7.20迫害はなぜ起きたのか?
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 【明慧日本2023年7月10日】1999年7月20日、中国共産党(以下、中共)は国家機関のすべてを総動員して法輪功への迫害を発動した。この迫害は今年で24年目となり、今や全世界に及んでいる。毎年「7.20」は迫害停止を呼びかける記念日として、世界各国で「反迫害活動」が実施される。

 1992年に中国で伝えだされた伝統的な気功修煉法である「法輪功(ファールンゴン)」は、心身の健康への高い効果によって、口コミで中国全土で愛好者が増えた。中国体育局の調査によると、1998年には7,000万人が法輪功を学んでいた。また、官製メディアにも紹介され、東方健康博覧会では最高賞を受賞した。

北京の東方健康博覧会で法輪功が最高賞を受賞

 しかし1999年、天津市で法輪功学習者(以下、学習者)45人が不当に逮捕される事件が起きた。4月25日には釈放を求めて北京で1万人の平和陳情(以下、「4.25平和陳情」)が行われた。当日のうちに解決されたと思われていたが、約3ヵ月後の7月20日、突如として全国的な迫害が始まった。国民の人気を集め、政府からも推奨されていた法輪功が、なぜ迫害のターゲットになってしまったのだろうか?

四川省成都市の公園で煉功する法輪功学習者

 4.25から7.20までの経緯

 「4.25平和陳情」は学習者の穏やかさと善良さを示した。数多くの学習者が、法輪功の「真・善・忍」の理念を自らの言動をもって表した。当時の朱鎔基首相のこの問題に対する和解的な対応も合わせて、国内外から高く評価された。しかしこのすべてが、六四天安門事件で学生を弾圧することでキャリアを積み上げた江沢民(当時の国家主席)を恐怖や嫉妬に陥れ、江沢民による正気を失ったかのような迫害が始まった。

 1999年4月25日の夜、江沢民は、毛沢東が文化大革命を起こすために行った「司令部を砲撃せよ」の手法を真似て、政治局全員に宛てた書簡をしたためた。その書簡には「我々共産主義者が信じるマルクス主義、唯物論と無神論は、法輪功が広めている一連のものに勝てないと言うのか?」と書かれていた。この書簡はその後、中共中央弁公庁によって内部通達として発行され、特に以下の注釈が付された。「本通達が求めているのは、協議や研究討論ではなく、学び徹底することだ」

 こうして始まった大規模な政治的な迫害を確実に実行させるため、江沢民は6月7日の中央政治局会議で談話を発表した。この談話は6月13日、中共の内部で秘密裏に伝達された。江沢民は、他の6人の政治局常務委員の反対を押し切り、執拗に法輪功への迫害を押し進めた。

 法律を超越した「610弁公室

 1999年6月10日、江沢民は李嵐清を主任とし、羅幹と丁関根を副主任とする「法輪功問題処理指導グループ」を設立し、中共中央委員会から各レベルの党委員会にまで同グループを設けた。その設立日から「610弁公室」とも呼ばれている。

 文化大革命時代の革命委員会、ナチス時代のゲシュタポに似たこの恐ろしい組織は、各レベルの地方政府に浸透しており、法律をも超越する。各地の公安、検察、裁判所、労働収容所、および刑務所を操り、洗脳班を設置させ、善良な学習者を迫害し、数え切れないほどの罪悪を犯してきた。

 一方で1999年6月14日、中央および国務院の陳情処理室は中国本土の新聞やラジオ、テレビを通じて「いかなる功法や宗派も禁じていない」と一斉に公表した。江沢民らは裏で迫害を企てつつ、そうした煙幕を放って迫害を隠蔽した。当時、山東省の役人はこれを「緩兵の計」(敵との決戦をわざと遅らせ、時間を稼ぎ機会をみて攻撃する戦法)と呼んだ。

 文化大革命の再来

 1999年7月20日未明、江沢民の指示の下、全国で大規模な逮捕が始まった。「名誉を汚し、経済的に破綻させ、肉体を消滅させる」、そして「打ち殺しても自殺とみなす」という政策の下、全国のメディアは、法輪功へのデマをでっち上げて流布させた。

 古都西安では、7月20日午前6時10分ごろ、多くの警官が一斉に西安市内の法輪功の各煉功場(学習者が集まって気功をする場所)に現れ、逮捕状等の書類も見せずに強制的に横断幕を回収し、煉功音楽を流していたスピーカーを奪い取り、指導員や招集者を警察車両に強制連行した。午後2時頃、天津市では十数人の学習者が警官に殴られ、強制的にパトカーに引きずり込まれた。

 全国各地で大勢の学習者が拘束・逮捕され、拷問の末、無惨に殺害された。文化大革命が再来したかのようだった。

天安門広場で大勢の法輪功学習者が暴行、拘束され逮捕された

 天安門事件の再来

 7月21日、遼寧省撫順市の街頭では、1989年の「六四天安門事件」と同様に、天安門広場で人体をもって軍用車両を止める光景が見られた。7月21日午前、多くの学習者が撫順市政府を訪れ、逮捕された学習者の釈放を平和的かつ理性的に求めた。市政府は学習者との面談を拒否し、大量の武装した兵士や警官を動員し、学習者に解散を迫り、さもなければ武力で連行すると脅した。しかし学習者は、問題が解決されていないため立ち去らなかった。政府は武装警察に強制逮捕を命じ、多くの学習者が逮捕され、車に乗せられた。

 学習者を不法に乗せた車が出発しようとしたとき、1人の学習者が勇敢にも道路の真ん中に突進し、車を正面から停車させながらこう叫んだ。「行ってはだめだ! 人を逮捕してはだめだ!」。その直後、続々と学習者が駆け寄り、道路の真ん中に座り込み、車を遮った…。

 しばしの膠着状態の後、大勢の武装警官が暴力を振るい始めた。彼らは道路の真ん中に座っていた学習者をつまみ上げて投げ飛ばした。ある者は地面に、ある者は群衆の中に、ある者は後ろの学習者の身体に投げ飛ばされて、一時は大混乱に陥った。

 今なお続く迫害

 それから24年、迫害はやむどころかエスカレートしている。生きたままの学習者の身体から移植用の臓器を強制的に摘出し、国内外に売却することまで中共政府が主導している。日本からも多くの患者が中国へ渡航し、知らないうちにこの違法な臓器ビジネスに加担しているのだ。

 学習者は政権には何の興味もなく、自分達の心身を鍛える気功である法輪功を学びたいだけだ。「4.25平和陳情」は、その自由を求めたものだった。中共は今日に至っても、「真・善・忍」の理念を学ぶ学習者を無惨に殺害している。

 

 
(中国語:https://package.minghui.org/mh/packages/425/425-article6.html)
 
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