吉林省の呂建傑さんが生前に受けた迫害
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 【明慧日本2023年6月25日】(吉林省=明慧記者)吉林省柳河県の法輪功学習者(以下、学習者)呂建傑さんは労働教養2年を科された。また、中国共産党(以下、中共)の人員から度々嫌がらせを受け、何度も洗脳班に連行された。呂さんは、敏感日には迫害を避けるため家を離れた。そして、2017年10月31日、53歳で亡くなった。

 呂さんは柳河県漢方薬工場の元職員。法輪功を修煉してから、「真・善・忍」の理念に基づき、よい人を目指していた。家では義父母を尊敬し、一家を支えるために懸命に働き、義父母や家族から尊敬と評価を得た。家政婦として働いていた時は、心性を厳しく律し、雇い主の家で便宜を図ろうとせず、何人もの雇い主から称賛と信頼を得た。1999年以前、呂さんは煉功でボランティアの世話人を担当し、熱心で自発的に皆に奉仕していた。

 1999年7.20から始まった中共による法輪功への残酷な迫害で、洗脳・拘束・監禁・労働教養など様々な手段を採用してきた。中共柳河県委員会、公安局、「610弁公室」の人員は、柳河県の学習者を迫害してきた。呂さんは世話人をしていたため、いわゆる重点的な対象となり、自宅で嫌がらせを受け、何度も洗脳班に連行された。

 2001年11月7日、呂さんと他の学習者35人は、長春市の黒嘴子労働教養所に連行され、毎日2時に寝て5時に起きることを強制された。警察は目的を達成できないと、スタンガンで電気ショックを加えた。呂さんは抵抗したため、ベッドの柵に手錠をかけられた。2003年1月、呂さんは解放され、帰宅した。

 2009年3月から4月にかけて、梅河市公安局、柳河県公安局、柳河県各派出所は、吉林省「610弁公室」、通化市公安局と協力し、柳河県の学習者20数人を連行した。4月13日夜、3人の警官が呂さんの自宅に押し入り、家宅捜索を行い、派出所に連行し、留置場に送り込んだ。5月8日、呂さんは長春市の黒嘴子労働教養所に移送された。健康診断で高血圧だったため基準に満たなかった。呂さんの家族が保証金を支払い、呂さんは保釈された。

 2010年頃から2011年頃にかけて、警官は呂さんの自宅に押し入り、メディアプレーヤーを押収し、呂さんを留置場に拘禁した。迫害に抗議して約1カ月ハンガーストライキを行った呂さんは、痩せて弱くなっていた。家族が留置場へ行って呂さんの解放を求めたことで、呂さんはようやく解放された。

 2011年5月12日、呂さんは洗脳班に連行された。2011年7月6日午後7時、呂さんは自宅からショッピングモールまで尾行され、そこで中共の関係者に連行され、柳河留置場に拘禁された。

 2011年7月11日、通化市「610弁公室」は再び5日間の洗脳班を開き、学習者を迫害した。呂さんは再びそこに送られた。

 それ以来、敏感日には、呂さんは家から離れることを余儀なくされ、外に出て隠れなければならなかった。このような長期にわたる高圧的なストレスは、呂さんの健康に大きな打撃を与えた。2015年、呂さんは最高裁判所に江沢民を告訴した。

 2017年10月、呂さんは再び放浪生活を終え、家に帰った。10月30日の朝、呂さんは頭痛を感じた。午前中、子供たちが物を取りに帰宅したところ、呂さんが動けなくなっているのを見つけた。呂さんは病院に運ばれたが、翌日の昼に53歳でこの世を去った。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/5/4/459489.html)
 
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