中国法会|魔難の中においてますます確固とし高等裁判所が訴訟を取り下げる(1/2)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年6月1日】私は1998年に修煉し始めた古い大法弟子です。その当時、私は30歳にもなっていなかったのですが、子供を生んだばかりで病に苦しんでいました。神経衰弱、不整脈、関節リウマチ、低血糖などの病気を患い、一日中体がだるくて、くらくらして体が安定せず、腰痛や背中の痛みにも苦しみ、3、4年間薬を飲んでもあまり改善していませんでした。

 私の母親は病人で、一生を薬に頼って過ごしました。私自身も同じような状態になってしまって、姑との不和にも直面し、夫婦間の問題も悪化していく一方でした。身体的な病気に加えて心の苦しみがあったため、私は人生に対して自信を失っていました。

 後に、知人の紹介で私は法輪大法の修煉を始めました。たった1カ月で、私の体中の病気が一掃され、小さい頃から患っていた慢性喉頭炎や鼻炎も治りました。私は法輪功が修煉そのものであるということが分かりました。法輪功が修煉であるということは、私が子供の頃から持っていた漠然とした思いでもありました。その日、私はそれをついに見つけたのでした。そして私は、それらは人と人の間の因縁関係だということも理解しました。

 しかしその後、時間が経つにつれて、私は徐々に修煉を緩めてしまい、「潜在意識には、世間の美しい生活をまだ楽しんでいない」という思いがありました。私は、自分の様々な人心が、外へ逆戻りしていたことにも気付かずにいました。2015年、私は江沢民告訴に参加したのですが、その後連行され、不当な家宅捜索を受けました。私は1週間もの間、留置場に不当に拘禁され、その後逮捕状が出されました。その時、私は目が覚めたのです! 内に向けて探しました。私は、様々な執着心を持っていることに気づきました。安逸心、名誉を求める心、利益を追求する心、闘争心、恨む心、嫉妬心、夫婦愛、色欲心、顕示心、人の陰口を言うこと、そして焦りなどがありました。

 私は心を静め、もうすでにやって来てしまったことは、受け入れることにしました。どこでも修煉し、正念を発し、法を暗記し、人を救わなければならないからです。

 正念を発する

 私は毎日高密度に正念を発していました。家事を整理したり、食事をとる時間以外は、毎正時に正念を発しました。毎日約20回正念を発し、正念が強いほど、より念が明快になりました。就寝の時は、いつも起床時間の5分前には必ず目が覚めるので、15分間の正念を行ってから寝ました。そして正念の順番の時は、1回が2時間だったので私は2時間の正念を発しました。

 私の訴訟書類がどこにあるかによって、どの部門に向けて正念を発するかを決めていました。訴訟書類が警察署にある場合、私は毎日警察署に向けて正念を発しました。私は天目で、別の空間に存在する邪悪な勢力は、大きな鉄の木に似たものに見えていました。私は毎日警察署に向かって正念を送っていましたが、数日間大きな鉄の木が動かなくなっているのを見ましたが、私は動じることなく続けて正念を発しました。

 訴訟書類が検察庁に送られたら、私は検察庁に向けて正念を発しました。私の天目では、他の空間に5、6階建ての大型金属設備が見えました。ギアが一つずつ連動して回転していました。大型設備の中央には金属製の柱があり、私はこの柱がその大型設備の主要な支柱であることが分かりました。私はこれは旧勢力の機制であり、非常に厳密に配置されているのだと感じました。私には師父から授かった佛法神通があります。そのため、私は旧勢力の機制を認めず、旧勢力の機制を恐れることはありませんでした。

 高密度に正念を発していくにつれて、自分の空間場がますますクリアになっていると感じました。毎日外に出て気分転換し空を仰ぐと、空気が澄んでいる感じがしました。

 法を暗唱する

 毎日午前中と午後、私は監房内に座って法を暗唱しました。この時、自分の頭の中にある法が少なすぎることに気づきました。監房内では、座る時は法輪功修煉者は別々に座らなければならなかったため、私は少し思い出しては少しずつ暗唱しました。私は家で、法を多く学ばず、多く暗唱しなかったことを後悔しました。その時は夜間の時間を利用して、同修と共に互いに法を学び、暗唱しました。

 その後師父は、私とAさんという同修を同じ部屋に割り当てるよう按排してくださいました。Aさんは多くの法を暗記していました。私は毎晩Aさんと一緒にいくつかの法を学び、翌日は繰り返し暗記しました。その当時はとても辛かったのですが、とても充実していました。私は毎日法に溶け込み、しばしば体全体に熱い流れが通り抜けると私を包み込み、温かくてとても幸福な感覚になりました。

 私は何度か、師父が私を見に来てくださっていると実感していました。入り口の廊下で、師父の慈悲が私を包み込みました。このような時、私はつい入り口の方を見てしまい、心が大きく動揺しました。弟子は師父に感謝申し上げます。弟子は精進せず、着実に修めず、人心が重く、魔にとらわれていました。それでも師父は、だらしない弟子を責めずに見守り、助けてくださいました。

 人を救う

 私は休憩時間や夜の自由な時間を利用して、他の受刑者とできるだけ多く交流し、真相を伝え、人を救いました。全ての人には佛性の面と魔性の面がありました。私は受刑者たちの善の一面を引き出すように啓発しました。毎日一緒に時間を過ごすため、私の言葉や行動は全て受刑者たちに見られていました。受刑者たちは私を良い人と認めていたため、私の言葉に耳を傾けてくれました。一般的に90%以上の人が三退することができました。そして牢名主も三退しました。

 50代の農村の女性がいました。その女性は家庭で多くの困難に直面しており、非常に正直な人でした。その女性はレストランで働いており、シェフや他の人々から何度もいじめを受けていました。その女性はとても怒りを感じ、恨んでいたため、シェフに仕返しをしようとして、シェフの電動バイクを隠したのです。シェフは電動バイクがなくなってとても心配していたので、その女性は再び情にもろくなり、シェフに対して「あなたは○○の場所に探しに行ってみたらどうですか」と言いました。シェフがその場所に行くと、すぐに電動バイクが見つかったので、その後、その女性を告訴しました。公安局は窃盗罪でその女性を逮捕し、留置場に送りました。

 その女性が刑務所に送られた後、同じ監房には薬物中毒者がいて、怒り出すとその女性の名前を叫んで罵りました。その女性はとても怖くなって声を出すことができず、心の中で怒りを感じて毎日ため息をついていました。その女性は、「私は外でも苦労してきて、ここでも苦労しています」と言いました。私がその女性に「失わなければ得られず」の法理を説明すると、その女性はとても聞きたがりました。その女性は「私は人生の大半を生きてきましたが、こんな考え方は聞いたことがありませんでした」と言いました。私は「あなたが彼女をますます憎むと、彼女はあなたをますます罵ります。彼女に罵られても、彼女を憎むことはせず、むしろ笑顔で接すると、彼女は怒れなくなるでしょう」と言いました。

 薬物中毒者は毎日その女性を数回罵っていました。しかし、その後からは、薬物中毒者がその女性を罵るたびに、その女性は笑顔で応じるようになりました。薬物中毒者はその女性が笑ったのを見て、自分も笑いました。徐々に、薬物中毒者はその女性を罵ることをやめ、むしろその女性をしばしば褒めるようになりました。それ以来、その女性の眉間のしわが減り、その女性はますます美しくなりました。その女性は毎日「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を念じました。その女性は「私は何も得ずにここに来たわけではなく、本当に素晴らしいものを手に入れました」と言いました。私は「あなたは禍を転じて福となしたのですね!」と言いました。

 師父は、私が「人を救いたい」という心を持っていることを見抜かれ、私に人を救うための道を按排してくださいました。留置場は、しばしば受刑者を異なる監房に移したり、2人以上の受刑者を同じ監房に入れたり、ある監房にいる受刑者を他の監房に移動させ、その代わりに他の監房にいる受刑者を元の監房に移動させたりしたので、私はより多くの見知らぬ人と交流することができました。私は19カ月間の不当な拘禁中に、200人以上の人々に中国共産党(以下、中共)組織を脱退するよう説得しました。

 どの監房に割り当てられても、私は同じ同修のAさんとはずっと一緒でした。留置場にいた期間、私は同修のAさんと一緒に多くの法を暗唱できるようになり、同修の無私の助けに非常に感謝しました。

 留置場が大法弟子に対する迫害をすることに抵抗する

 留置場は1日に2回、受刑者を屋外に一定時間出して、散歩させたり便所へ行かせたりする時間がありました。朝に1回、午後に1回でした。「囚人を屋外に一定時間出して散歩させたり便所へ行かせたりする時間」とは、ラジオ体操を行ったり、広場で踊ったり、他の気功を練習したり、洗濯物を洗ったり、自由な活動をすることでした。すべての大法弟子は、気功を行うことを拒否していました。刑務所の警官が、私たちと話し合いを持とうとしても、私たちは依然として不二法門を堅守し、これは大法弟子への迫害であると言いました。

 気功の活動に参加しないと、衛生用品やシャンプーなどの日用品を含む買い物の権利を剥奪されました。また、罰として昼間の見張りや夜の見張りをやらされ、1回の見張りで2時間立たされました。さらに、拘禁されている人全員に対して、大法弟子に日用品を貸してはならないと求め、監房全体で大法弟子を孤立させるようにしていました。

 ある時期、一つの監房に平均4人の大法弟子がいました。ある日、刑務官が2階から留置場のグラウンドを眺めていたとき、私たち4人の大法弟子は、全員が憑き物の気功を行いませんでした。私は一番若かったので、その刑務官は私の名前を呼んで、私に先頭を切って練習をするように言いました。私は無視し、練習もしなかったので、その刑務官は激怒して大声で、「お前たちは練習しないが、全監房の者たちは練習を続けるんだ!」と叫びました。その時、全員が私たちに不満を持ち始め、誰かが「洗濯物も洗えなくなった」と言って、私たちが利己的で、他の人たちのことを考えていないと非難しました。受刑者たちは私たちに「対処して妥協しろ」と言いました。

 私たち4人の大法弟子は、依然として協力しませんでした。その刑務官はとても面目を失い、私の名前を狂ったように叫びながら、「お前がやらないなら、全員の荷物を没収するぞ!」と叫びました。迫害が激化し、拘禁されている人たちは、私たちに対する不満をますます強めました。なぜなら、それぞれの荷物には日用品、食品、食器、コップなどが入っていたからでした。薬物中毒者が罵り始めました。情に弱い人が「お願いします、協力してください」と言いました。ある人が「この暑い時期に、協力しないと部屋の水を止められてしまって、生活ができなくなります」と言いました。受刑者たちは愚痴をこぼしながら憑き物の気功を練習し、何度も練習を続け、私たちに怨みを向けて、私たちが受刑者たちを巻き込んだと思っていました。旧勢力に操られた刑務官たちは、私たちを迫害するために、みんなを巻き込む邪悪な手段を使いました。刑務官たちは自分たちの目的を達成するために行動しているのです。

 受刑者たちが、何度も憑き物の気功の練習を続けていたその時、緊急集合の笛の音が鳴り響き、全員が建物に入りました。何か重大なことが起こったのか、皆が緊張していました。放送でアナウンスがあり、全員が着席し、玄関に向かって顔を向けるように指示されました。みんなが重い足かせの音を聞きました。1人の刑務官が1人の大法弟子を引き連れてやってきました。同修は重い足枷をはめ、歩くたびに足枷が床にこすれ、耳障りな「ガチャ」という音を立てました。同修は歩きながら監房の扉の前で止まり、刑務官が「この人は法輪功の修煉者で、法輪功を宣伝したため、1週間、足枷を付けられ、独房に収容されました。この人の姿を見て、皆さんが引き締まることを望んでいます」と言いました。私はさきほどの緊張感がまだ解き放たれていませんでしたが、中共は更なる策略を仕掛けてきました。私は決心を固め、独房に拘禁されても、他の気功を練習することはしない、私の信仰をしっかりと貫くことが必要でした。

 午後、私は自ら刑務官を探しに行きました。私は、「私は自分の信念を固く持っているというだけで、ここに拘禁されて苦しむことになったのです。私は法輪功を修煉してここに来たので、来てしまった以上は、法輪功の修煉を続けるつもりです」と言いました。刑務官は「あなたたちの健康のために、当所はこれらの活動を実施しています。参加しない場合は規則違反となります」と言いました。私は「所長に会いたいので、私は所長と話をしたいと思います」と言いました。刑務官は、「あなたが所長に直接会いたいと言うことは、私が能力不足であるように見えるではありませんか」と言いました。私は「それならば、私一人だけ罰してください。他の人たちを巻き込まないでください」と言いました。刑務官は怒り狂い、牢名主に、毎週私に夜勤の見張りを1回追加するようにと叫びました。

 常人にとっては、受刑者たちは見張りが一番嫌なのであって、2時間も立ち続けると腰が痛くなってしまうからでした。私にとっては、ちょうど正念を発し、法を暗唱するので、まったく何でもない、というのがその時の私の考えでした。現在(訳注:2022年11月)考えると、このような迫害は全面的に否定されるべきだったと思いました。私は、これが私に対する試練であると知っていました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十二』「世界法輪大法デーの説法」

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/14/451570.html)
 
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