中国法会|92歳でも修煉して人を救う(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年5月22日】(前文に続く)

 三、真相を伝え人を救う時、師父は私の隣にいらっしゃいます

 1999年7月、中国共産党(以下、中共)が法輪功に対する天地を覆い隠すかのような弾圧を開始し、法輪大法が誹謗中傷されました。多くの大法弟子が無実の罪で警官に連行されて拘禁され、真相を伝えることが大法弟子の修煉の重要な部分となりました。真相を伝える過程で、私は多くの危険に遭遇しました。しかし、毎回師父が私を救ってくださり、危険を回避してくださいました。私は本当に、師父は私の隣にいらっしゃると感じました! ここでは、二つの例を挙げます。

 私が87歳の春、ある日の午前11時頃、真相を伝えるために農産物市場に行きました。家に帰る途中、近道を通り、2つの小区の間の壁を通りました。人々が壁を通り抜けるのを便利にするために、壁の真ん中に穴を開け、レンガやセメントで高さ約80センチの3段の階段を作りました。階段の高い場所から下りながら、2歩目を踏むと、突然足が空中を踏みました。その瞬間、私は「師父、私を助けてください!」と思いました。その後、私の全身が後ろに倒れ半円形の軌道を描いて空中を移動し、軽やかにすべって左下の空地の角に落ちました。ほとんど音がせず、誰かが私を支え、地面にそっと置いたかのように感じました。私はすぐに「師父が私を救ってくださった!」と悟りました。師父は私のそばにいらっしゃいました! 立ち上がってもどこも痛くなく、土を払い落として家に帰りました。家に帰るとすぐに師父にお香を焚いて叩頭の礼をし、私を守ってくださったことを師父に感謝申し上げました!

 私が88歳の夏のある日、大通りで真相を伝えるために縁のある人を探していると、階段に座って涼んでいる60歳代のお年寄りを見かけ「お兄さん、この本を読んでみませんか?」と声をかけました。話しながらバッグから真相小冊子を取り出して見せました。そのお年寄りは小冊子を一目見るとすぐに「私が何をしているか知っていますか?」と怒り出し、立ち上がりました。手の中に「勤務中」と書かれた腕章を持っていました。私は急いで「何をするにせよ、法輪大法が素晴らしいことを知っておかなければなりません。大法は人を救うためのものです!」と言いました。私が話し終わる前にそのお年寄りは私の手首をつかんで「警察署まで行くぞ」と厳しく言いました。そして私を引っ張って行きました。私はそのお年寄りに引っ張られながら「手を放してください、私があなたを助けるんです!」と話し続けました。そのお年寄りは全く聞き入れず、私をつかんでつまずかせ、もう少しで転倒するところでした。

 その時、周囲にいた何人かの通行人が近寄ってきて、何が起こったのか分からずに困惑していると、誰かが「なぜあなたはお年寄りを引っ張っているのですか? 放してあげてください」と言いました。突然、近くから「お父さん、手を離して! 手を離さないなら、私たちの親子関係を絶ってしまうわよ!」と言う、よく響く叫び声が聞こえてきました。そのお年寄りの娘でした、何という偶然でしょうか?! そのお年寄りの娘が赤ん坊を抱いて泣きながら近づいてきたのが見えただけで、どこから来たのかわかりませんでした。赤ん坊も泣いていました。その時、そのお年寄りはようやく手を離しました。そのお年寄りの娘は声を低くして私に「おばあさん、あちらに行ってください!」と言いました。私は手に持っていた小冊子をバッグにしまい、2棟の建物の間の小路を指さすと、そこを目指して歩き出しました。歩きながら感動の涙が流れました。師父が私を助けてくださいました! 師父はそのお年寄りの娘の口を借りて私を救ってくださいました。そして、師父は私のそばにいらっしゃいました!

 引き返すとき、曲がり角で50歳代の女性に出会いました。私は涙を拭いて、穏やかにその女性に「お姉さん『三退すれば平安が保たれる』ということを知っていますか?」と声をかけました。その女性は首を振りました。私は「つまり、あなたが子供の頃につけた赤いネッカチーフ(訳注:少年先鋒隊に加入すること)と、大人になって入った党や共青団の組織から脱退することを宣言することです」と言いました。その女性は「ええ、どうやって脱退するのですか?」と言いました。私は「偽名、あだ名を使ってもいいですし、または本名でも構いません。海外のウェブサイトで脱退手続きを行います。私がお手伝いします」と言いました。その女性は「脱退します。とにかく失業しました。工場は政府に売られてしまい、私たち労働者を苦しめました。あちこちで仕事を探していますが、そんなことをする意味があるでしょうか」と言いました。私は「天が中共を滅ぼしますので、その党(中共)を辞めたら、過去の関係を消すことができ、あなたの平安を保証できます。この小冊子にはとてもわかりやすく説明されています」と言いました。私は「幸福は天から賜る」と「明白」の2冊をその女性に手渡し「帰ってからしっかり読んでみれば分かりますよ」と言いました。その女性はすぐに受け取って、何度も「おばさん、ありがとうございます」と言いました。

 四、利益心を放下する

 私が修煉中に経験したいくつかの大きな病業の関は、実際には旧勢力が私の命を奪いに来たものでした。幸いにも師父のご加護を受け、一つ一つの難や関を乗り越えることができました。師父は多くの心配や労力をかけて私を済度してくださいました! 私を地獄から掬いだしてくださっただけでなく、生命を延長してくださったことを私は理解しています。私にとって、延長された命は修煉のためにありました。

 しかし、現実的に私が修煉してきたことは非常に不十分であり、師父の要求にはほど遠いものでした。特に心性の面では、しばしば、ある程度のレベルにとどまっており、向上することが非常に困難でした。例えば、利益心を放下するという点でした。5年前、偶然の機会に、同じ条件の同僚と比較して自分の退職金が少ないことに気づき、その理由は何だろうかと、心に波紋が広がりました。調べてみたところ、仕事を始めた日付を自分が間違えて記入していたことが分かりました。私が働き始めたのは1951年6月5日でしたが、記入した書類には7月1日と書かれていました。この1カ月の違いにより、実際の勤務期間が1年短くなってしまったのです。6月末は区切りの時期であったため、当時は働き始めた年を1年の勤務期間として計算していましたが、その後は勤務期間としてカウントしなくなりました。当時私は働き始めた年を1年の勤務期間としてカウントしなくなったことを理解しておらず、6月と7月に違いはないと思っていました。退職時も同様の状況があり、実際には1987年7月18日に退職しましたが、退職証明書には6月1日と記載されており(こちらも1年分の勤務期間が足りない)、それにより本来の38年の勤務期間が36年に減ってしまいました。

 近年、賃金が上がるたびに、私は「自分自身の給料が正当に評価されていないのではないか?」と不安になっていました。同じ条件であるにもかかわらず、賃金の差が年々大きくなっていることに気づき、執着心が自然と湧き上がってきました。「正しく修正するために上司や所属する部署に相談するべきだろうか?」といつも思いました。何十年もの間損失を受けていたことに気づき、正しく修正することで多くの損失を回収することができるでしょう。私が仕事を始めたばかりの頃の同僚が、まだ2人生きていて、その2人の同僚は私のために証言してくれました。

 2022年7月、私の給料が増えた時、私と同じ条件の人たちは月に6000元(約11万円)以上もらっていたのに、私は6000元に届かなかったので、とても不満に感じました。そこで、私は娘と相談し、娘に主管部門(人事部や経理部など)に行って問い合わせてくれるように頼みました。娘は同修で、娘は「お母さん、私たちは修煉者です。相談することは適切でしょうか? これは常人の利益心ではありませんか?」と言いました。私は「修煉者であるからこそ、数年間も何もしなかったけれど、私は一貫して迷っていました。私は事実を尊重する立場に立っており、修煉者は真実を語るべきだと思います。それを怠ると、私は損をした気がします。取り戻せば、かなりのお金を補うことができるでしょう。これは私の過去の労働所得です。私も常人の心であることは分かっていましたが、それでもなお、私は放下することができません」と説明しました。

 その日、私たちの学法グループで一緒に『轉法輪』の第四講を学んでいた時「修煉は、魔難の中でこそしなければなりません。七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません」 [1] まで学びました。私は深く感銘を受け、涙が止まりませんでした。人間は、名・利・情というものが深く根付いていて、名・利・情を完全に放下することは本当に難しいと思いました。問題に直面すると、つい出てしまうものです。私は「年金問題は私の心性を試すものであり、5年間も手放すことができなかった」と悟りました。円満成就にまで修煉した人は動揺しないものですが、私の心は揺らぎ、さらに内に向けて探す必要があると感じました。常人は利益損失が少しでもあると苦しく感じますが、これが修煉なのでしょうか?

 師父は「常人の心を放下できるかどうか、これは真に常人を超えることに向かっていくための至難の関なのです。真に修める弟子であれば誰でも超えなければならないもので、これは修煉者と常人の境界線です」 [2]と説かれました。

 私はこのわずかな利益心すら乗り越えることができないのに、より多くの執着をどうやって乗り越えることができるでしょうか? 私は関を乗り越えなければなりません! 私は執着を放下し、完全に放下することが必要です! 師父、私は間違っていました!

 この心性の試練を経て、私は引き続き内に向けて探し、肉親間の感情や恐怖心、顕示心やメンツを重んじる心など、まだ克服しなければならない常人の執着心があることに気づきました。私は自分の修煉中の不足を見つけ、今後の修煉で修煉中の不足を一つずつ取り除く必要がありました。これは難しいことですが、必ず放下しなければなりません。常人の心を放下し、あらゆる執着心を放棄することで、円満成就に到達し、家に戻ることができます。

 以上は私の少しばかりの修煉体験です。不足のところがあれば、同修のみなさんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 師父に深く感謝申し上げます! 同修のみなさんに感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「真修」

 (明慧ネット第19回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/11/大451383.html)
 
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