文/海外の大法弟子
【明慧日本2023年3月20日】私は2020年2月に、法輪功を学び始めた38歳の弟子です。私が法を得た経験は非常に神秘的でした。
それは、2020年2月のある日、夢の中で、天将と仙女が私に近づいてきて「法輪聖王を探して、あなたの心の疑問は解決されるでしょう」と言いました。その後、私は偶然にも別の法輪功学習者にSNS上の法輪功コミュニティに招待されて、法輪功を知り、学び始めました。それ以来、私は師父の説法ビデオを見始めました。そして5月になって、私は『轉法輪』という本を手に入れ、夢の中で言われたことが本当であることに気づきました。
師父が私の身体を浄化して下さいました
初めて師父の説法ビデオを見た時、突然、師父の後ろに金色の光が走り抜けるのを見て、びっくりしました。私は毎回、法を聞くたびに、最初の10分間だけ師父の説法ビデオの内容を見ることができましたが、その後、全身が麻痺して机に伏せたまま動けなくなりました。しかし、動けなくても説法の内容は記憶に残っています。法を聞いた翌日、師父は私の体内にあるたくさんの悪い物質を浄化して下さいましたが、私は全身が痛くて時々寒気がしました。それでも、私はまだ師父の説法に集中していて、その言葉が私の心に響いてくるのを感じました。
説法ビデオを見て7日目、私が就寝の準備をしていた時、師父の法身が現れ、私の額に手を置かれたたので、私はびっくりしました。師父の法身は私に怖がらないようにと言って、私に灌頂をしてくれると伝えられました。当時、私は灌頂とは何かが分かりませんでしたが、頭頂から四肢に向かってエネルギーが流れるのを感じました。まるで電気が流れるかのようで、私の身体は飛び上がったかのように感じましたが、数分後には元に戻りました。
また、私は別の空間を見ることができ、自分の真の姿が奇跡的に変化したのを見ました。師父は私のためにたくさんのことをして下さいました。あらゆる側面で私を浄化して下さいました。師父が私の外側の身体を浄化されているとき、私はとても痛かったです。
第九講のビデオが終わると、私の体調は元に戻り、その後、胃病は再発せず、気絶することもなく、毎月医者にかかる必要もありませんでした。
2年以上の実践を通じて、私の身体は絶えず業が消されていきました。あらゆる病気や業が五臓六腑から始まり、そして皮膚上の様々な病気や口内炎などに至るまで、次々と出てきました。私は業を消し去る苦しみを何度も経験し、生死の試練に立ち向かいましたが、大法への信念を頼りに、自分自身を徐々に高めていきました。以降、すべての病気や業を消す現れがなくなりました。これらの変化は、身体表面に限らず、私が別の空間で見た身体でも明らかに浄化されていることが分かりました。
天目が開いたまま修煉する
私は幼い頃から天目が開いていて、小さな能力もあって、他人には見えない霊体や豚、魚、鳥などの動物と意思疎通することができました。両親は私が重い病気にかかっていると思って、偽の気功師に治療を受けさせましたが、私の体はめちゃくちゃになってしまいました。私の「病気」は治らず、霊体を呼び寄せることになってしまったのです。私は攻撃してくる霊体と戦わなければならず、それは非常に恐ろしいことでした。しかし、誰も私を理解し、助けることができず、私自身も説明することができませんでした。私は自分の小さな能力で他人の病気を治療することもよくありましたが、そのために他人の業力を代わりに負担することになってしまいました。大法を修煉した後、すべての問題は師父によって解消されました。
法輪大法を修煉するようになると、私の天目はますますクリアでリアルに見えるようになっていきました。知ることが多くなるほど、妨害や試練も増えていきます。これらの妨害は時には幽霊の形をとったり、恐ろしい顔をしたり、様々な形に変化したりして、私を脅かしました。私は怖がらずに立ち向かうと、それらは私の命を狙ってくるようになりました。それらは師父の姿に変化して幻覚を引き起こし、私を連れて行こうとします。これら外部からの妨害は、私が坐禅するときの入定を妨害します。しかし、法輪大法を堅持し続けた結果、私は今、あらゆる形の霊体の妨害から完全に解放されました。
修煉が進むにつれ、私の能力もますます強くなっていきました。ある時、天目で屋根を通して星を見て、遠い星系を見ることができました。それは近くにあるような感覚で、銀河は目の前にあり、非常に現実的でした。
師父が説法の中でがおしゃった霊体、生命、そして遥視や宿命通などの多くの功能について、私は2年以上も経験してきました。私は前世や因縁の人、未来のことを非常に正確に見ることができます。また、多くの時に元神が体を離れて元婴を見ました。私は師父の功身、法輪、老子などを見ました。私は寝ているときに飛び上がって、直接壁に飛び込み、壁の中の広い空間に入りました。中に閉じ込められるのではと心配しましたが、離れたいと思うとすぐに戻ってきました。
私が経験したすべては、私の修煉を助けるために師父が用意してくださったものだと信じています。
私は「三花聚頂」というプロセスを経験しました。私は多くの神秘的なものを見ました。私は功の形を見ました。高いエネルギーを持つ発光物質で、内側には多くの内輪があり、その波紋が複雑で奥深いのです。今、私は以前はどのように人々の病気を治すことができたかを理解するようになりました。もう誰かの病気を治すことはしたくありません。
その後、すべての功能が消えました。私は、私の体の深い場所に置かれたのだと思いますが、私の天目はまだ残っています。私は悟りました、私はまだ修煉を続けなければならず、師父は私の功能が表に現れないようにして下さったのです。
私は、功能を追求してはならないことを理解しています。師父が要求されるとおりに、毎日法を学び『轉法輪』と師父の他の説法を学び続けます。時には、頭から足までエネルギーが通ってくる感じがあり、法を学ぶほどにクリアになり、感覚が強くなります。もし『轉法輪』を2講学ばなかったら、体が虚弱に感じ、仕事が大変になるでしょう。正念を発することを忘れたら、妨害がやってきます。ですから私は毎日修煉に熱心に取り組むようにしています。修煉がある程度昇華された後、師父は成就した部分を隔離されます。成就した部分が隔離されるたびに、私はより厳しい試練に直面しなければなりません。魔難はますます大きくなり、非常に苦痛ですが、私は苦難を乗り越えて修煉を続けています。
様々な常人の執着を捨てる
修煉する前、私は常に食べ物について観念を持っていました。それは食べ物は美味しくなければならず、料理も非常に細かくしなければなりませんでした。しかし、それが食べ物に対する執着であることを知ったとき、私は執着を捨てるよう努めました。満腹になればよく、自然に任せるようにしました。普段、私は店に行くとき、いつも少し遅い時間にいって。残ったものを買い、何を食べるかも先に考える必要はありません。食べ物の良し悪しは問わず、何を食べるか決める必要もありません。時には社交の場に出かける必要があるときもありますが、常人社会の状況に合わせる必要があります。
私の家にはテレビもエアコンもパソコンも、どんな現代的なものもありません。これらの誘惑を受けません。しかし、私はスマートフォンで映画を見たり、音楽を聴いたりしています。今はこの執着を捨て、スマートフォンの妨害を取り除き、日々の修煉に励んでいます。
私は真剣に考えたうえで、夫婦生活を適切に処理し、極端に走らないようにしています。ほかの空間では色欲心は魔の一種の形を表しています。それは何世もの業を造り、多くの輪廻のプロセスを経て形成されたものです。制御できない欲望は、悪魔を養うものであり、完全に取り除く必要があります。男女や異性との修煉仲間など、交流が必要な場合は適切に行い、明確で透明なコミュニケーションを心がけ、一般人の誤解を避けるべきと思います。
大法の修煉の中で絶えず昇華する
私は修煉することこそが人生で最も重要なことだと悟りました。私の家族、友人、親戚など、私の人生の中で縁のある人々は、私の修煉に関係しています。家庭では、良き母親、良き妻、良き姉妹としての役割を果たします。私は自分自身が大法修煉者であることを常に忘れず、真・善・忍の教えに従い、利益に動じず、穏やかな心を保つように努めています。
私が魔難に苦しむと、大法は私に力を与えて下さり、難局を乗り越えることができます。最初は不可能だと思われることも、私は師父の教えを忘れず、大法を信じ、大法の弟子は超常的であり、生死を超越して何でもできると信じています。
大法の素晴らしさを家族に広める
法を得たばかりの頃、私には大法の本がありませんでした。法を聴くことしかできませんでした。法を聴く時はいつも集中して、家事も一切しなくなり、夫はそれをみて心配しながら怒りを爆発しました。私はいつも微笑んで、穏やかに彼と話し合いました。その後、同修の一人が『轉法輪』という本を持って私の家にやってきました。夫はすぐに本を手に取って読み始め、すぐに法を得ました。それ以降、私たちの娘も一緒に法を読むようになりました。
私はこの素晴らしい大法を周りのすべての人に伝えたいと思いました。「お母さん、佛様は人々を救うために降りてきて、大法を伝えました。私は幸運にも法を得ることができました。修煉を1カ月行い、昔のように魔が私を妨害することはなくなりました。『轉法輪』という本をよく読んでみてください。とても素晴らしいです」と母に言いました。その後、父は母が毎日『轉法輪』を読んでいることに気付いたので、父も法を得ました。
私は祖母やいとこなどの親戚にも法を伝えました。いとこは『轉法輪』を読み終わった後、祖母にこの本はとても良いと言いました。しかしほかの空間の邪悪の妨害により、祖母は真剣に読むことができなかったのです。それ以降、私が祖母を訪ねるたびに、娘は彼女のために正念を発し、邪悪の妨害を排除しました。以前は自分の心が純粋ではなかったため、私は祖母が法輪大法を修煉すれば救われるので、少なくとも祖母が法を学び始めたら、いい人になるだろうし、それで、私もより楽な生活を送ることができるだろうと考えていました。しかし、私の純粋ではない心が祖母の修煉の妨げとなりました。私は自分の誤りに気づき、今後人に大法の素晴らしさを伝えるときは、人心が混ざらないように気を付けるべきだと自分自身に言い聞かせました。その心を取り除いた後、奇跡が起こりました。祖母は私が話す修煉の物語を聞くようになり、それから自分で功を煉り、正念を発し、法を学ぶようになりました。
ある日、私は叔父の家に行き、叔父とその奥さんが病院から帰ってきたばかりだったので、病業について話しました。その時、他の空間の邪悪が私を妨害するように3人を操りました。私は黙って正念を発し、彼らの背後の邪悪を消滅させました。同時に、慈悲の心と笑顔を持って彼らと交流しました。すると、3人は目が覚めたかのように、急いで帰宅しました。その後、師父の教えの功法DVDを叔母に見せました。叔母は「あら、仏様があなたに功法を教えているわ」と驚きました。叔父の表情があまり良くなかったのは、邪悪が彼を妨害していたのですが、私は慈悲の微笑みを浮かべて叔父を見つめていました。しばらくすると、叔父も叔母と一緒に師父の説法のビデオを見るようになりました。
恐怖心を克服し、慈悲心で人を救う
法を学ぶことにより、慈悲心で人を救うことで、善の力が巨大な効果を持つことに気付きました。以前私に親切だった人々は、今ではもっと親切になりました。私に対して悪かった人々も、今ではとても良く接してくれます。以前私と連絡を取らなかった人々も、徐々に連絡を取り合うようになりました。私の周りの環境が変わり、真・善・忍が増え、知らない人への恐怖心が自然に消え、他人を警戒する心もなくなりました。人々と簡単に交流することができ、知らない人が突然助けを必要としたときでも、助けることができるようになりました。
毎日周りの人々を見て、仕事やお金を稼ぐために忙しく、名誉や利益に迷い込んでいることに気づきます。私自身も人生の牢獄に閉じ込められているように感じることがあります。しかし、修煉や修煉環境を考えると、別の視点から見ることができ、そこから飛び出すことができました。私は普通の人と同じように働くことができ、妻や母親としての役割を果たすことができます。家族や友人もいますが、私の心はそこにはありません。私は修煉する日々を大切にし、洪法の機会を大切にし、三つのことをしっかりと行い、師父の正法を助けたいと思っています。機会があれば、その人が誰であろうと、どんな態度であろうと、法を広め、法輪大法が素晴らしいことを知ってもらいたいと思っています。そして、彼らを師父のもとに連れて行き、救済できるように助けたいと思っています。
私は、毎日の通勤途中で出会う人々の中に、私が助けるべき縁ある人がいると信じています。だから、人と出会ったら、すぐに彼に小さな蓮の花と大法の小冊子を渡し、彼に真相を伝えます。
ある日、道を歩いていると、私の父親と同じ年齢の人が、足を引きずって歩いていました。私は彼に近づいて「おじさん、蓮の花を差し上げます、どうぞ受け取ってください」と言いました。彼は頭を振って、この花は必要ないと言いました。私は小冊子を手渡して「おじさん、私の父親もあなたと同じ年齢ですが、父親はいつも腰痛や背中の痛みがありましたが、法輪功を修煉した後、今は健康です。もしそう思うなら、私の家に来てください。私の家はその通りの先にあります...」と言いました。彼は小冊子を抱え、涙ぐんで私を見て、そして私に礼を言いました。
終わりの言葉
私はどんなことに出会っても、日常生活のどんなときでも、自分の内に向けて探すように気を付けています。私は良く自分自身に「私は大法に反しているところがあるか? 私は何か執着してはいないか?」と聞きただします。修煉はとても心地良いことだと感じています。いつも楽観的で、考え方がより明確になり、寛容で慈悲に満ちていると感じています。
私が、本当に修煉に打ち込む決意をするだけで、師父が私を守ってくださり、私が成就に達成するまで私の道を按排してくださっていると信じています。誰も私を止めることはできません。
これは私の修煉における体験です。すべての大法弟子は、師父によって異なる修煉の道を按排されているかもしれませんが、私たちは同じ法を修煉しています。本文にもし適切でない箇所があればご指摘頂ければ幸いです。
最後に、敬愛する師父、師父が私を救ってくださったことに感謝し、師父が私に与えてくださった使命を達成するために、師父が按排された修煉の道を堅く歩み続けることを誓います。
合掌