文/湖北省の大法弟子
【明慧日本2023年3月12日】息子は出産予定日より1カ月半早く生まれてきた未熟児です。出産の時は、体重は2500グラム未満で、生後1カ月間、目を開けることもなく、唇は濃い紫色をしていて、私の母は心配で息子をお風呂に入れることもできませんでした。息子が1歳半のとき、手術を受けましたが、腸重積と誤診され、それ以来、毎月のように熱と咳に悩まされ、いつも10日ほど点滴を打ってからようやく治っていました。その時、私と夫はいつも息子のために病院で夜を過ごしていました。
息子は3歳の時まで言葉が喋れず、同僚からは「頭の悪い子を生んだ」と陰口を叩かれました。また 息子は小学校に入ると、体が弱いため同級生からよくいじめられました。 私は息子に「一緒に煉功しよう」と声をかけましたが、「夏休みが終わってからにする」と言いました。 しかし、息子が休み明けに数日間公園で煉功し始めた頃、共産党による法輪功への迫害が始まりました。その年、息子は11歳でした。
迫害が始まってから、私は息子と一緒に『轉法輪』を読んで、家で煉功しました。 その後、息子は熱や咳が出なくなり、点滴を打つこともなくなりました。2000年10月の休暇中、私は12歳の息子を連れて北京に行き、法輪大法の無実を訴え、2人で天安門広場で観光客に法輪功迫害の事実を伝える資料を配りました。
その後、私は共産党に不当に拘禁され、洗脳班や強制労働収容所に入れられました。息子は面倒を見てくれる人がいなかったため、夫は息子を寄宿舎に送りました。ある時、学校が生徒たちに法輪功を中傷する横断幕に署名するよう求めましたが、息子は署名せず、クラスメートにも署名しないよう伝えました。 私が刑務所から帰宅すると、それまで痩せていた息子が頭一つ分背が伸びていることに驚き、慈悲深い偉大な師父が息子を見守って下さったのだと思いました。
息子は高校生の時、すでに身長が184㎝ありました。 今の子どもたちはわがままな子が多いのですが、息子は誠実で、人の役に立ちたいと考えていて、勉強もできる子でした。息子は副班長をやっていて、クラスでウォーターサーバーの水の交換や、電球の交換、クラスの荷物運びなど、重くて汚い仕事がある時はいつも先頭に立ってこなしていました。 先生もクラスメートも、みんな彼のことをとても気に入っていて、将来息子のような人と結婚したいと言う女の子も多くいました。
息子は有名大学を卒業後、大企業に就職しました。息子の専攻は金融でしたが、就職後独学で司法書士国家試験に合格しました。 司法書士国家試験は非常に難関で、司法専攻は合格するまで数年間試験を受けるそうですが、息子は一発で合格しました。 同僚たちは、「あなたの息子は本当に優秀だ、あなたが家にいなくてもこんなに勉強ができて、しかもイケメンでね」と言いました。私は、「彼は神が見守ってくださっているので、私よりずっと良い」と言いました。
息子の運命を変え、人材になるよう育成して下さったのは大法の力だと思います。 かつて私は、誰もいないスタジアムで、師父が私と息子を、左右の大きな手で天国の素晴らしい世界へ運んでくれる夢を見たことがあります。
縁のある人には、本当に『轉法輪』という本を読んでほしいです。それは人々を本性に立ち返らせ、天国に帰る道に導いてくださる貴重な本です。師父の慈悲なる救い済度に感謝いたします。これからも師父に従って精進し、多くの人々を救い、前世での大願を成就させたいと思っています。
師父に感謝いたします! 大法に感謝いたします! 合掌