2023年5月、20人の法輪功学習者が迫害で死亡(二)
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 【明慧日本2023年6月14日】(前文に続く) 

 5、通化市の張朝彬さん夫婦は長期に迫害され死亡

 吉林省通化市の学習者・張朝彬さんは、吉林省通化市の鉄道技師で副課長であった。中共が法輪功迫害を引き起こした後、5年の放浪生活を余儀なくされた。2019年6月、連行された張さんは柳河裁判所から懲役3年執行猶予5年の判決を受け、再び放浪生活をせざるを得なかった。1年後に失明した張さんは、辛い日々を過ごしているものの、警官に嫌がらせをされ続けていた。2023年4月中旬、70歳の張さんはこの世を去った。

 2007年4月、老駅派出所と東昌区公安分局の国保の警官は、張さんの妻の宋玉華を自宅から連行し、息子から現金2万元を強制的に取った。執行猶予の期間中、警官、コミュニティの書記と主任は絶えず宋さんの家に行き、嫌がらせや脅迫をし、月に一度は「思想状況の報告書」を書くようにと要求し、宋さんと家族に大きな精神的ストレスを与えた。宋さんの健康状態は悪化し、多くの精神的ストレスを受け、2013年2月26日に他界した。

 6、大連市の劉新穎さん、曲輝さん夫婦は長期に迫害され死亡

 遼寧省大連市の学習者・劉新穎さんは大連市産婦人科医院の看護師だった。5回連行され、拘留1回、懲役5年6カ月の判決、尾行、脅迫などの迫害で、劉さんは2023年4月22日午後、54歳の若さで亡くなった。

曲辉和妻子刘新颖曾经幸福的家庭

曲輝さん一家3人

 かつて劉さんは、夫と娘に囲まれた幸せな家庭を築いていた。この幸せな家庭は、やがて中共による迫害で破壊された。2000年1月、劉さんと夫の曲輝さんは北京へ法輪功の陳情をしたが、ともに警官に連行されて殴打され、9700元の罰金と労働教養処分を受けた。当時、娘はまだ1歳だった。夫の曲さんは、大連労働教養所で警官から残酷な暴行を受け、頸椎を骨折して半身不随になった。寝たきりになって13年、曲さんは2014年2月19日に亡くなった。その後も、劉さんは2回連行され、5年6カ月の判決を言い渡された。2015年3月24日に遼寧省女子刑務所に送られた。

 入所前の健康診断で劉さんの血圧が240㎜Hgになり、健康状態が基準に満たしていなかったので、直接刑務所病院に入れられた。2020年3月末、劉さんは刑務所から解放された。

 帰宅した劉さんは、派出所の警官に嫌がらせを受けた。警官らは劉さんの父親の家にも行き、父親に嫌がらせをして、精神的なストレスを与えた。

 2023年3月、派出所の警官は劉さんに電話をして、話があると言った。劉さんは長期に迫害を受け続け、2023年4月22日にこの世を去ったという。

被迫害高位截瘫的曲辉

迫害により寝たきりになった曲輝さん

 

 7、湖南省臨レイ県の呉伝英さんは迫害で死亡

 湖南省臨レイ県の呉伝英さんは、真・善・忍への信仰を堅持し続けたとして、中共の刑務所で8年間不当に拘禁され、あらゆる非人道的な拷問を受けた。年金を停止された後、呉さんは告訴し裁判において勝訴したが、人社局から執行を拒否された。2023年4月19日、70歳の呉さんは迫害の中で亡くなった。

 呉さんはかつて、労働教養処分1年を受けたが、2年6カ月も拘禁された。懲役3年、懲役8年の不当な判決も受けたことがある。

 臨レイ県留置場と長沙女子刑務所に拘禁されたとき、呉さんは強制的に足かせと手錠をかけられ、平手打ちを受け、髪の毛を引き抜かれ、暴行を受け、睡眠をはく奪され、長時間立たされ、スタンガンで電気ショックを加えられ、トイレに行くことも許されず、強制労働で夜遅くまで働かされるなどの迫害を受けた。長期にわたる精神的、肉体的の迫害を受けた結果、呉さんは10kg体重が減り、腰が90度に曲がり、息切れを起こし歩行困難になった。

 臨レイ県人事社会保障局は、上級機関の誤った決定を実行し、呉さんが過去14年間に受け取った13万元の年金を取り戻すために、2020年8月から呉さんの年金を支給しなくなった。2021年4月29日、呉さんは行政訴訟を起こし常徳中信の弁護士を依頼した。6月15日に裁判が行われた。10月11日、裁判所は呉さんに勝訴の結果を出した。「一、臨レイ県人事社会保障局が原告・呉伝英さんの年金を2020年8月から停止したのは違法である。二、臨レイ県人事社会保障局に対し、この判決の発効から20営業日以内に原告・呉伝英さんに対する行政措置を再確立するよう命じる。三、被告の臨レイ県政府の再考決定(2021)1号<行政再考の決定書>を撤回する」という判決を出した。しかし、判決発効後、2カ月以上経過したが、臨レイ県人事社会保障局の責任者は、裁判所の判決の履行を拒否した。 

 長年拘禁され、様々な拷問を受けた呉さんは、2023年4月19日に亡くなった。

 8、南京市の李建平さんと母親は迫害で死亡

 南京市の学習者・李建平さんは法輪功を学び続けているとして、南京市と秦淮区の政法委員会、610弁公室、公安局などから迫害を加えられた。そのため、心身ともに疲れ果た李さんは、2023年4月中旬になくなった。享年61歳。

 李さんの母親も法輪功を学んでおり、当局に迫害され、息子との会話さえもままならず、2017年末に他界した。

 李さんは南京市の民間企業の経営者で、成功者である。1999年7.20、中共は法輪功に対する迫害を開始した。李さんは省政府に平和的に陳情に行ったが、機動隊の警官に平手打ちされ、鼻と口が血だらけになり、顔も腫れ上がり、服も破れ、全身にあざができた。 その後も、何度も連行され、家宅捜索をされ、強制的に洗脳班に入れられ、放浪生活を余儀なくされた。

 9、昆明市の韓俊毅さんは拘禁、長期的な嫌がらせなどの迫害で死亡

 雲南省昆明市の韓俊毅さん(女性)は、1997年に法輪功を修めた後、すべての病気が治り、肉体的にも精神的にも恩恵を受けた。中共が法輪功を迫害した後、韓さんは信念を貫き、当局が法輪功へのでたらめな宣伝に騙されないようにと人々に伝え、法輪功の素晴らしさを伝え続けたとして、韓さんは少なくとも9回家宅捜索され、2回拘留され、洗脳班へ2回入れられ、労働教養処分を1回、2回不当な判決(合計7年間)を言い渡された。そして、家に帰っても地元の派出所の警官に嫌がらせをされ、韓さんは2023年4月21日、83歳でこの世を去った。

 10、銀川市の胡清菊さんは長期的に嫌がらせをされ死亡

 寧夏回族自治区銀川市金鳳区の学習者・胡清菊さん(女性)は、中共による24年間の法輪功に対する迫害で、心身ともにダメージを受けた。2023年4月4日、66歳で亡くなった。 2017年から亡くなるまで、胡さんは当局から連行や、家宅捜索、拘禁、「ドアのノック行動」「ゼロ行動」など、嫌がらせを繰り返された。

 胡さんは寧夏クレーン工場の定年退職者で、法輪功を学んでいるとして、金鳳区公安分局(旧新城公安分局)、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)、黄河東路派出所の警官と金家巷コンミュニティの職員から長年にわたり嫌がらせを受け続けた。その末、咳をして血が出る症状が現れ、2023年の初めに入院したが効果がなく、3月下旬に再び入院したが、帰らぬ人となった。

 11、迫害で失明した武漢市の蔡常珍さんは死亡

 武漢市の学習者・蔡常珍さんは、2001年1月に武漢キョウ口区の洗脳班に拘禁されている間、警官から暴行や吊るし上げるなどの拷問を受け、失明してしまった。その後20数年間、失明で身の回りのことができなくなった蔡さんは、当局の警官から連行・拘禁、家宅捜索、嫌がらせなどを繰り返された。2023年3月、蔡さんは83歳でこの世を去った。

 12、内モンゴルの李永剛さんは精神障害になるまで迫害され死亡

 内モンゴル自治区赤峰市の学習者・李永剛さん(男性)は、中共による度重なる迫害で精神障害になった。2023年1月16日に69歳でこの世を去った。李さん夫婦は連行され、数十万元を強制的に取られたこともあった。

 李さんは法輪功の煉功点の輔導員だった。そのため、李さんは、赤峰市の迫害の対象にされ重要人物「ナンバー2」とされた。1999年7.20、李さんは刑事警察隊に連行され、24時間尋問を受けた後、解放された。その1日後の午前10時、李さんは再び、刑事警察隊に連行され、自白を強要された。何も言わなかった李さんに警官は、李さんの指を後ろ向きに折ったり、睾丸を抓ったり、体のツボを激しく叩いたりする拷問をした。 李永剛の睾丸は腫れ上がり、腹も殴られて腫れ上がり、顔も腫れ上がって変形した。2002年、迫害を受けた李さんは精神障害が現れた。李さんを拷問した主な警官は、紅山区公安局の警官・郭偉だった。

 (完)

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(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/2/461542.html)
 
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