるところには、恐れず、躊躇せず、私はその場所にいました。その市の各県やすべての周辺地域に、自分の足跡と同修の足跡を残し、調査し、視察しました。仕事が終わるとすぐに、同修が迫害された内容を質問したり、確認するために、いろいろな所にいる同修が私を連れて行き、迫害された同修が家に戻ると同時に私が到着することがよくありました。
報道が完成するたびに、他の同修に見てもらって不足を見つけ、常人にも受け入れられるような文調にし、迫害の発生を物語のように読んでもらい、読む人を引きつけることができるようにと、何度も何度も推敲を重ねました。明慧ホームページでの発表後、印刷して配布したところ、比較的良い反響がありました。
迫害案件を検証し、同修を救出する過程で、一部の同修の家族は恐怖心から協力しようとしなかったので、私たちは時間をかけて内に向けて探し、落胆せず、諦めず、辛抱強く家族に大法の素晴らしさを伝え、家族の正義と良知、道徳的な勇気を目覚めさせました。また一部の家族は非常に憤慨したので、私たちは家族の話を最後まで話してもらって、その間は私たちは静かに聞き入りました。家族が不満を吐き出した後、まず私たちが理解を示し、そうして家族の生活や様々な状況を伺いながら、少しずつ真相を伝え、距離を縮め、心から家族を手伝いました。最終的に多くの家族が真相を理解し、積極的に救出に協力してくれるようになりました。
2020年春、真相を伝えていた男性同修が連行されました。その後検察庁に起訴され、男性同修の息子は父親に対して不満をたくさん抱えていました。私たちが男性同修の息子と会った時、いろいろと嫌なことを言われました。私とその場にいた同修は、男性同修のために弁解するのではなく、男性同修の息子の立場に立って同情を示し、息子を慰め、そして正しい理屈で息子を導きました。最終的に、息子は心を入れ替え、笑顔で父親を良い人だと褒め、父親のために弁護士を雇うことに同意しました。息子は案件を担当する検察官に善を勧める手紙を書きました。
また、同修の救出では、真相を理解する多くの正義感にあふれた家族にも出会いました。2011年以降、法輪功修煉者を連行する主な目的は金銭を巻き上げることであり、十分に金銭を搾り取れない修煉者は、不当に労働教養に送られたり、冤罪で拘禁されたりしました。ここ数年、私たちの街では100人近くの同修が金銭を巻き上げられ迫害され、その金額は1、2万元から20万元にも及んでいました。この6、7年、二つの市の公安局の反カルト支隊の幹部は、同修から金銭を巻き上げるこの方法で200万元以上を集めました。
2016年冬、3人の同修が連行され、そのうち2人の同修の家族はそれぞれ数万元を巻き上げられた後、2人の同修は警察に解放されました。残った1人の同修は、頑として中国共産党(以下、中共)に協力せず、中共の経済的迫害を認めませんでした。
ある日、中共の経済的迫害を認めなかったこの同修の娘が、他の同修を通じて私に相談してきました。同修の娘は、母親は中共に協力せず中共が家族からお金を奪うことに同意しない、自分も大法の恩恵を受けた者としてお金を渡すことに同意しない、悪人の欲望を助長することはできない、ということを言いました。また、警察が常人を通して、最初は8万元、次に4、5万元、最後に1、2万元のお金を要求してきたが、同修の娘は決して応じなかった、ということでした。母親がまた捕まったことを思い、同修の娘の目から涙が出ました。お金を要求してきた常人は同修の娘が泣いているのを見て、「まだ泣いているなんて、お母さんために1万元も使えないのか!」と言いました。実際、同修の娘は1万元が惜しいのではなく、1万元を渡したくなかったのでした。私は「あなたは正しいことをやっており、中共に協力してはいけません。それでは、真相の手紙を書きましょう。私が書いてあげます。街の反カルト支隊の幹部に手紙を書けば、善の念で彼を動かすことができるでしょう」と言いました。同修の娘は快く承諾しました。
そして、同修の娘が口述し、私が書きました。内容は、子ども(訳注:同修の娘)の治療のために一日中治療と薬を求めることから始まり、最後には同修自身が疲れ果て重病を患ってしまうというものでした。同修の娘の母親が絶望していた時、師父が大連で行っていた法輪功講習会を紹介されました。講習会では、師父が修煉者一人一人に自分の病気や大切な人の病気を思い浮かべるように言われました。母親は娘の病気を思い浮かべ、師父は娘の病気を一挙に取り除いてくださいました。その後、10代になったばかりの同修の娘の腫瘍は完全に消失しました。病気から回復した同修の娘は、美しい少女に成長し、結婚して子供にも恵まれ、その時は幸せな生活を送っていました。母親も修煉の結果、病気が治りました。
真相の手紙の最後に、同修の娘は「もし法輪大法がなかったら、私は生きていなかったかもしれません。母も永遠に娘としての私を失っていたかもしれません。母はこのような大きな恩にどのように報いることができるでしょうか? 良心的な人にならなければなりません! 彼女は法輪功のために声を上げるべきだと思いませんか? 隊長、あなたも善良な本性を持っていらっしゃるのですから、母の行ったことを認めてくださると私は思います」と書きました。
手紙を最後まで書いた後、私たち自身が感動しました。しっかりと手紙を書いた後、同修の娘が実名で真相の手紙を郵送しました。師父のご加持の下、師を信じ法を信じる同修の正念の下、数日後、家族は警察から留置場に迎えに来るようにと電話を受けました。この同修は、警察には一銭も渡さず、何事もなく帰宅しました。
二、地元の迫害を地元の人々に暴露する
その頃、地元の同修たちが率先して法を実証する活動に参加し、多くの法を実証する活動にみんなが進んで応え、地元の全体的な協力は非常に良かったのでした。
師父は、「凶悪な警察と悪人を暴露し、その悪行を社会に公表する。このやり方はあれらの理性を失った悪人を非常に強く震撼させる作用があり、同時に当地に対して真相を伝える中で、民衆に邪悪の迫害を最も直接に暴露し、認識させ、同時にデマに毒され、騙された民衆を救い済度する一種の良い方法です」[1]と説かれました。
師父の経文が発表されて1カ月余り経った2004年1月上旬、市内で初めて地元の迫害を暴露するチラシが、ある小区で配布されました。そのチラシには、中共に迫害された小区の大法弟子5人の状況が掲載されており、大法弟子の善良さと中共の邪悪さが語られていました。
住民からは強い反応があり、中にはチラシを片手に近隣の人に「私たちのこの建物にここで書かれている家族はいるのでしょうか?」と尋ねる人もいました。明確な答えを得ると、感慨深げに「本当にこんなことがあるんですね!」と言いました。床屋や日用品店では、チラシの内容を声高に議論し、中共に対する怒りをあらわにする住民もいました。
また、法輪功迫害に関する資料を手にした住民は、資料に報道されている大法弟子が、自分が知っている人であるのを見て、資料を懐に押し込み、当事者である大法弟子を見かけると、住民たちはチラシを取り出して同修に手渡し、同情的に「このチラシにあなたの名前が書いてあったので、私は取っておきました、どうぞ」と言いました。
また、自分の親族が迫害に加担していたことが迫害に関する資料で暴露され、さらに悪人の家庭の情報が完全に網羅されていることにショックを受けた常人は、「法輪功は本当にすばらしいものです。どうやって調べ出したのだろうか?」と言いました。
それからは、地元の迫害を地元の人々に暴露し、法を実証するプロセスが始まりました。最初の迫害の事実が書かれたチラシの配布から、後の迫害の事実が書かれたパンフレットの配布にまで至りました。私たちは、市内の各小区から周辺の村々にも資料を配布しました。各小区や村の資料は、その小区や村で起こった実際の事例であり、それはみな身の回りで起こったことであり、さらに自分たちがよく知っている人までが登場する実話でした。資料を配ることで、多くの人々が中共による迫害の実態を理解し、周囲で起きている迫害を理解することで救い済度されました。迫害の事例をひとつひとつまとめるにあたって、繰り返し確認し、人を救う効果を発揮するために、正確で間違いのないように努めました。
毎回、小区内で法輪功迫害に関する資料を配布する前に、協調人が自ら各棟のマンション、各戸の状況を確認し、各戸の世帯数を正確に数え、資料拠点の同修も昼夜を問わず、資料作成に精を出しました。また、同修たちは担当のマンションを与えられてからは、まず現場の確認に行って正念を発して場を清め、妨害を受けないよう着実に進めていきました。
『共産党についての九つの論評』の発表後の2006年、地元の都市部や周辺の村々に『共産党についての九つの論評』を徹底的に配布し、どの世帯にも配り残しがないように努めました。資料拠点の同修にとっては、大変な数年間でした。
2012年からは「悪人の身分証明書」を配布することで、街の中共のリーダー数人をターゲットにしました。その身分証明書の表面は普通の身分証明書と同じように、悪人の写真と個人情報を記載し、裏面にはその人が大法弟子を迫害した事実を要約して(非難や罵倒をせず、落ち着いた文字で書いていた)ラミネート加工しました。市内や周辺の県、および地方に配布したほか、市の各局機関の庁舎ビル周辺、特に市の公安局の庁舎の構内や拘置所の構内、警察署、検察庁、裁判所などにも配布しました。市の各局機関の部門の庁舎ビルにも大量の身分証明書を放り込みました。「悪人の身分証明書」は持ち運びができ、大量に配布することが可能でした。ラミネート加工した後は雨にぬれても大丈夫なので、道路や街路樹の中、公園のベンチなどにも置くことができました。
この隊長は自分の「悪人の身分証明書」が街の至る所にあるのを見て、大法弟子の粘り強さに感服し、自ら職を離れることを申し出ました。この隊長は知人に「私は行わないことを自ら申し出て、別の場所に異動になりました」と言いました。
この2、3年、私の市内のある地区の公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の隊長は非常に悪質で、部下に指示して何十人もの大法弟子を尾行し、連行しました。ある時は、6カ月で20人以上が連行され、その多くが起訴され不当に判決を下されました。自宅を不当に家宅捜索された時、同修の家族は機知に富み国保隊長を写真に収めました。そして、国保隊長の「悪人の身分証明書」を作り、地元に広く配り始めました。現在(訳注:2022年11月)、この国保の隊長はずいぶん慎重になりました。
数年前には、地元の迫害事例をまとめた真相の映像も制作しました。明慧ネットで公開された後、DVDやCD-ROMの形で人々に配布しました。映像の中の言葉は、党文化の戦闘的な口調はなく、穏やかで中立的なものでした。特に、海外の同修による朗読は、声がやわらかく適度なスピード感があり、聞く人を魅了し、同修からは非常に好評でした。
この真相の映像ディスクを見た人の中には、以前は半信半疑に信じていた大法弟子の生体臓器摘出のことを本当に信じるようになったという人もいました。ディスクを配っていた時、80歳代の年配の男性同修が市場の人々の前でディスクを上に上げながら「○○病院(私が住む市の中共の軍隊病院の名称)がどうやって儲けているのか、見てください!」と叫びました。
三、迫害された同修のために弁護士をお願いする
2008年、市内のある地区の中共の裁判所で行われた大法弟子数人に対する不当な裁判で、同修数人が共犯者として起訴されました。ある日「明慧ネット」で、北京の有名な正義の弁護士が青島で同修の無実の弁護をしたという記事を目にしました。当時、中国の他の地域には、同修を弁護してくれる正義の弁護士はいませんでした。
重要な問題については明慧ネットの姿勢を見るという原則の下、私は地元の同修に、同修の弁護を正義の弁護士に依頼できないかについて相談しました。相談内容の合意が成立した後、その弁護士と電話で話し、結局その弁護士は名乗り出て弁護士グループを組織し、当時の最低料金で、まもなく不当な裁判が行われそうな数人の同修のために弁護士を2人ずつ雇うように手配しました。
その弁護士たちはそれぞれ1万元以下の収入で、数人の同修のための弁護士グループの中の有名な弁護士は、個人的にさらに少ない収入で、以前に大法弟子を弁護した正義の弁護士の純粋さが体現されていました。
また、この有名な弁護士は、南部の大学の法学部の教授をわざわざ招きました。この知名度のある教授は、中国の法曹界が法輪功の人たちに注目するために招かれた、ということでした。この教授が大法修煉者の無罪弁護に関わるのは、その時が初めてでした。私たちと接する中で、その教授は大法弟子の善良さ、純粋さを感じました。その後、全国各地の法輪功学習者を無罪弁護するようになり、各界に影響を与えました。
弁護士の費用は、同修たちの自発的で寛大な心で賄われました。当時弁護士費用をみんなで出し合った夏を思い出しました。ある日、私は自転車に乗って同修からお金を集めました。その日は大雨で、時間的に緊急だったため、雨の中、同修のところに向かいました。途中私は数万元のお金をずっと抱え、全身が雨に濡れ、靴の中も雨水でいっぱいになりました。こんなに多くの同修の寛大な心に感動し、私は雨と一緒に涙が流れました・・・。家に入ると、そこで待っていた同修が手伝ってくれてお金を取り出すと、お金が雨に濡れているのが見えました。同修が扇風機のスイッチを入れてくれたので、私はお金を一枚ずつ床に広げ、最後に扇風機で風を当てて乾かしました。
弁護士が何人も地元に到着した時、私と同修は弁護士たちの泊まっているホテルに行って直接交流し、弁護士たちが無罪を主張していることを確認しました、なぜなら大法弟子には罪がなかったからでした。弁護士たちとの交流の過程では、私たちは常に弁護の観点に耳を傾けることができました。ある日、裁判が終わって食事をしながら、ある弁護士が「同修のいわゆる 『犯罪の証拠』を減らして、刑を軽くしていく」と言っているのを聞きました。家に帰った後私は心配になり、翌日の朝、私は弁護士が泊まっているホテルに駆けつけ、弁護士が起きたばかりのところに行き、改めて無罪の弁護をお願いしたいこと、いわゆる物証はすべて「犯罪の証拠」にならないことを強調しました。
その時の裁判は4日間続き、弁護士の制服に帽子をかぶった数人の弁護士が、堂々と大法弟子の無実を訴えました。弁護士たちの理路整然とした弁護が大きく響き渡り、法廷にいる人たちはみな息を呑んで聞いていました。私が住んでいる市の反カルト支隊の隊長も来ていました。裁判が開かれた区の政法委員会の人も来ていました。地元の大法弟子やその家族、常人など数十人が法廷に入り、裁判を見守りました。法廷の外では、多くの同修がみな近距離から正念を発しました。その時は正に夏真っ盛りで、焼けつくように日差しが強く、数日間で、みんな日に焼けてしまいました。
まだ修煉していない同修のいとこが、身分証を持って友人数人を裁判所に連れて来て、裁判を傍聴しました。4日間のうち3日間は裁判を傍聴し「神牛」(客を乗せた三輪車)に乗って行かず、お金を節約しました。同修のいとこは帰ってきて、知人に「弁護士の弁護があまりにうまいので、裁判官の一行は何も言えなくなり、検察官も下を向いていました。彼ら一行は、自分たちの言い分が立たないことを知っていました。共産党は邪悪です。道理を言わないし、共産党自身の法律も口に出しません」と言いました。法廷を去る時、裁判の現場の警官も大法弟子に親指を立てていました。
もともと1日で終わるはずの裁判が、弁護士の理を通した主張により何度も延期され、翌日、3日目、4日目と続けられました。法廷では、弁護士たちは「いわゆる『告訴』は想像で作り上げられたものであり、成立していない」「私たちが知っている事実からは、大法修煉者は国の法律に違反しておらず、完全に善良な中国国民である」「私の原告は、とても寛容で、とても親切で、中国の言葉で言えば、彼らはみないい人たちです」と指摘しました。
裁判後、ある弁護士が海外メディアの取材に応じ、「国際人権組織や国際メディアは、基本的人権の保護を保証されていない人々が、これほど多く存在することを懸念しています。法輪功学習者に対して行われている不公正な対応は、すでに9年間も続いており、十分な時間が経過しています」と呼びかけを行いました。その時の裁判は、地元の中共を抑止する大きな力となり、傍聴していた多くの常人に真相を知らせました。
四、地元の刑務所の罪悪を暴露する
2008年末、市内の刑務所で市外から来た同修が迫害されて死に至り、受刑者に殴り殺されたという噂が流れました。同修が亡くなったという知らせを知ってから、市内のほぼすべての同修が行動を起こし、チラシの送付、シールの貼付、手紙の発送、メールの送信、真相電話など、さまざまな方法で真相を伝え、刑務所の罪悪を暴露しました。ある検察庁の検察官は「法輪功からの手紙があちこちに飛んでいる!」と言いました。
同修の迫害と死から数日後の早朝、市内の同修は、刑務所へ続く道に真相横断幕を掲げ、道の両側の松の木に白い花をつけており、同修に対する哀悼と迫害への抵抗の意を表していました。
この同修の家族は、大法の素晴らしさを理解していませんでした。他県から来た私たちを無視し、冷たい目で見て、怒ったような話し方をしました。私たちは動じることなく、辛抱強く真相を伝え、あらゆる面で世話をし、同修の家族のために宿を手配しました。刑務所や検察庁に家族たちと同行し、説明を求めました。北京の弁護士にお金を払って、第三者による検死を依頼するなどをしました。最終的に、同修の家族は真相を理解し、自分の家族が中共によって迫害され、死に至ったことを知りました。
家族が地元を出て行く当日の夜、恐れる心を放下し、家族を救い済度するという善の念で、数人の同修と一緒に家族を自宅に招いたことを私は思い出しました。その年の神韻芸術団の公演DVDを見せると、たまたまその神韻芸術団の公演プログラムの中に、男性の大法弟子が迫害されて亡くなっていくという内容を表現した踊りがありました。この時、家族は完全に真相を理解しました。そして、家族のために食事を用意し、家族のためにビールを買ってきて一緒に食事をしました。同修の弟と兄はとても感動し、弟は「たとえ県長が死んだとしても、私の兄のことほど大きな問題にはならなかったはずです」と言いました。同修の兄は「私たちは家族です!」と言いました。最終的に同修の弟と兄は電車に乗らなければならず、私たちは手を振って涙ながらに別れを告げました。
それから10年余り、刑務所は何度も家族に遺体の火葬の依頼を打診し、さらに同修の故郷に直接出向くこともあり、地元の警察にも圧力をかけましたが、いずれも毎回家族に追い返されました。
地元の同修の全面的な協力により、同修が殺害されたこの刑務所の悪事を大きく抑止することができました。それ以来、この地域では10年以上、大法弟子が死に至るまで迫害されたことはなく、迫害の程度は大幅に軽減されました。本市の同修は、長年、刑務所の外で至近距離から正念を発し続けていました。
五、正念で中共のパネルを解体する
2018年春のある日、ある同修が市内の広告店に仕事をしに行ったところ、たまたま広告店の床に大法を誹謗中傷するパネルがいくつも置かれているのを発見し、同修は、私の家に駆けつけて知らせてくれました。その後、私たちはこの広告店に行ったのですが、市内でも大きい方で、床にパネルが大量に積まれており、すでに百数十枚が完成しており、いずれも大法を誹謗中傷するものでした。
問い合わせたところ、政法委員会の特注品とのことでした。そこで、普段真相をしっかり伝えている同修を3人が見つけて、社長と作業員に「このようななものを作ったら人々に毒害を生み出します、金儲けのためだからといって何でもしてはいけません」と伝えに行き、また、ドアに貼ってある電話番号を使って、社長や労働者に電話をかけ、真相を伝えました。相手は罵倒から傾聴するようになり、ついには中共の組織を脱退しました。
次に、私たちは市の政法委員会の書記に対して、善を勧める手紙を書き、善を勧める手紙は、3人の同修による共同作業でした。私たちはこの善を勧める手紙の中で、このようなパネルは人々に害を及ぼすこと主張し、伝統文化や因果応報、佛や法を誹謗中傷することで、悪報に遭う結果になると、慈悲深く善を勧めました。善を勧める手紙を書いた後、速達で郵送しました。同時に、高密度に正念を発し、中共のパネルを解体するようにと全市の同修に通達しました。また大法を誹謗中傷するパネルを制作したこの広告店の前まで行って、近距離で正念を発する同修もいました。
結局、そのパネルは途中で終わり、パネルはどこかに行ってしまい、街中では1枚も貼られることはありませんでした。
六、人々の目覚め
長年にわたり、多くの地元の同修が法を実証し人を救うために出てきており、多くの地元の人々が大法によって救い済度されました。ある時、地方から同修が地元にやってきて、道を歩きながら人々に真相を伝え、三退を勧めました。そして何人かに続けて聞いてみると、皆、真相を理解しており、すでに三退していたということでした。地方の同修は感動して、「○○市の大法弟子はしっかり行っており、三退した人がたくさんいました!」と言いました。
前出の裁判所に出席した同修のいとこのように、真相を理解して正義の行為を示す人がたくさんいました。ある日、同修のいとこが小さな市場で仕事を待っていた時、突然叫び声が聞こえ、年配の男性が年配の女性を掴んで離さないでいるのを見ました。年配の女性は法輪功の真相DVDをこの年配の男性に配ったからでした。市場から10メートルほど離れたところには警察署があり、年配の男性は年配の女性をつかむと「警察署に行くぞ!」と叫びながら警察署の方へ引っ張っていきました。
同修のいとこが年配の男性にぱっと駆け寄り、年配の男性の手を掴んで「2人とも喧嘩はやめて、手を放してください!」と言いました。同修のいとこは年配の男性の手を勢いよくひきはがそうとしましたが、年配の男性は手を離そうとしなかったので、同修のいとこは「おじさん、手を離さないと手加減しませんよ」と言いました。同修のいとこが怒っているのを見た年配の男性は、すぐに年配の女性を放しました。同修のいとこは年配の女性に「早く行ってください!」と言いました。年配の男性は同修のいとこに「彼女と私は家族ではない、彼女は法輪功だ!」と言いました。実は、同修のいとこは、2人が家族でないことを知っており、「あなたたち2人は家族ではないのですか? それなら彼女は悪い人ではないし、もし彼女が何かをくれて、あなたがそれを望まなかったとしても、なぜそれを警察署に届ける必要があるのですか?」と言ったのでした。そう言って、同修のいとこは年配の男性の手から真相DVDを取り上げました。同じような義挙はたくさんあるので、ここではすべてを紹介することはしません。
結び
地元の大法弟子が共に歩んできた道のりを本文で再現しました。法を正す時期の20年間の修煉の経歴を、私は感慨深く振り返ると、師父の無量の慈悲が、弟子が今日まで歩むのを加護してくださったのでした。法を正す時期の修煉過程では、法を実証する輝きもありましたが、自分の執着心が取り除かれていないために、法を実証することにもたらされた障碍と同修間の隔たりもありました。私たちの地区の大法弟子の修煉が全体的に向上してきたため、隔たりはすでになくなりました。
弟子は謹んで師父のお教えに従い、内に向けて探し、絶えず精進いたします。これからも今までと同じように、同修と団結しお互い円融し不足を補い合い、地元で法を実証し、より多くの衆生を救い済度するためにしっかりと続けていきたいと考えています。
文章の中に妥当でないところがありましたら、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『精進要旨三』「学習者の文章に対する評注」
(明慧ネット第19回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)