中国法会|伝染病が発生し、真相伝えを強化する
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 文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2023年5月8日】中共ウイルスが発生した後、私と夫は、衆生を救い済度することの緊急性をより感じるようになりました。私たちは交流を通じて、衆生を救い済度するための力をより強化することを決定しました。私たちは数十キロメートルの範囲内にあるすべての家庭に真相資料を配布する準備をしました。そして真に心を込めて衆生を救い済度しました。

 ――本文から抜粋

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 尊敬する師父、こんにちは!

 同修のみなさん、こんにちは!

 第19回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会(訳注:明慧法会)の機会に、私は同修のみなさんと共に、私自身が過去2年間に衆生を救い済度し正念によって魔難を乗り越えた修煉過程を共有したいと思います。

 一、心を込めて衆生を救済する

 中共ウイルスが発生した後、私と夫は、衆生を救い済度することの緊急性をより感じるようになりました。私たちは交流を通じて、衆生を救い済度するための力をより強化することを決定しました。私たちは数十キロメートルの範囲内にあるすべての家庭に真相資料を配布する準備をしました。形式的に行わず、真に心を込めて衆生を救い済度することを目指し、手を抜いたり適当なことをしてごまかすことは絶対にしませんでした。取り組むなら、真剣に心を込めて取り組むことが必要でした。

 私たちはある年配の古い同修と協力して、人が少ない昼間に各村の家々に真相資料を配布しました。私たちは毎朝真剣に法を学び、正午12時に正念を発してから、出発しました。途中で、私たちは衆生が救い済度されることを邪悪な生命によって妨げられる障害を取り除くために、正念を発しました。そして、当日資料を配布をする村に到着すると、私たちは3人で協力して、各自がそれぞれ一つの路地を担当しました。家ごとに、一軒も漏らさず真相資料を配り、村全体に真相を伝え終えるまで続けました。

 私たちは毎週いくつかの村を選び、順番に配布し、同じ村を頻繁に訪れることを避け、安全を確保し、毎回、300部以上の真相資料を配布しました。年配の同修は歩くのが遅いため、私たちは自分たちの分を配布し終えた後、すぐに年配の同修を助け、資料を配るのを手伝いました。年配の同修は時々注意を怠って、監視カメラのある交差点で休憩することがありました。私たちはすぐに年配の同修のところに行って、年配の同修にカメラを避けて小さな路地に行くようにしんぼう強く伝えました。時には、私たちが資料を配布し終えると年配の同修が見当たらなくなることがありました。その場合、私たちは一つ一つの路地を探し回り、年配の同修を見つけるまで探し続けました。

 年配の同修は自分自身の病業を克服し、歩行が困難な中でも、真相を伝え人を救うために資料を配り続ける姿勢は、本当に素晴らしいと感じました。私たち3人は常にに協力し、役割分担を行い、お互いに配慮し合っていました。そのためほとんど心配することはありませんでした。人に会った時は、面と向かって真相を伝え、その場でパンフレットを常人の手に配りました。

 毎回300部の真相資料を配り終えると、私たちは疲れ果てていました。特に夏の昼間は最も暑い時期であり、猛烈な日差しの下で、顔も身体も汗でびしょ濡れになりました。雨の日に、レインコートを着ていても、全身ずぶ濡れになってしまうこともありました。苦しくて疲れましたが、人々が真相資料を真剣に読んでいるのを見ると、私たちはとても喜ばしく思いました。衆生が救い済度されるのなら、私たちが少し苦労することは何でもありませんでした。

 私は幼い頃から、両親に甘やかされて育ち、ほとんど苦労を経験せず、体が弱く、安逸心がとても重くなっていました。普段私は歩くのが遅かったのですが、師父のご加持によって、真相資料を配るとすぐに飛ぶように速く歩けるようになり、素早い動きができるようになり、苦難を恐れず、常に強力なエネルギーが私を支えていました。真相資料を配り終えてから、初めて疲れを感じました。弟子が人を救う心を持っているのを師父がご覧になり、弟子を加持してくださっていることを私は知っていました。

 ある時資料を配り終えて帰宅したら、すでに夜になっていました。私が思わず上を見上げると、電灯から発せられた光が、大きな7色の輪郭を描いているのに驚きました。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色が美しく輝いていて、とても美しく鮮やかでした。私は23年間修煉を続けてきましたが、私の天目はいつも閉じていて、超常的なことなどを何も見たことがありませんでした。これが初めて7色の光輪を見た時でした。2日連続で、私が見た電灯はすべて大きな7色の光輪でした。3日目には見えなくなり、ただ白い光を放つ電球だけが見えました。私は師父がこのような形で、弟子を励まし、精進し着実に修め三つのことをしっかり行うように促してくださったのだと悟りました。

 ある時、夫はある家の門口に座っているお年寄りに真相資料を手渡し、真相を伝えました。そのお年寄りは感動して「あなたが神のように大きな存在のように私に向かって歩いてくるのが見えました…」と言いました。お年寄りのはっきりしている一面が理解したのは、大法弟子は人々を救い済度するために来ているということでした。

 私たちは半年近くかけて、数十キロメートル四方の大小様々な村々を歩き回り、真相資料を各家庭ごとに配りました。電動バイクの電力が限られていたため、遠い場所には行けませんでした。真相資料を配布する過程は、心性を修める過程でもありました。私たちは、安逸心、顕示心、歓喜心、仕事をする心、苦しいことを恐れる心など、様々な人心を徐々に克服していきました。心性は、衆生を救い済度する過程で向上しました。

 二、正念を持って魔難を乗り越える

 ある時私が人に真相を伝えていた時、真相を知らない村人と警官によって連行されたことがありました。パトカーには4、5人の警官が座っており、警官たちは一斉に大法を誹謗中傷する言葉を口にしていました。私の心はとても穏やかで、基本的に恐れることはありませんでした。大法を誹謗中傷するこれらの警察官たちに心から「私たちが出会ったのは縁です。私は心から、あなたたち全員が『法輪大法はすばらしい』と『真・善・忍はすばらしい』を覚えることを願っています。法輪功は佛法修煉です。法輪功への迫害に加担しないでください。自分たちに良い未来を選んでください」と言いました。その後、私は警官たちが言った中傷的な言葉に一つずつ反論し、平和的に警官たちに大法の素晴らしさと修煉の素晴らしさを伝えました。私が反論を繰り返すうちに、警官たちは一人ずつ口ごもって黙り込んでいきました。

 警察署の監房の中に座ると、私は「生死を放下し、心配や悩み事などのすべての人心を放下し、ここで堂々と法を実証し、善念のある警官を救い済度することが私の使命であり、それが終わってから家に帰るべきだ」という強い念を発しました。

 私を監視する警官は、若い警官もいれば年配の警官もいて、ほとんどが中国共産党(以下、中共)の毒害を受けていました。警官たちは8〜9人のローテーションで監視していました。私は、警官たちの受け入れ能力に応じて、異なる角度から大法について説明しました。警官たちの中には、大法の素晴らしさを受け入れることができる人、一部受け入れることができる人、完全に真相を聞くことができなくなってしまった人がいました。

 私は常に、師父が説かれた「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[1]というお言葉を信じました。私は常に正念を発し続け、警官が迫害に加担するよう仕向けている邪悪な生命を取り除きました。私は心を静めて内に向けて探し、自分に何か執着心や心性上の漏れがあるため、邪悪に隙に乗じられ迫害されているのだと確信しました。私は静かに自分自身を見つめ、歓喜心、顕示心、嫉妬心、仕事をする心、闘争心などの執着心や心性上の漏れを一つ一つ見つけました。そうでした、自分に強い闘争心があるために慈悲心が足りていないということに気づきました。

 今までずっと、私の闘争心は非常に強く表れており、常人や同修とトラブルが生じた場合、表面上はまだ耐え忍べましたが、内心では憤りが収まりませんでした。口に出して反論する言葉は穏やかに聞こえましたが、一言一句が鋭かったのでした。真相を受け入れない常人や通報すると脅すと言う人に出会うと、私の闘争心がすぐに目覚めました。迫害に加担した警官に対して、ますます強い怨恨心を持っていました。強い怨恨心などの執着心を見つけ、私は正念を発して強い怨恨心などの執着心を取り除き、師父に弟子の正念を加持していただくようにお願いしました。私のために外にいる同修たちも迫害を解体するために常に正念を発してくれました。

 不当な尋問の間、私は警官が出したすべての質問の回答を拒否し、その機会を利用して大法を実証しました。不当に私を尋問した警官は、私が伝えた法輪功の真相を一字一句すべて記録しました。警察が不当に家宅捜査を行った時、私の家からはコンピューターやプリンター、真相資料など多くの物品が奪われました。1人の警官が私に向かって走り寄ってきて「あなたの家からは多くの法輪功関連の物品が押収され、プリンターもあった。あなたはどれだけの法輪功の資料を印刷したのですか?」と言いました。私は警官が言ったことを聞いた後でも、まったく動揺しませんでした。そして穏やかに「私たちは法輪功を修煉しており、家にはもちろん法輪功の物品があります。あなたたち警官の家には警察関連のものがあるように、私たちの家には法輪功に関連したものがあるのです」と言いました。その警官は何も言わずに去っていきました。私は常に心の中に「真相資料を制作して、衆生を救い済度することが大法弟子の責任と使命であり、それは邪悪な旧勢力の迫害のためのいわゆる『証拠や理由』というものでは決してない」という堅固たる念を持っていました。

 翌日の夕方になった時、私は「ここの警官には基本的に真相を伝えた。私も帰って衆生を救い済度することを続けるべきだ」と考えました。このように考えていると、しばらくして担当していた警官が私をその警官の事務所に呼び出しました。その警官は私に不当な勾留通知書を見せ、PCR検査を受けた後に拘置所に連行すると言いました。その警官は私に抗議するつもりがあるかを尋ねました。私は「もちろん、抗議するつもりです。また、私はPCR検査を拒否します」と言いました。

 私は自分の申立書に大法の言葉を実証し、そしてすぐに無条件の解放を要求すると書きました。案件を担当する警官が私が書いた申立書を見て「了解しました。あなたをすぐに家に送り帰します」と言いましたこうして、2人の警官がパトカーに乗り、私を家まで送ってくれました。路上で若い警官が電話を受け取り、電話の相手に向かって「やはりその案件です。検察庁が起訴を取り下げました。法輪功の案件です」と言いました。

 師父のご慈悲とご加持の下、私は24時間のうちにこの魔難を乗り越え、堂々と家に帰ることができました。私が連行され、不当に家宅捜索を受けたことを知った常人の隣人たちは、私が翌日に無事に家に帰ってきたことに非常に驚きました。隣人たちは最初、私が戻ってこないと思っていたからでした。この出来事の後、隣人たちの中には法輪功にさらに興味を持つ人が多くなり、大法についてより知りたいと思うようになりました。

 家に帰った後、私と夫は、不当に押収された物品を回収するために、警察署に真相を伝えるために堂々と行くべきだと悟りました。私が連行された今回の案件は、私が不当に押収された物品の回収に行ったこの警察署の署長が一手に計画したものでした。夫は私と一緒に警察署に行きたがったので、私は「心配しないでください。あなたは外で正念を発し、私は一人で中に入ります」と言いました。

 私たちは警察署に7〜8回一緒に行きました。毎回私は善を勧める手紙を持って、警察署の敷地内に歩いて入り、誰かに会えば大法の素晴らしさを伝え、善を勧める手紙を配布しました。毎回警察署の署長に会うと、私は座って大法について全面的に伝えました。話し方には慈悲なる救い済度があり、同時に厳粛で威圧的な要素もありました。毎回、この署長は不安そうに座り、しばらくすると急いで出口から逃げ出しました。私は署長の背後で恐れている邪悪生命があることを知っていました。私は署長に従って敷地内に行き、より大きな声で大法の素晴らしさを伝え続けました。そうすることで、事務所にいる全ての警官が真相を聞くことができました。

 最後に行った時は、この署長は再び落ち着かず、敷地内に逃げ込んでしまいました。署長は私に対してどうにもならないという感じで「私たちはこれ以上関わらないでおくようにしましょう。あなたたちの管轄の警察署が担当します・・・。あなたはすぐに出て行って、出て行かなければ、私は国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)に電話しますよ」と言いました。私は「あなたは国保を持ち出して私を脅かす必要はありません。国保の人を探すなら、私自身で探すつもりです。国保はどのビルにありますか?」と言いました。聞いたところによると、私が国保を探しに行くと言うと、この署長はすぐに逃げ出したようでした。

 車で家に帰る途中、私たちは正邪の戦いの戦場で勝利を収めたかのように感じ、非常に幸福な気持ちになりました。

 同修の励ましを受け、この文章を書きました。同修のみなさんと交流し、共に精進し、衆生を救い済度することが目的であり、師父の慈悲なる済度を無駄にしないようにしたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 (明慧ネット第19回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/9/451504.html)
 
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