文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2023年3月18日】2020年の中共ウイルス発生以来、中国の都市の閉鎖は深刻で、子どもたちは自宅でインターネットの授業を受けるようになりました。インターネットの授業中、親が子どもを見ている時間が少ないと、子どもはどうしてもこっそり携帯電話やパソコンをいじってしまいます。
現在(訳注:2022年11月)は、携帯電話やパソコンで好きなものを見て、好きなことで遊べる時代です。子どもはもちろん、大人でも自分をコントロールするのは難しいのです。その結果、子どもたちの学力は大幅に低下し、親たちは頭を抱え、無力感にさいなまれています。
師父は「皆さんだけではなく、この世界の全ての親、政府がこの状況を分かっていますが、どうすることもできません! 法を得ることに影響しているだけでなく、人々はこれが原因で仕事も勉強もおろそかにしており、大量の時間をコンピュータやゲームに費やし、それに没頭するよう誘惑されているのです。すでに人間の状態ではありません」[1]と説かれました。
私の家は「小中高生の昼食をまかなう食堂」を営んでいますが、いろんな子どもが来ます。親が来た時に、子どもが携帯電話をいじっていると口うるさく言う親の気持ちがよくわかりました。子どもたちが私の家に来たのは縁があるので、法輪大法だけが子どもたちを救うことができると思いました。
そこで、私は子どもたちを連れて、法を勉強して暗記させ、休日には子どもたちを煉功させ、大法弟子の修煉体験の交流を聴かせました。法を学んでから子どもたちは大きく変わり、親は希望を見いだし、子どもたち自身も自信を持つことができました。以下に、子どもたちの話の中から二つを紹介します。
シンシンの変化
シンシンは、2019年7月、5年生の時に遠方の農村からやって来た男の子でした。シンシンは毎日ゲームに夢中で、勉強が嫌いなため、成績は芳しくなく、基本的なことはみなわからず、課外活動の知識は言わずもがなでした。話し方も口が悪く悪態をよくつきました。シンシンの両親は農業を営んでおり、子どもに時間を割くことはできませんでした。このように堕落している子供を見て、シンシンの両親はとても心配し、シンシンの叔母に頼んで、私の家に連れてきてもらったのです。
私の家にはテレビもなく、携帯電話も持たせてもらえなかったので、シンシンが来た当初は泣いて家に帰りたがっていました。一日中、頭をかきむしったり、服をねじりながら、行ったり来たりしていました。シンシンは母親に電話したかと思えば、叔母に電話したりして、とにかく面白くないといった感じでした。最初の1週間は、単母音の発音記号を五つ、1時間半かけて教えましたが、シンシンは全く身につきませんでした。シンシンは12日間私の家にいて、一文字も書かず、一冊の本にも触れず、ただ携帯電話をいじることだけを考えていました。
シンシンが何も学べないのを見て、私はシンシンの叔母に「この子は携帯電話に夢中になっているので、短期的に成績を上げるのは非常に難しいでしょう。まず法を学び、心を安定させてはじめて、学ぶことができるので、そうでなければできないでしょう」と言いました。シンシンの叔母は「わかりました、彼に法を学ばせましょう、急ぐことはありません」と言いました。そこで、私はシンシンを導いて、法を学び始めることにしました。
最初、シンシンは法を学ぶことを好まず、怒り、不快になり、手足を動かして場をかき乱し続けました。煉功はもちろんのこと、耳や頬をかきながら、まるで猿のようでした。法を学んで1カ月が過ぎたころに、携帯電話をいじりたがらなくなり、落ち着いてきました。シンシンは真剣に法を学ぶことができるようになり、煉功もきちんとできるようになりました。双盤での座禅を1時間持ちこたえ、足が痛くて泣いても、足を下すことはありませんでした。
シンシンは法を学ぶことによって、真・善・忍に従って行動し、どこにいても良い人、より良い人になることを学びました。親を思いやることの大変さを知り、シンシンはしっかり勉強しました。シンシンはすでに『洪吟』から『洪吟五』までを暗記し、現在(訳注:2022年11月)は『洪吟六』を暗記しています。また『轉法輪』の第三講まですでに暗記しました。
シンシンは毎日率先して法を学ぶことができるようになりました。どんなに宿題が多くても、堅持して法を学びました。大法の師父はシンシンの知恵を開き、体を浄化してくださいました。劣等生だったシンシンは、上から3番目の優等生になりました。今年(訳注:2022年)3年生になったシンシンの抱負は、地元で一番の高校に入ることでしたした。
現在(訳注:2022年11月)のシンシンは、あらゆる面で他人のことを考えることができ、師父や大法への感謝の気持ちを知っており、とてももの分かりがよくなりました。
水霊(5歳女児)の変化
水霊は女の子で5歳の時に私の家にやってきました。私は昼寝の時間を使って『轉法輪』を一字一句読み上げるように水霊を導きました。5カ月ほどで『轉法輪』をすべて読めるようになりました。
賢くてかわいい水霊は、学法を通して、人を思いやったり、3歳の弟の面倒を見たりすることを学んでいきました。水霊は大人のように、何事もてきぱきとこなしました。小学生の時も、水霊は時間の許す限り法を学び、煉功しました。水霊はピンクと白のほっぺたで、成績はトップクラスでした。
しかし、小学校1年生の時、疫病の流行のため、自宅でオンライン授業を受けることになり、水霊は携帯電話で遊んでいました。この遊びでダメになり、WeChat、ゲーム、ビデオ、よくないものすべてを行い、もう自分をコントロールできなくなりました。
最初は少し法を学んでいたのですが、その後、法を学ばなくなり、煉功もしなくなり、しっかり勉強しなくなり、成績もジェットコースターのように落ちていきました。その一方で、弟と一日中喧嘩ばかりして、親に迷惑をかけ、泣いてばかりで魔性が大いに発散しました。水霊は親の言うことを聞かず、母親が携帯電話を壊しても、まだ古い携帯電話で遊んでおり、両親はもう水霊をコントロールすることができませんでした。水霊の両親は生活のために遠方に出稼ぎに行かなければならず、私の家に水霊を送ってきたのでした。
この頃、水霊は全く手のつけようがなく、話す時に汚い言葉を使い、機嫌が悪くなると人を罵り、ピンク色の顔が黒くなり、黒い斑点がたくさんでき、毎日泣いてばかりで、食事もろくに食べず、時には1日1食で、時には一口も食べないこともありました。
その時は正に疫病が流行していた時で、食堂や幼稚園はすべて閉鎖され、私の家の子供だけがここに滞在していました。水霊が泣くと、大きな影響がありました。水霊は相変わらずブツブツと声をあげ、外にいる人たちは立ち止まって聞き、議論し、私の家を見て、そこで何が起こっているのかと思うほどでした。水霊をいくらなだめても、説得しても、道理を説いてもダメで、なだめればなだめるほどひどくなっていきました。夜も寝ないで、飽きたらスツールに横になりました。朝起きてから、一日中泣きながら、家に帰ってケータイをいじれる日が来るのを待っていました。
師父は「人間には中毒という言葉がありますが、中毒とは何かを教えます。医学的に、快楽を司る神経が刺激され、発達すると依存症になると言われていますが、そうではありません。どういうことでしょうか? 時間が経つにつれ、あなたの体にあなたの姿形と全く同じもう一人のあなたが出来上がります。このもう一人のあなたは執着によって構成され、あなたを制御しています。とても強い執着があなたの姿形を形成したため、あなたの心を制御してしまうほど強い力を持っています。とても強い心によって形成されたからです」[2]と説かれました。
私は水霊と法に則って交流しましたが、水霊は私の話を聞き入れませんでした。3日目、水霊はキャスター付バッグを手に取り、泣きながら家を出て行こうとしました。私は水霊の母親に電話し、私と水霊の母親がああ言ったりこう言ったり説明して、水霊は出て行くのをやめましたが、やはり泣き続けていました。私が他の子供に教えに行くと、水霊は私のそばで泣き、私に授業をさせませんでした。私が他の子供をどの部屋に連れていっても、水霊は泣きながらテーブルを揺り動かしました。そして、窓を開けると外にいるにいる人みんなに聞こえてしまい、食堂を開けることは許されませんでした。かき回したら、水霊の母親は帰ってくるでしょうか? 水霊は家に帰って、再び携帯電話で遊べないのでしょうか? 2人の子どもが、水霊が騒ぐので来るのを怖がっていました。
7日目、私がトイレに行っている間に、水霊はキャスター付バッグを持って私の家をこっそり出て行きました。私が再び水霊の母親に電話すると、水霊の母親はとても怒って私に「お姉さん、あなたは探しに行かなくてもいいです。今回探しても、彼女は次にまた出て行くでしょう。彼女はやりたい放題です!」と言いました。
私は水霊に正念を発し、師父に水霊を守ってくださるようにお願いしました。水霊は午後2時に出て行って、午後9時過ぎに帰ってきました。帰ってきてからも食事もせず、寝たのは夜中の3時過ぎでした。翌朝、水霊は目を覚ますと、やはり泣き続けていました。水霊は、毎日騒ぎ方が異なりました。このように一日騒いでも、私の心が動かないのを見ると、次の日は再び新しい戦術に変えました。水霊は10日間、舞踊学院に通ってダンスし、私が毎日送って行った時は騒ぎませんでした。迎えの時は、私はいつも水霊のために何か美味しいものを買ってあげました。食べ終わる時もあれば、あるいは時には食べ終わらないで、また騒ぐ時もありました。時には、道の半分まで来たところで、後ろを向いて逃げ出し、まったく家に帰ろうとせず、地面に座り込んで泣きわめくこともありました。私は外で水霊に付き添い、水霊のために正念を発しました。
10日以上が経った時、家の中のベッドや食器棚、壁を壊すなど、騒ぎ方をエスカレートさせました。水霊がどんなに騒ごうとも、私は怒らず、動じませんでした。私の家の中のものはすべて頑丈で、何も壊れないと思っていたのですが、そうではありませんでした。
ある時、水霊は私の腕を両手でつかみ、5時間も強くつねったことがありました。私が心の中で水霊に正念を発しても、水霊はやめようとしませんでした。そこで私は「徳を与えてくれて、ありがとう! ありがとう!」と言いました。水霊は私の腕を黒紫色になるまでつねり、大きなお椀の口よりも大きな紫色の跡がつくまで離しませんでした。その時は水霊も疲れていたのか、あまり大きな声で泣くことはありませんでした。水霊の母親に簡単に事情を話すと、母親は涙を流しながら「先生、お疲れさまです、先生は多くのことを引き受けてくださっています。彼女の祖母や叔母に来てもらって彼女のことを見てもらいます」と言いました。私は「いけません! 今の彼女の状態で、お年寄りに迷惑をかけられるのですか? コントロールできないから彼女に付き合うしかなく、彼女はまた携帯電話をいじってしまうのではありませんか? それでは無駄な努力になってしまうのではないでしょうか?」と言いました。
これは水霊自身がこのようにしたいと思っているのではなく、水霊の背後にいる携帯電話の魔が水霊に行わせているのだということを私は知っていました。魔があの手この手で私に水霊を諦めさせようとし、魔は生き残れるか、さもなければ死ぬしかありませんでした。私は、魔の手に乗ってはいけない、と思いました! 水霊も師父の子供弟子です! だから私は水霊に親切に対応しました。
師父は「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[3]と説かれました。
水霊の中の魔が休む暇もなく、子供(訳注:水霊)が自然によくなるようにするために、私は水霊がこの関を乗り越えられるように手伝わなければなりませんでした。
20日が過ぎた頃、水霊は泣き止みましたが、まだ勉強はせず、法も学ばず、私は水霊に法を学ばせる方法を探そうと思いました。最初、私は「法を覚えて、お互いにテストしてみましょう。あなたが私をテストしてみてもいいんじゃない?」と言いました。そして、水霊は毎日私にテストを出しました。数日後、私は水霊に一緒に法を学びましょうと誘いました。こうして、水霊は再び法に溶け込み、少しずつ、私たちの煉功に参加するようになりました。
子ども(訳注:水霊)の変化は速く、水霊は法を学び、煉功すると、その小さな顔がピンクと白になりました。現在(訳注:2022年11月)では水霊の性格は明るくなり、泣くこともなくなりました。この子ども(訳注:水霊)は法を学ぶのが早く、現在(訳注:2022年11月)『轉法輪』を2回暗記し『洪吟』から『洪吟五』までをすでに暗記し終えました。
師父にお礼を申し上げます! こんなにも多くの手に負えない子どもを救い出してくださったのは、師父の慈悲でした! 師父のご恩に感謝申し上げます! 大法に感謝申し上げます!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十四』「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十五』「二〇一九年ニューヨーク法会での説法」
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法は乾坤を正す」
(明慧ネット第19回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)