メキシコからミッドタウンへ 心性を高め大法のプロジェクトが成功
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2023年6月5日】私が大法を得た経験、大法のプロジェクトの協力を通じて心性を向上させた修煉体験を皆さんと共有したいと思います。

 一.修煉を始める

 私はメキシコで生まれ、2010年に法輪大法の修煉を始めました。わが家は6人家族で、母、兄、そして私の3人が大法の修煉をしています。

 家族の中で一番早く修煉を始めたのは母でした。当時、母は重病を患っており、ある医者がエネルギーの通りを良くする功法を探すようにと勧めてくれました。そして母はすぐに太極拳を始めました。しかし、太極拳の先生はなんと母に法輪大法を勧めたのです。そうして母は家族の中で最初の修煉者となり、知らず知らずのうちに健康を取り戻しました。 

 当時、母はいつも私を煉功に誘いました。私は法輪功がどういうものなのかまったくわかりませんでしたが、運動が好きだったこともあり、ある時、母と一緒に煉功に行きました。比較的高齢の学習者が第二式の功法を楽に終えているのに気付きました。しかし、私は耐えられず、不服な気持ちで、両腕を下ろしたくなりました。そして、この時の経験から、法輪大法が一体どういうものなのかを知りたいと思いました。 

 当時、私は州政府の仕事を担当し、地位ある立場で金銭的にも余裕がありました。しかし、心の中は少しも愉快ではありませんでした。若かった私は、常に幸せを探し求めていましたが、マーケティングやメディアが提供するものにも、またいかなる宗教の中にも幸せを見い出せませんでした。2010年12月、唯一の新年の願いは、私を導き、弟子にしてくれる師父が見つかることでした。自分がなぜこの世にいるのか、人生の目的は何なのかを教えてほしいということでした。 

 2011年5月のある週末、私は学法に誘われて行くことにしました。『轉法輪』を最後まで読み終えて、ついに私は師父を見つけられたことに気づきました。師父はこの世で私を救ってくださいました。大法こそ、私が長年探し求めていた「答え」だったのでとても幸せな気分になりました。この約13年間の過程の中で、師父は私に心性を向上させる道を歩ませ、私たちに要求している三つのことを実行するように導いてくださいました。 

 幼少期における私の環境は、崇高な道徳的価値観と厳格なルールを基本としていました。しかし、当時は彼らがなぜそこまで私に対して厳しく要求するのか理解できませんでした。現在、私は大法に感謝しています。師父が私を守ってくださり、法を得られるように按排してくださったのだと理解しています。 

 二.メキシコの大法のプロジェクトに参加する中で心性を向上させる 

 メキシコでは、ボランティアとして対面およびオンラインでの真相プロジェクトに何度か参加しました。中共ウィルスが蔓延していた時期には、神韻のプロモーション、ドキュメンタリーのプロモーション、大紀元スペイン語チームの制作とコンテンツ作成、オンラインセミナーの主催、フェイスブックでの法輪功の紹介などに携わりました。次に、私の修煉体験を少し共有したいと思います。 

 ある時、ある同修が私に「あなたは煉功、学法、大法のプロジェクトをする上でとても精進しています。しかし、善良さが感じられません。あなたは本当にがさつです」と言いました。彼女の言葉を聞いた私は、心が辛くなりました。そこで、私は「私は必ず自分を変えなくてはいけない。修煉は学法だけではなく、日常生活の中で実際に修め、師父の要求に照らして行わなくてはいけない。そうしてこそ、真相を話す中でさらに多くの人の心を打つことができ、法輪大法の素晴らしさを表現することができるのだ」と自分に言い聞かせました。そうすることで、誠実にすべての衆生に対する慈悲心を養うことができるのです。私は自分のことよりも彼らの要求を優先しました。 

 三.傲慢さを取り除く

  私はマーケティングの修士号、ビジネスプランニングの博士号をもっています。以前は、このような学位をもっているのだから、意思決定をするようなポジションの中心にいるべきだと思っていました。しかし、修煉が向上するにつれ、プロジェクトに参加している人達と一緒になって全体を作り上げ、お互いにサポートし合うことが最も重要であることに気づかされました。協調人が重要な役割を担っていること、そして彼らをサポートすることが必要であることがよくわかりました。 

 師父は「これらの従業員は法輪大法を学んでから、早く出勤し、遅く退勤するようになり、こつこつと働き、上司から与えられた仕事は何でも文句無しに受け入れ、利益をめぐって言い争うこともなくなりました」[1]と述べられています。 

 四.初めてミッドタウンで修煉する 

 2015年、初めてミッドタウンで3カ月間生活しました。 

 ある日の学法の時、1人の同修が「将来ここに学校ができるでしょう」と言いました。私はすぐに「そこで働きたい」と思いました。しかし、その時、私は学業を終えるためにメキシコに戻らなければなりませんでした。 

 学位を取得するためにメキシコに戻っている間、私は正念をもって、崇高な道徳心を保持しなければならないと思っていました。そうすれば、師父と神々が、私がミッドタウンに戻るための必要な手配をしてくださると思い込んでいました。そのため、その後の7年間、私の経験はまさに師父が法の中で述べられたとおりでした。「君は多くの執着心を捨てなければならない。そのため行脚に出かけなさい。行脚は非常に辛いことで、社会の中を放浪し、物乞いをしながら、いろいろな人に出会って、嘲られたり、侮辱されたり、いじめられたりして、どんなことにも遭遇する可能性があります」[1]

 混沌とした常人社会において、私は強くあること、社会の世論や人々の批判に影響されないこと、自分の道徳の原則を貫くこと、そして堕落した環境に影響されないようにすることを学びました。卒業後、飛天大学に就職願書を提出しましたが、返事はありませんでした。私の修煉はまだ改善する必要があるのだと理解しました。 

 私は絶えず内に向かって探し、ミッドタウンで働くことへの執着を手放さなければならないことに気づきました。この過程で、私は自分を不快にし、腹を立てている利己的な心を見つけました。そして、そのような心によって生じた物事によって、師父が私の人生のために段取りしてくださった最良の按排を妨げていたのです。 

 思いがけず、2022年のある日、リトルロータスカレッジから電話があり、メキシコ人の少年の通訳として来て欲しいと言われました。私は落ち着いて感激の気持ちをこめて、すぐさま「はい」と答えました。そして、私がメキシコで教えているマスタークラスはオンラインだったので、私はすぐにその子供弟子のミッドタウンへの引っ越しを手伝う事ができました。 

 リトルロータスカレッジで、私は通訳としてボランティアを始めましたが、時間が経つにつれて、徐々に仕事として専念するようになりました。最も印象に残った体験は、生徒全員の煉功の任務を割り当てられたことです。私は「私がこの役目を果たしてこそ、師父は本当にこれらの貴重な子供たちを済度されるのだ」と思いました。50人の子供たちが坐禅するのを見た時は本当に感動しました。 

 6カ月後、観光ビザの期限が切れたため、私はメキシコに戻らなくてはなりませんでした。再びミッドタウンに戻り仕事をするには、就労ビザが必要です。就労ビザを取得するには長い行政手続きと法的手続きが必要でした。しかし、その経験が引き続き私の心性を向上させました。当時、アメリカはすでに入国者全員にワクチン接種を義務化しており、私がアメリカに帰国するために乗ろうとしていた飛行機もワクチン接種を要求していました。当時、私はまだワクチン接種をしていませんでした。彼らが私を搭乗させてくれなかった時、私の心はすぐに動じてしまいました。私は強い正念を発し「旧勢力は私を邪魔することはできない、たとえ私がワクチンを接種していなくても、私の使命をやり遂げさせてくれる按排がきっとあるはずだ」と思っていました。幸運なことに、私はその後、ワクチンを接種をし、航空券の代金の払い戻しを受けたので、新たにチケットを買い直し、2カ月後にアメリカに向かいました。 

 五、教授の職位で修煉する 

 教授として教え始めた頃、私の学生は注意力が散漫で、課題に真面目に取り組みませんでした。 

 師父は、私たちに「日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考える」[1]と教え導いてくださっています。 

 私は、師父が私たちにどのように指導してくださっていたのかを繰り返し考えました。師父は常にとても慈悲がありました。私は講義のやり方を変え、生徒のために考えるようにしました。その結果、私の生徒は全員Aを取り、授業で学んだ新しい知識をすべて覚えました。 

 六、環境をきれいにする 

 私は学校の寮に住んでいます。初めて寮に来た時は、家の中がごちゃごちゃしていて、まるで倉庫のようでした。大法弟子として、このような環境の中で修煉することはできないと自分に言い聞かせ、この環境を掃除して清めなければいけないと思いました。それは私の職責の範囲内のことではありませんでしたが、ただ必要なことだと思ってやったのです。 

 私は発正念をして別の空間をきれいに片づけました。まず、私は使える物とそうでない物を分別し、次にそれぞれの物品を所定の場所に置くようにしました。その後、良い環境とポジティブな雰囲気を保てるようにルールを作りました。 

 現在、12人で同じ寮に住んでいますが、家はとてもきれいで、訪ねて来る同修たちも「あなた達の住まいは、まるでホテルのようです」と言いました。

  現在、私は女子学生寮の管理人をしていますが、努力の甲斐あってか、大学の施設管理や男子寮の管理人も任されるようになりました。 

 七、心を修める 

 私が男子大学生の寮を見に行った時、彼らの部屋はとても散らかっていて、悲しい気持ちになりました。掃除と片付けを手伝ってくれる人はいるのだろうか、と心の中で思っていました。 

 師父はいつも私を助けてくださいます。私は、これは心性を高める良い機会だと自分に言い聞かせました。しかも、私がやらなければやる人はいません。私の行動によって、寮の若い学生たちは皆、ゴミ出しや床掃除、整理整頓を手伝ってくれるようになりました。私たちは全体をなしているので、全体が一つになれば多くのことを達成できるのだと分かりました。 

 私たちの学校の労働環境の改善に、積極的に協力してくださったすべての人たちに非常に感謝しています。きれいな空間ができたのを見て、生徒や教職員の笑顔も増えると思います。彼らは、私がどんなに忙しくても、私が彼らを助けることを知っています。そして、私がこのことを行うことができたのは、師父が私の心を慈悲で満たしてくださったからです。 

 私がさらに精進したなら、より慈悲と忍耐強い心を持つことができるでしょう。精進が足りないと利己心が強くなり、仕事が多いことに対して不公平を感じることになるでしょう。 

 八、舞踊クラスでの修煉 

 私たちは、優雅で女性らしい振り付けを考えているところです。最初は私の動作はぎこちなく、女性らしい動きをしようと思うと笑いがこみ上げてきました。これは私が取り除かなければいけない観念であると気づきました。 

 私は女性らしさと弱さを結びつけていました。しかも、現在の教育では、女性は強くなくてはならないと教えられています。そのため、私は心の中にそのような物質があるのが分かり、正念を発してそれを取り除き、徐々に排除していきました。 

 現在、私の動作はより柔らかくまろやかになり、表情にも変化が見られ、日常生活ではより優しく、女性らしく、忍耐強く、柔軟になりました。 

 授業中は、あらゆる動作に力を入れなくてはならず、とても疲れますが、同時に表情は優しく繊細でなければなりません。今では女性としてどうあるべきかがよく分かっています。立ち居振る舞いは上品であっても、芯は強くなければなりません。 

 私を飛天の一員にさせてくださり、貴重な機会を与えてくださった師父に感謝致します。ここで働くことができることは私にとってこの上なく光栄です。私は、私たちは同じ使命を持った一つの集団であるとかたく信じています。 

 注:
 [1] 李洪志師父の著書:『轉法輪』 

 (2023年飛天大学ミッドタウンキャンバス修煉心得交流)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/26/459209.html)
 
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