海外の小弟子「師父は私たちの身近にいます」
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 【明慧日本2023年3月20日】私はカナダの法輪功の小弟子で、今年で12歳です。最近修煉で経験したことや、感想を皆さんと共有したいと思います。

 一、食べ物への執着心を取り除く

 修煉を始めてから、私は食べ物への執着心があることに気づきました。数か月前、母親が私を連れて、隣人の小さな女の子と彼女の母親と一緒に、近くの町に遊びに行きました。私たちはとても大きなショッピングモールで楽しんでいました。昼食にはたくさんのものを食べました。食後、私はとても大きなアイスクリームを買いました。普段、母親は私にこんなに甘いものを食べさせてくれないので、当時はとても満足していました。しかし、帰り道で、私はとても不快な気分になりました:頭痛、お腹が痛くなり、体調が悪くなりました。最初は我慢して、母親に言いませんでした。

 小さな女の子も私と同じように食べ物への執着心があるようで、私よりも大きなアイスクリームを買い、帰る途中でたくさんの美味しいものを買って食べました。その結果、彼女は途中で食べたものを全部吐き出し、とても苦しそうでした。その時、私は、私もとても苦しいと母親に話す勇気が出ました。

 私は苦しかったけど、吐かずにすんだのはおそらく師父が助けてくださったからかもしれません。

 母親は私に内向きに考えるように言いました。私は食いしん坊なので、これが原因だと知っています。もともとお昼ご飯は十分に食べていたのに、アイスクリームを何週間も我慢していたため、母親が買ってくれることに同意してくれたので、大きいサイズを注文しました。母親は私が食べきれないかもしれないと心配して、少し分けるように言いましたが、私は自分で全部食べてしまいました。これは私が食べ物に執着しているということが分かりました。

 苦しいと感じるまで気づかなかったのですが、自分を制御し、欲望に耐えて少し食べることができたら、このような苦しみはなかったでしょう。

 また、その女の子は大法を修煉していないので、私が彼女に良い手本を示さなかったため、私と同じように食べ過ぎてしまいました。しかし、彼女には師父の保護がなかったため、彼女は食べたものを全部吐き出して、私以上に苦しかったに違いありません。私の執着心も、彼女に問題を引き起こしました。良い手本を示さなかったことが問題だったのです。

 最近、私は急速に成長して、母親よりも背が高くなりましたが、母親は私をまだ子供だと言っています。今回のことで私は納得しました。それは私が強い意志を持っておらず、執着心が出てくるときに、正しい考え方で自分の行動を正すことができないからです。これは子供の特徴です。人が成長しているかどうかは、身長や髪の長さとは関係ありません。師父の教えに従って、自分の欲望や衝動(しょうどう)を本当に我慢できる人こそが、本当の成長を遂げた人です。

 二、他の空間の景色を見たい執着心を捨てる

 多くの年月が経ちましたが、明慧ネット上の法輪功小弟子たちの修煉体験の交流を聞いていると、他の空間を見ることができる小弟子の仲間がいることがよくあります。そこで、天上の風景や仙女などを見ることができ、とても羨ましく、私自身も天目を開いて、他の空間の生命を見ることができるようになりたいと思っていました。

 数日前、母親が私に「正念が強くなければ、他の空間には多くの魔がいます。法を学ばず、修煉しないと、周りの悪い生命が直ちに人の体に入り込んできて、人を支配します。それらの生命は私たちを見ることができますが、私たちはそれらを見ることができません」と話してくれました。母親の話を聞いて、私は「私は妨害されやすい子供かもしれません。師父が私の天目を開かなかったのは、私を守るためかもしれない」と考えました。

 師父が『轉法輪』の「煉功して魔を招く」の中で次のような事例をあげました。とある三十代の若い男性が座禅中に観音菩薩によって見せれくれた美女に誘惑されたとき、その人はとても正念を持っていたので、老子と阿弥陀佛に褒められ、「孺子教う可し(じゅしおしうべし)」と言われたそうです。私は、もし私が他の空間の何かを見た場合、彼らが私を妨害し、騙すようなことがあるとしたら、私は心を守れずに間違いをしてしまうかもしれないと思いました。それゆえ、師父は私に天目を開かせず、私にはほかの空間を見せてくれませんでした。師父は私にとって最高の按排をしてくれたのです。

 そこで、私はもう他の空間を見たいという執着心を捨てることにしました。

 三、困難の時、私は心の中で師父に祈る

 私は多くの困難に直面してきました。多くの場合、師父を思い出すことはありませんでした。しかし、時には師父を思い出して、助けを求めると、物事が変わることがあります。

 ある時、母親がシャッターを整理していたところ、誤って(あやまって)落としてしまいました。父親が家にいないので、シャッターは重く、母親は1人で持ち上げるしかありませんでした。当時私は母親に少し腹を立てていました。父親がいないので、母親がこうなったのは当然、誰も手伝ってくれないんだと思っていました。

 私は自分の部屋に入り、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と唱えました。徐々に怒りが収まり、私は師父に母親を助けるようお願いしました。しばらくして、隣人から母親に電話がかかってきました。隣人は私の母親が電話をかけてきたとき、ちょうど買い物に行くつもりだったが、今はその予定を変更して、すぐに私の母親を助けに来ると言ったのです。隣人が来たので、母親を助けることができました。

 ある雨の日、私と友達たちは学校のグラウンドで遊んでいました。雨でみんな濡れてしまいました。私は師父を思い出せませんでした。私も濡れてしまいました。翌日、私たちがグラウンドに着くと、雨が降りそうな雰囲気が漂って(ただよって)いました。そこで私は心の中で、今は雨が降らないようにと師父に祈りました。本当に、その時は雨が降らず、私たちが遊んでいる間、降らなかったのです。私たちが教室に戻った後、雨が降り始めました。

 その日は雨が非常に大量に降っていました。まるで蛇口が一番大きく開いたような感じでした。私は傘を忘れてしまいました。放課後に雨が止んでくれることを心から願い、濡れる(ぬれる)ことがないようにと師父に助けを求めました。そして、放課後になると、雨は本当に止んでいました。

 私は理解しました。師父は本当に私たちの側にいるのです。私たちが何を思っているかを師父はすぐに知ることができます。だから、私たちが良いことをすれば、師父は見てくれますし、私たちが悪いことをすれば、師父もすぐに知ることができます。

 不足なところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/12/6/452774.html)
 
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