【明慧日本2023年4月17日】(遼寧省=明慧記者)法輪功学習者(以下、学習者)・張桂雲さんは、もともと黒竜江省チチハル市内に在住していた。しかし、地元の警官から嫌がらせや連行を繰り返し受け、2002年から放浪生活を余儀なくされ、その後遼寧省鞍山市内に住んだ。2018年8月、張さんは警官に不当に家宅捜索をされた後、連行され、濡れ衣を着せられ、懲役1年の実刑判決を言い渡された。2023年1月16日に冤罪が晴れないまま、73歳でこの世を去った。
張桂雲さん |
法輪功を修煉した後、張さんは何かをする前に相手のことを考え、心を浄化し、長年の持病が治り、心身ともに健康になった。以前、張さんは腎炎と膀胱炎を患っていた、夫はギャンブル好きでよく喧嘩をしていたため、生活が辛いと感じ、いつも密かに涙を流していた。法輪功を修煉し、「真・善・忍」の教えに従い、夫と喧嘩をしなくなった。夫がどんなにキレても、張さんは何にも言い返さない。
1999年7月20日、江沢民グループが法輪功への迫害を開始した後、張さんは屋外で煉功をしていたとして、チチハル市黄沙灘派出所に連行され、チチハル市2所に送られて15日間の拘束された。張さんの娘は40日以上拘束された。11月、張さんと娘が自宅で煉功をしていた時、警官が押し入り、再び派出所に連行した。所長に平手で叩かれ、張さんの顔が腫れた。警官が法輪功の書籍をすべて押収し、その後、張さんの婿を派出所に連れて行き、1日トイレに行かせず、3000元(約6万円)の罰金を科した。
2000年、張さんと娘は北京に陳情に行ったが、拉哈分局に連れ戻され、訥河留置場に20日以上拘束された後、双合労働教養所に移送された。
2002年、張さんは放浪生活を余儀なくされた。張さんの夫は勤め先がつぶれ、給料を支払ってもらえなくなったため、過度の不安で2004年に亡くなった。張さんは低所得者保険の申請をするために家に戻ったが、街道事務所の職員に張さんは家にいないと対応できないと言われ、申請をすることができなかった。
2018年8月23日、張さんが家にいない状況で、鞍山市(あんざんし)鉄西共同派出所は張さんの家に入り家宅捜索をし、法輪功の書籍を持ち去り、その後、張さんを尾行した。2019年1月28日、張さんは年越しをするために、ネットで事前にチケットを購入し、一人で電車に乗って天津市の娘宅に向かった。当日の夜、鞍山市共和派出所から電話がかかってきて、張さんの息子に張さんが留置場に送られたことを知らせた。
2019年5月28日、張さんは鞍山立山裁判所で裁判をかけられ、6月24日、再び副裁判所で裁判を受けた。裁判所は家族に、一審では証拠が不十分であることを告げ、公安当局はいわゆる「証拠」をもう一つ追加した。
弁護士が複数の角度から張さんの無罪を全面的に主張した。弁護士は、私の依頼人は無罪であり、裁判所が法律に従って無罪にすべきだと述べた。憲法第35条と第36条によると、市民は出版、言論、行進、結社の自由があり、市民は宗教信仰の自由があり、国家または個人は市民に宗教を信じること、または宗教を信じないことを強制することはできない。 従って、依頼人は法輪功を信仰していても無罪である。
張さんは法廷で、自分は善良な人間になるために法輪功を修煉しており、悪いことをしておらず、鞍山市の人々に有益があると主張した。法輪功を修煉する前は、病院で治療できないほどの病気があり、法輪功の創始者が第二の人生を与えてくださったのだと、泣きながら裁判官に話した。
その後、張さんは鞍山市立山裁判所から懲役1年の実刑判決を言い渡された。解放後、何度も警官から迫害を受け、2021年1月27日に脳出血を起こし、数回悪化した。治療を受けるための財力がないため、2023年1月16日に冤罪が晴れないまま亡くなった。