文/吉林省の大法弟子 慧蓮
【明慧日本2023年4月17日】私は病気のため、1998年12月中旬頃から法輪大法を学び始めた大法弟子です。1998年の半ば頃、私は重い病気で寝たきりになりました。横にもなれず、背中を布団の上に寄せて、足の間や下には何か敷かなければなりませんでした。一言でいうと、自分で自分の面倒を見ることができず、すべて人に頼っていたのです。自宅にいながら漢方薬で調整し、保守的な治療法だと言われていましたが、実は死を待つばかりだったのです。
そんなある日、娘と親しい同級生のひとりが「あなたのお母さんは病気だから、煉功してもらえばいいのに」と娘に言ったのです。そしてその同級生は「姉は長年足の痛みがあったが煉功で治った」と話したのです。娘は「うちの母は床に降りられないのだから、どうやって煉功するの?」と聞いたところ、その同級生は「書籍があるから、あなたのお母さんに読んでもらえばいいのです」と答えたのでした。
そして娘は、私のために『轉法輪』という貴重な書籍を借りてきました。娘は、その同級生から「この功法は病気治療と健康保持に、不思議な効果がある」と聞いたと話したのです。私はちょっと躊躇しながら「あなたの同級生は嘘をついているはずだ、だから読まないよ。だからこの本返してね」と言いました。すると娘は「お母さん、彼らは別にお金が欲しいわけでもないし、どうして私たちをだまさなければならないの? だからちょっとだけでも読んでみてね」と言いました。娘の焦っている様子を見て、私は「じゃあ、キャビネットの上に置いていいよ」と言いました。娘は「この本は大切なものだから、汚さないでね」と何度も私に言い聞かせました。私は少し腹が立ちましたが、病気なのは自分ではないか、自分のためになることなのに、なぜ怒るのかと気づき「わかった」と答えました。
そして娘は「姑の親戚に、お母さんと同じ病気の人がいると聞いたことがあるので、どんな治療をしているのか見に行ってくるね」と言いました。そして娘は「2~3日後に帰ってくるから焦らないでね」と言いました。私は「分かった、焦らない」と答えました。
夫が私に「もう薬はないよ。今夜の分しかない」と言ったので「あのせんじ薬はもう十分だ、もう飲みたくない!」と言いました。その最後の薬を飲み終えたのが夜の9時過ぎでした。私は『轉法輪』を読み始めました。いつだったのか分かりませんが横になり書籍を読みました。11時過ぎまで読んだ時、眠くなったので書籍を閉じ、枕の隣に置いてから寝ました。
目が覚めると5時すぎでしたが、私は再び本を手に取り、身体の向きを変えてから読み続けました。知らない文字も結構ありましたが、とにかく読みたかったのです。読んでいるうちに、起き上がって座って読み続けました。苦しくもなく、自分が病気であることさえ忘れていたのです。
3日と経たないうちに、私は床に降りることができました。家の中が汚いのを見て、洗面器に半分、水を入れ、雑巾を手に取り、家の掃除を始めました。ちょうどその時、娘が6歳の孫を連れて帰ってきました。2人は唖然とし、孫は私に飛びかかってきて「おばあちゃん、どうして床に降りてきたの? 早く奥の部屋に戻ってオンドルの上に上がってね」と言いました。娘も私を奥の部屋に引きずり込みました。娘は父親に向かって「お母さんはどうしたの? 病気が治ったの?」と聞きました。夫は娘に、「あの日、きみが出て行ったあと、夜の9時過ぎからお母さんが本を読み始めたんだ、それから様子が変わったんだよ」と答えました。
2人の会話を聞いて、自分が病気だったことを思い出しました。どうして忘れていたのでしょうか。私は部屋に戻り、頭や身体の具合の悪いところを手で叩きながら、叫びました。「私は元気になった! 私は元気になった! 私は本当に元気になった!」と、全身が軽やかになっていたのです。
あの最後に飲んだ薬が、本当に最後の薬になったのです。あれから24年間、私は薬を一錠も飲んでいません。
師父は、夫に法を学ぶように悟らせてくださった
夫は、私のすべての変化を目のあたりにして、心に留めていたものの態度を変えることはありませんでした。しかし、子供たちは心から喜んでいたのです。長男は他所の都市から大きなテープレコーダーを買って、背負って帰って来ました。私は煉功音楽の入っているテープと、師父の説法の録音テープを購入しました。子どもたちが集まってきて、一緒にテープを聴くことができたのです。どんなに嬉しかったことか、言葉にはできないほどでした。
そして私は、病気のためにやめていた商売を再び始めました。生活に再び希望が見えてきました。
法輪大法は私たちの家族に希望を与えてくれました!
2000年5月のある朝の3時頃、私は同修の家に行って煉功をしました。煉功が終わってから家に帰ると夫が「あなたが家を出てから間もなくして、男の人がやってきて『大法を修める人らは12月に去る』と言ったんだ」と言いました。私は「夢でも見ていたのでは」と言うと「いや、夢じゃない、その時は寝ておらず横になっていた」と言いました。私は夫に「男性はどんな人だった?」と聞くと「かなり背が高く、青い服を着ていたが顔は見えなかった」と答えました。私は『轉法輪』の中の師父の写真を見せましたが、見分けがつかないと言いました。そして私は夫に言いました。「大法を修める人が、去るということを教えてほしいと言った訳ではなく、あなたに『大法を修める人が去る』と言ったのよ。あなたに(一緒に)去るのか、それともここに残るのかと伝えたのよ」というと、夫は「私も去る」と言いました。私は「では、あなたも修めなさい」と伝えました。夫は「修める、修める!」と答えました。
こうして、夫は大法の修煉を始めました。私は夫に次のように言いました。「一つ覚えておいてほしいのは、今年に12月があり、新年にも12月があり、毎年12月があるのだから、同修らには12月の話はしないでほしい」
同修は夫に、師父の煉功動作を教えるビデオを見せてくれました。師父の説法ビデオの最後の部分を見た夫は、「この声だ、あの朝私に伝えたのはこの声だ!」と言いました。「あなたは(大法との)縁が大きく、師父は私たちを一緒に連れて帰れるように、あなたに『早く修めなさい』とおっしゃったようですね」と話しました。
夫は決心がつき、20日ほどで2つの大きな執着であるタバコとアルコールをやめました。夫はかつて同僚に「食事は摂らなくてもいいけど、酒を飲むのをやめるわけにはいかない」と言っていたのです。夫は毎日乾いた黒煙草を2箱吸い、1本目を吸い終わったら捨てずに、続けて2本目を吸っていました。それほど大きな癖だったのに、20日ほどでそれを断ち切ったのです。
夫の家族は8人兄弟の大家族で、夫は7番目です。夫が修煉をはじめて間もない時、夫の兄の誕生日祝いに行ったのですが、みなは、夫が法輪功を修め、酒をやめたことを知っていました。しかし、甥っ子や姪っ子たちが、夫に酒を飲むように説得していましたが、誰が説得してもうまくいきませんでした。そこで、政府機関で働いている甥の一人が「おじさんはきっと、私の面子を考えてくれるだろうから、私はおじさんにお酒を1杯差し上げます」と言い終えると、酒杯を持ち上げ、片膝を床につき、「おじさん、お願いします。面子をたててください」と言いました。しかし夫は「私は煉功しており、酒は飲まないのが原則だよ」と答えたのです。その甥っ子は顔が真っ赤になって、穴があれば入りたいほど恥ずかしそうな顔をしていました。他のテーブルの周りに座っていた私もちょっと気まずいと思いました。私の夫は当時五十七、八歳くらいでしたが、それらの甥っ子や姪っ子らも私たちと同じくらいの年齢だったのです。
修煉を始める前の夫は、常にポケットに鎮痛剤を入れており、毎日飲んでいました。修煉を始めてから、20数年間は一度も薬を飲んだことがありません。79歳になった今も軽やかに歩きます。子どもたちは友人から「あなたの両親は若者のように歩いていて、お年寄りのようには見えませんね」と言われています。
子供たちは皆、法輪大法の奇跡を目の当たりにしており、私たちの修煉を支持し、決してじゃまなどしません。2020年のパンデミックの期間中のある日、長男が突然体調を崩し、全身が痛みと高熱に襲われたのですが、妻と娘に別の部屋に行ってもらい「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱え始めたのです。長男は一晩中起きており、朦朧としながらも「心からの九文字」を唱え続けていました。翌朝になると、熱は下がり、朝食を食べ、すべてが正常な状態に戻りました。
私の子供たちは「法輪大法は根本であり、物事がうまくいかないときは、まず大法を思い浮かべるべきである」と、みな知っています。