四川省成都市の傅発芝さん 刑務所で迫害され死亡
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 【明慧日本2023年5月10日】四川省成都市の法輪功学習者・傅發芝さんは懲役4年の不当判決を下されて四川省女子刑務所に拘禁されていたが、刑期が終わる1カ月余り前の2022年10月、迫害で危篤状態になった。そのため。刑務所側は傅さんの家族に刑務所へ来て面会するようにと通知した。しかし、傅さんはすぐに釈放されなかった。

 数日後、傅さんは帰宅させられたが、すでに自分の身の回りのことができなくなった。実家に戻った3カ月後の今年1月、78歳の傅さんはこの世を去った。

 傅さんはアバ・チベット族チャン族自治州の出身で、成都市新都区新都鎮で娘と暮らしていた。2018年11月22日、傅さんは警官によって連行された。その後、成都市の新都区裁判所から懲役4年の判決を言い渡された。四川省女子刑務所に入れられる前の傅さんは元気だった。

 刑務所で4年近く拘禁された傅さんは2022年10月、死の寸前になった。その後、責任を負うことに恐れて、刑務所側が自立生活ができなくなった傅さんを帰宅させた。息子が傅さんを実家に送ったが、3カ月後、傅さんは他界した。

 法輪功を学んで 心が広くなる

 1998年10月、隣近所のある人が、傅さんが病気に苦しんで病院にも行けなくなったのを見て、傅さんに「法輪功が¥は病気治療に素晴らしい効果がある」と告げた。それを聞いた傅さんは法輪功を学び始めた。

 それから、傅さんは真・善・忍の基準で自分を要求し、トラブルに遭うと自分の間違いを探し、利己的だったのが寛容になり、いつも他人のことを優先させた。法輪功のおかげで傅さんは穏やかな家庭を築いた。

 そのうえ、いろいろな病気を患った傅さんは、法輪功を学んで2週間、心臓病が改善し、半年後にすべての病状が消えた。

 2009年 懲役3年の判決を宣告される

 2009年3月10日夜8時、新都区610弁公室、政法委員会、城西派出所の警官が令状なしに傅さんの家に押し入り、家宅捜索し、法輪功関連書籍などを押収した。夜9時頃、傅さんは新都区城西派出所に連行され、24時間鉄の椅子に座らされ、手足を動かせないように固定された。

酷刑演示:铁椅子

拷問の再現:鉄の椅子

 翌日の夜9時、傅さんは新都区留置場に送られた。留置場で採血され、囚人服を着せられ、尋問を頻繁にされたが、応じなかった。そのため、610弁公室と政法委員会の警官は傅さんの息子3人を呼び出し、息子たちに傅さんの前でひざまずかせて、「法輪功をやめる誓約書を書くように」と言わせた。傅さんは「私は何の罪も犯していないし、ただ真・善・忍に従って良い人になるように努力している」と、誓約書を書くことを拒否した。傅さんは4カ月間拘禁された後、不当に3年の懲役を言い渡された。

 傅さんは判決に不服とし、成都中級裁判所に控訴した。しかし、裁判所は小さな部屋で、臨時の法廷を設け、傅さんの家族や友人にも知らせず、傅さんに自己弁護も弁護士を雇うことも許さず、秘密裏に傅さんに裁判を行った。裁判長は、傅さんに対してただ「有罪だ」と宣告した。その2日後、傅さんは四川省女子刑務所に送り込まれた。

 四川省女子刑務所は「人間界の地獄」のようである。刑務所に入ると、警官は2人の受刑者に指示して、傅さんを監視するように、24時間交代で見張らせた。傅さんは無理やり髪を切られ、囚人服を着せられ、話すことを禁じられ、周りを見ることも禁じられた。「転向」をしないと、日常用品を買うことも許されず、法輪功を誹謗中傷するビデオを見させられ、「誓約書」「懺悔書」など、書くことを強要された。そのうえ、長時間の労働を強いられた。刑務所で傅さんは最も基本的な権利と自由をはく奪された。

 傅さんは、中国共産党当局から2度にわたって不当な判決を下され、合計7年間も不当に拘禁された。ひどい迫害を受けた末、2023年1月にこの世を去った。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/28/459295.html)
 
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