文/中国の大法弟子 光晶
【明慧日本2023年7月8日】誰もが口をそろえて70歳の私のことを「あなたはまだ60歳になってないでしょう、ますます若返っていますね」と言います。そのように見えるのは、1999年から法輪大法を修煉し始めたからであると私は知っており、現在(訳注:2023年6月)までに24年が経過しました。慈悲深い師父は私を救ってくださいました。師父に感謝し、法輪大法に感謝申し上げます!
第24回世界法輪大法デーを迎えるにあたり、私は師父への無限の感謝の気持ちを抱きながら、法輪大法が私と家族にもたらした恩恵を綴りたいと思います。
一、困難な人生を送っていた私
私は1950年代に農村で生まれました。その当時の生活状態はあまり良くありませんでした。13歳の時、母が亡くなり、私は母のいない子供になりました。ある時、私は他の子供とトラブルを起こしました。その時、その子供の母親は「彼女のような、母親のいない子供と遊んではいけません」という言葉を聞きました。その言葉を聞いて、私は心がとても辛くなり、涙が止めどなく流れました。さらに、母をますます思い、人生に対して絶望感に襲われました。ある日、父が仕事を終えて帰ってきたとき、父の頭が汗でびっしょりだったのを見ました。そして「可哀想な父さん、もし私が死んだら、父さんはどうしますか? 誰が食事を作って食べさせるのですか?」と思うと私の心は優しくなりました。この時から私は家の仕事を多く引き受け、父の負担を軽減しました。
成人後は、良い生活を送るために一生懸命働き、必死にお金を稼ぎました。運送業は収入が多いことを知り、私は免許を取り、大型トラックを買って事業を始めました。それから10年以上、ずっとその仕事をしていました。早起きして遅くまで働き、昼夜を問わず忙しく走り回り、長い間体を酷使しました。結果として、病気に悩まされるようになりました。偏頭痛、胃病、腎炎、冠状動脈心臓病、不眠症、咳、歩くと足がうまく動かず、階段を降りると転んでしまいました。
私はさらによく咳をし、夜は眠れませんでした。毎晩横になると、咳で目が覚めることがあり、夜通し何回も起き上がらなければなりませんでした。私は横になることができず、毛布を使って背中を垂直に起こし、寄りかかって座っていました。私はさまざまな病気に苦しめられ、絶え間なく薬を摂取していましたが、改善するどころか病状はさらに悪化しました。さまざまな病気に苦しんでいた時はまだ45歳で、学校に通う2人の子供を見て、こっそりとどれだけ涙を流したか分かりませんでした。
夫は私の病状が次第に悪化しているのを見て、車や家を売ってでも私の治療費にあてようと決めました。私は涙を流しながら夫に「車は売ってもいいです。でも、もし家を売ってしまったら、あなたと子供はどこに住むつもりですか? しかも、私の病気は必ず治るとは限らないので、結局のところ身も心も失うかもしれません。もしいつか私が死んだら、車を売ったお金を残しておいて、2人の子供の教育費に充ててください。2人の子供が学業を終えて家庭を持ったら、あなたも伴侶を見つけて、後半生を共に歩んでください。そうすれば私も心配事がなくなります」と言いました。
二、私は師父を見つけた
私は「一日生きることができると信じるなら、一日奮闘しなければならない(訳注:一日一日を大切に過ごさなければならない)」と思いました。私はトラックを運転することはできなくなりましたが、他の仕事を始め、新しく店舗を開きました。しかし、私の体はもう限界にきており、商品を売るために毎日カウンターに立つことができませんでした。1999年のある日、私は姪に電話をかけて、私の代わりにに商品を売ってもらうよう頼みました。すると、姪はすぐにやってきました。
姪は法輪大法を修煉しており、姪が来る時はいつも大法の書籍を持ってきました。姪は師父の説法の録音テープも持ってきて、師父の説法の録音テープを店内で再生しました。師父の説法を聞いているうちに、師父の話はとても素晴らしいと実感しました。私は各地を駆け巡っていたにもかかわらず、どうして今まで一度も聞いたことがなかったのでしょうか? その時、自分が少し元気になったように感じました。
私は姪に「このプレーヤーで再生されているのは何なの?」と尋ねました。姪は「これは師父の説法です」と言いました。私は「あなたの麻痺は、これを修煉してよくなったの?」と聞くと、姪は「そうですよ!」と言いました。私は再び「私が聞いてもいいですか?」と聞きました。姪は「誰が聞いてもいいし、誰が聞いてもよくなります」と言いました。私は「法輪功の師父が説かれていることはとても素晴らしいので、私も聞きます」と言いました。姪は「おばさん、明日は何もしなくていいですよ。私が最初から録音を聞かせますね。いいですか?」と言いました。私は「はい」と言いました。
その頃、私は一晩中ずっと咳をしていて、眠れない日々が続いていました。師父の説法の録音テープを聞いて4日目の夜、咳を一切せずに、ぐっすりと一晩眠ることができました。実は数カ月間、一晩中ぐっすり眠ることができませんでした。師父の説法の録音テープを聞き終えて以来、私は元気になりました。1カ月後、私の病気は完全に良くなりました。師父が説法の中で言及されているさまざまな状態は、すべて経験しました。私が持っていたすべての疑問、人生の意義、理解できなかった問題について、すべての答えを得ることができました。私はすぐに師父の写真とすべての大法書籍を取り寄せました。
私は以前供えていたものを処分しました。処分した晩、私は夢を見ました。夢の中で、猫のような猫でないような動物が、長い尾を引きずりながら、家の中を走り回っていましたが最後にはかまどの中に潜り込んで消えてしまいました。それが憑き物であると私は知っていました。師父が私を浄化してくださったのです。
法輪大法の貴重な書籍を手に入れた後、私は毎日熱心に読み、法輪大法の法理が私の悟性を開かせてくださいました。法輪大法の法理は心を浄化し、大法の不思議な力が私の身に次々と現れました。煉功を始めたばかりの時、法輪が私の身体の中で回転し始めました。私は法輪の回転は師父が私の体を調整してくださっていることだと知っていました。法輪が回転して以来、私は病気がちの人間から健康で明るく笑顔の絶えない人間に変わりました。
三、皆が私は変わったと言った
夫は4人兄弟の中で最も年下でした。夫がまだ幼い頃、父親が亡くなりました。母親は子供たちを必死に育てました。夫は成人後、軍人になりました。夫が兵役に服している間に、家族は分家しました。当時、三つの部屋と他の財産がありましたが、夫には一間半(訳注:一間の部屋と半間の部屋の組み合わせ)の草屋(訳注:藁で作った家屋)と他の財産が分与されました。私たちが婚約した時、夫の家族は「この家は彼に分けられるもので、あなたたちは結婚したらここに住むことになります」と言いました。夫の母親は三男に養われており、母親に分けるべき財産はすべて三男に帰属していました。(訳注:財産が法的には三男に相続された)
夫が転職し帰宅して結婚した時、彼に分けられるはずだった家は三男によって貸し出されており、家賃も三男に入っていました。三男とその妻は私たちがその家に住むことを許さず、仕方がないので外に家を借りて住むしかありませんでした。道理から言えば、賃貸料は私たちに入るべきでしたが、三男は賃貸料をくれませんでした。姑は年老いており、姑の言葉だけで全てが決まるわけではありませんでした。2年目に、私たちは自分たちの家に戻って住む準備をしました。しかし、三男はどうしても私たちには住まわせないと言いました。農村の土地は30年間変わらず、夫に分けられた口糧田(訳注:自家用食糧を生産する農地)も三男に占拠され、私たちが耕作することを許しませんでした。その時誰も野菜を売っていなかったため、野菜を買うことができず、私たちには食べる野菜さえもありませんでした。村の親戚たちは状況を見ていられず、自発的に私たちに野菜を届けてくれました。
私は怒りがおさまらない時、夫に「もうすでに転職してから2年経ったのに、あなたの土地で作物を育てることも許されず、家に住むことも許されず、まるで物乞いのように、私たちは他の人からもらう野菜を食べて生活しています。あなたの兄弟が人をいじめて理不尽な態度をとるのなら、あなたは彼に要求すべきです。もし彼が応じないのなら、他の人に相談してみてください」と不平を言いました。夫は困惑し、夫のおじに相談しました。当時、家を分ける時、そのおじが主導したのでした。夫のおじは夫の話を聞いて非常に怒り、夫と一緒に三男の家に行って要求してくれました。しかし、夫の兄(訳注:三男)と兄の妻(訳注:三男の妻)は拒否し、逆に兄の妻は夫を罵りました。夫は兄弟間の和を損ないたくないと「私たちは諦めよう」と私を説得するしかありませんでした。私はもともと寛大ではなく、相手に容赦しない性格でしたので、夫の説得を聞いた後とても怒りました。時間が経つにつれて、私は夫の兄とその妻に恨みを抱くようになりました。表面上は何も言いませんでしたが、心の中でかれらを憎んでいましたが、面子や名のために、我慢せざるを得ませんでした。
ある時、私と夫は三男の家に行って、姑に会いに行きました。夫は夫の兄(訳注:三男)に「今年はこの小さな庭で野菜を育てます。他の家から野菜をもらって食べ続けるのはもうやめます」と言いました。三男はすぐに顔をしかめて「お前は私たちの言うことを聞いて、私たちが言ったようにすればいいのだ。彼女(訳注:私)がもう一度何か言ったら、お前は彼女を叩けばいい」と言いました。私は「なぜ私を叩くのですか? 私は何も言っていません」と言いました。三男は「まだ反論するのか」と言いました。そして私の夫を指さして「お前は本当に男か? 彼女を叩きなさい」と言いました。さらに聞くに耐えない言葉を言いました。それを聞いて、私は一気に怒りが湧いてきました。私は「彼が私を叩かないなら、あなたが私を叩いてください」と言いました。そう言いながら、私は手に持った棒を取り、三男に向かって打ちかかり「もう我慢の限界がきました。もうこれ以上あなたたちにいじめられたままでは帰れません。今日は命を懸けて戦います……。私はあなたたちと一緒に過ごすつもりはありません。私はあなたたちと対決するつもりです」と思わず罵りました。
またある時、三男の妻は家の野菜がなくなった、それを私が盗んだと言って、三男のおじを私の家に来させて探させ、調査しました。三男のおじが私の家に来て調べたことを聞くとすぐに、私は「あなたたちは交互に人をいじめ、人を羞辱するのですね」と怒りました。その時、三男の妻も現れました。私は言葉を選ばず三男の妻を攻撃し、髪を引き抜き、顔が青くなるまで殴りました。すぐに三男のおじと大家が私を引き離しました。このようにして、より深い敵意が生まれました。
しばらくして私は法輪大法を修煉し始めました。私たちは師父から真・善・忍の基準に従って善い人になり、より善い人になるように努めるように指導されています。問題に遭ったら内に向けて探し、自己を修め、他人を善く扱い、他人に寛容であり、慈悲の心を持ってすべての人に接するように心がけました。その後の付き合いでは、私は過去の敵意を忘れ、三男の家庭に何か問題があれば、積極的に助けました。三男の娘が大学受験を控えていたので、私の娘が三男の娘の学業のサポートをすることになりました。私は積極的に三男の娘を我が家に迎え、心地よくもてなしました。三男の娘が帰る時には、お金も渡しました。
三男の家族は新しい家を建てる予定で、私の土地を使用させてほしいと思っているようでした。三男の家族は他の人を通じて交渉し、私に一定の金額を提供するので、土地を三男の家族に売るように頼んできました。私は交渉しに来た人に笑顔で「これまでの長い年月の間、私たちはこのことを望んでいませんでした。ただ、当時はとても腹が立っていたので、意地を張り通しただけです。本当に必要ないので、彼らに譲ります。安心して家を建ててもらってください、構いません」と言いました。
三男はなかなか工事を始めることができず、私が後でトラブルを引き起こすのではないかと心配していました。私は直接訪ねて行って三男の家族に「私たちは家族です。どのように建てるかはあなたたち次第です。私は土地をあなたたちに譲ります。お金はいりません」と伝えました。三男の家族は、私がお金は必要ないと言ったことは予想外のようでした。私は「私は法輪功を修煉しています。私たちは師父から教えられたように、何事も人の身になって考え、無私無我で修め遂げ、自分自身のことよりも他人を優先し善い人になるよう努めています」と言いました。
私は大法の修煉によって修め出した慈悲の心と善念を持ち、周囲のすべての人や事柄に接していきました。近所の人々や地域の人々は、私との関わりを望み、私と話をすることや仕事をすることで心が明るくなると言いました。私は「私は法輪功を修煉しており、大法の師父から教えられ、どのような人に対しても善意を持つように心がけています」と言いました。長い時間が経ち、近所の人々や地域の人々、私を知っている人々はみな私が変わったと言いました。確かに法輪大法によって私は変わりました。
四、法輪大法が私の家庭に福をもたらした
1999年7月20日、江沢民は中国共産党(以下、中共)と共謀して法輪大法を迫害し始めました。大法のすばらしさを実証するため、私は省政府に陳情し、北京で法輪功のために正義の声を上げましたが、連行されて不当に勾留されました。帰宅後、政府の関係者から一層の嫌がらせが続きました。親戚や友人たちは私に修煉をやめるよう勧めました。そして、親戚や友人たちは「あなた自身が危険にさらされるだけでなく、子供の将来まで巻き込むことになりますよ」と言いました。親戚や友人たちはあれこれと取り沙汰し、差別的な目で私を見ました。
またある人は私に「誰かがあなたに修煉するかどうかを聞いたら、あなたは修煉しないと答えるべきです」と言いました。私は「こんなに素晴らしい功法をどうして修煉しないことができるのですか?! 私は本当に死にかけていた人間でしたが、法輪功を修煉して治りました。もし法輪功を修煉しなかったら、私の命はもうなくなっていたでしょう。私は師父のご加護を受けているので、何事も起こらず、子供にも影響はありません。彼ら(訳注:子供)は大法から恩恵を得られます。なぜなら彼らは私の修煉を支持しており、大法の師父が彼らを保護してくださるからです」と言いました。
その時、私の娘は修士課程を履修して、さらに博士課程に進んでいました。当時、学校は入党しなければ博士号の修了証書を発行しないと要求していました。娘が私に「どうすればいいの?」と尋ねました。私は「どのように対処しようとも、党には入らないでね」と言いました。娘は早く三退しており、娘自身も党に入ることに同意していませんでした。最終的な結果は尻切れとんぼに終わりました。娘は何の影響も受けずに博士課程を順調に修了し、理想の仕事を見つけました。
息子は公共機関で働いていましたが、影響を受けるどころか、むしろ昇進の機会を得ました。同僚たちは羨望と嫉妬の念を抱きました。ある時私は「おっ、君は本当にすごいね。昇進したね」と言いました。息子は「お母さんは『一人が煉功すれば、一家全員が受益する』[1]と言わなかった?」と言いました。私は「ええ、師父がそうおっしゃったので、私も恩恵を受けています。師父に感謝しましょう!」と言いました。
孫が生まれた時、私は孫に対して何度も繰り返して「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じました。孫は大きな目を開けて私を見つめ、一声も泣きませんでした。孫が話すようになると、私は孫に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を教えました。孫は心からの九文字を真似て学びました。時には、孫は私が正念を発している様子を見て、自分も真似て行いました。孫は足を組み、小さな手で正念を発しました。私が師父に香を捧げる時に合掌する様子を見ると、孫も師父に向かって合掌しました。
孫が40度の高熱を出したとき、私は家にいませんでした。息子が電話で私に、地方の病院では治療が難しく時間を無駄にすることが心配なので息子は行政機関のある街の大きな病院に子供(訳注:孫)を連れて行くつもりだと声を震わせながら言いました。私は息子に「心配しないで、子供は大丈夫よ」と言いました。息子は「他の家の子供はみな猩紅熱(訳注:はしか)にかかり、入院して5、6万円かけてやっと治った。お母さん、うちにはそんなにお金がないから、早くお金を用意して」と言いました。私は返事をしながら「子供を救ってください」と、師父にお願いしました。省の病院に到着すると、医師は「子供は大丈夫です、入院する必要はありません。数本の注射をして家に帰ればいいです」と言いました。子供はいくつか点滴を受けるだけで回復し家に帰りました。
五、「本当の法輪功の力を目にすることができた」
2007年の旧暦12月26日の朝、私は息子の家に行って孫の世話をしました。道を歩いていると、道路に大きな財布が落ちているのが目に入りました。足で蹴ってみると、財布が開いてしまいました。中を見ると身分証明書があり、私がその身分証明書を拾い上げて確認すると、中にたくさんのお金が入っていることに気づきました。その時、周りには一人も人がいませんでした。私は落とし主を待つことも考えましたが、子供の面倒を見ることが急務でした。遅れてしまったため、息子と息子の妻は仕事に遅刻してしまいました。私は財布を握りしめて息子の家に向かうしかありませんでした。走りながら「誰が落としたんだろう? もうすぐ旧正月なのに、こんなにお金を失くしたら焦ってイライラしないだろうか? 旧正月を迎えることができるだろうか? 私はできるだけ早く返さなければならない」と考えました。
息子の家に入った後、私は財布を開けて中を確認しました。中には5枚の身分証明書、人民元、米ドル、日本円、韓国ウォン、カナダドルがあり、さらに3万元の貸付金受領書(訳注:貸付金の金額や返済条件などが記載されている書類)や様々な領収書も含まれており、総額でおおよそ4万元ほどでした。私は、息子に連絡先が書いてあるものがあるかどうか確認してもらいましたが、息子が財布をひっくり返しても連絡先を見つけることはできませんでした。
私は焦って「これをどうしよう?」と言いました。息子は「お母さん、心配しないで。私に解決策があります。身分証があるから、警察署に行って調査してもらえば見つかるでしょう」と言いました。家族も皆「もうすぐ旧正月だから、早く返しましょう。このような事態になったら、家族全体で良い年を迎えることができないから」と言いました。家族がそう言ってくれたのを聞いて、私は心から喜びました。私が法輪大法を修煉しているので、家族も真・善・忍の基準に従って良い人として振る舞い、他人のために考えることができるようになりました。
翌日、夫が外から帰ってきて「見つけたよ。壁に貼ってある探し物の広告だ。電話番号が書いてあったのでメモしておいた、これだよ」と言いました。私は電話番号を手に持ち、再び広告の場所に行って確認しました。広告には「私はここで財布を失くしました。もし善意の方が拾った場合は、身分証明書を返していただければ結構です」と書かれていました。
確認が終わった後、私は公衆電話に行って落とし主に電話をかけました。受話器の向こうはしゃがれ声の女性でした。私は「私があなたの財布を拾った者です」と言いました。女性は「なんとお礼を言えばいいでしょう! 私は2日間何も食べていませんし、歯が痛くて食事もできません、眠ることもできませんでした。証明書類を返していただくだけで、お金はいりません。お金はお礼として受け取ってください」と言いました。私は「あなたと一緒に財布の中身を確認しましょう」と言いました。その女性は中身は全て正しいと言いました。そして、その女性は○○生命保険会社の担当者だと言いました。私はその女性に「あわてないでください。これはあなたのものであり、私は全てをきちんと返します」と言葉をかけました。その女性はまた「身分証明書を返していただければ結構です。お金はお礼として受け取ってください」と言いました。私は「もしお金が欲しいなら、あなたに電話しませんでした」と言いました。私はその女性と時間を決めて、会ってお金を返すことにしました。
私は他の1人の同修と一緒に財布を持ってその女性と会うことになりました。その女性は3人の同僚と一緒に来ました。会った後、私はその女性たちに私が法輪功を修煉していることを伝えました。そして、私と同修はその女性たちに大法の真相を伝えました。法輪功を修煉する人々は真・善・忍の原則に基づいて善い人として行動していること、法輪功は人々に善を教えるものであり、何事にも自分より相手の事を考えるのだ、ということを伝えました。そして「真の法輪功修煉者は、お金を拾った場合でも、それを持ち主に返すという正しい行動をとります。これはすべて大法の師父が私たちに教えてくださったことです」と伝えました。
私はその女性に財布を返しました。その女性は感動して私の手を握り、涙を流しました。そして財布からすべての現金を取り出し、私に感謝の意を示しました。私は「もし私があなたのお金を欲しいなら、電話をかけることもなかったし、今日会うこともありませんでした」と言いました。その女性たちは皆「今回のことで、テレビで言っていることが本当に信じられなくなりました。もしこの経験を自分自身で経験せず、この目で見ていなかったら、テレビの嘘に騙されていたかもしれません。今回は本当の法輪功を目にしました」と言いました。
その女性たちは自発的に中共の党、共青団、少年先鋒隊の組織から脱退し「私たちはどのようにあなたに感謝すればいいのでしょう?」と言いました。私は「もし感謝するなら、大法の師父に感謝してください!」と言いました。女性たちはみな「大法の師父に感謝申し上げます!」と言いました。その女性たちは感謝の涙を流しながら去っていきました。その女性たちの背中を見つめながら、私はその女性たちが救われたことを本当に喜びました。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』