重慶市の頼元昌さんが不当監禁中に死亡
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 【明慧日本2023年3月16日】中国共産党が法輪功への弾圧を開始して以来、重慶市江津区の法輪功学習者・頼元昌さんは2回にわたって労働教養を強いられ、また2回にわたって実刑判決を言い渡された。2020年、頼さんは放浪を余儀なくされた。昨年9月、頼さんは娘の家に押し入ってきた警官らに連行された。留置場で不当に拘禁されていた頼さんは突然病院に運ばれ、今年1月1日に急死した。享年74歳。

 法輪功は世界の人々に親しまれる精神修煉法であるが、1999年以来、中国共産党によって迫害されている。

 家族は死亡の知らせを受けた後、現場に駆けつけて当局に亡くなった経緯の説明を求めた。徳感鎮派出所側は自分に非があることがわかっており、9万元(約180万円)の賠償金を支払うことを承諾した。

 頼さん2004年6月、不当に連行されて2年の労働教養を強いられた。

 2007年11月、頼さんは江津河口村で法輪功迫害の実態が書かれた資料を配布していた際、不当に連行されて拘束された。

 2008年6月、頼さんは神韻DVDを配り、法輪功迫害の実態を伝えていた際、支坪派出所の警官らに連行され、1年後に懲役3年の実刑判決を言い渡された。永川刑務所で、頼さんは「凍刑」という拷問を受けた。厳寒の冬に、一枚の服だけを着せられて山に立たせられ、身体がちょっと動くと煙草の火で足の毛を燃やされ、肌が火傷した。更に、眼球をほじくられる拷問も受けた。

 刑務官は頼さんの信条を放棄させるため、2010年冬の初めから最後にかけて、朝7時から夜7時まで、積もった雪の上に座らせた。居眠りをした場合、刑務官が受刑者に指示して煙草の火で頼さんの瞼を火傷させた。また、座る姿勢が正しくないと、殴られたり蹴られたりしていた。

 永川刑務所で拷問を受け尽くした頼さんは2012年5月にやっと出所したが、家にまだ着いていないのに再び連行され、拘禁された。

 2012年、頼さんは市場に行く途中、法輪功迫害の実態が書かれた資料を配布していた際、また現地派出所の警官らに連行され、江津裁判所に懲役3年の実刑判決を下された。

 2020年、頼さんは街で法輪功迫害の実態が書かれた資料を配布したとして誰かに通報され、連行されそうになったが、脱出して放浪生活を余儀なくされた。支坪派出所の警官が頼さんの娘に電話して脅かした。

 2022年、中国共産党が第20回全国大会が開く前、全国各地での連行行動が強化された。支坪派出所の警官らがあちこち捜して回り頼さんの居場所を探し出した。同年9月7日、徳感鎮派出所の警官ら一団が居丈高で娘の家に駆けつけ、防盗門をこじ開けて室内に侵入して頼さんを連行し、江津留置場に拘禁した。

 頼さんは留置場に拘禁されてから健康状態が急速に悪化した。留置場でどれほどひどい目に遭ったか詳細は分かっていないが、昨年12月31日に病院に運ばれた頼さんは手遅れとなり、翌日激しく闘病しながら死亡した。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/7/457479.html)
 
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