繰り返し洗脳班で迫害され李秀梅さんは他界
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 【明慧日本2023年7月11日】武漢市の法輪功学習者・李秀梅さんは、1年のうち2回計40日以上もの間、黄陂区洗脳班に拘禁され、心身ともに苦痛を与えられた。洗脳班で洗顔や歯磨き、食事など、制限されるだけでなく、長時間にわたり法輪功を誹謗中傷するビデオや記事を見せられた。李さんは洗脳班から解放され帰宅したが、心身ともに回復できず、7カ月も経たないうち、2022年10月8日に他界した。享年71歳。

 李さんは湖北省武漢市黄陂区に在住だった。幼い頃に両親を失い、孤児になった李さんは経済的貧困で健康状態もよくなかった。しかし、法輪功に出会い、学んだ李さんは、心身ともに元気になり、幸福に満ち溢れた。

 ところが1999年7.20、中国共産党当局の江沢民グループは法輪功を弾圧し始めた。当局が法輪功の創始者を汚し、法輪功に無実の罪を被せた。民衆が騙されるのを見て、李さんはほぼ毎日でかけ、他の学習者と一緒に、法輪功迫害の真実を人々に語り、伝え続けた。

 洗脳班、拘留所、留置場に拘禁される

 2005年11月10日、李さんが働いている武漢黄陂区の288工場側は、李さんを騙して武漢市キョウ口区柁落口洗脳班に送った。ここで李さんは、法輪功を誹謗中傷するビデオを毎日見せられた。

 2014年7月26日午前、李さんは法輪功が迫害されている事実が書かれた資料を配布する際、地元派出所の警官に連行され、拘留所に連れて行かれたが、高血圧だったので、解放された。

 2019年6月14日、佳海工業園で法輪功の資料を配っていた李さんは、パトロール中の警官に見つかり、連行され、武漢市東西湖拘留所に送られ、13日間拘禁された後、武漢市第一留置場に移送された。

 拘禁されている間、李さんは高血圧症のため、武漢市安康病院に送られ、入院した。退院した後、また第一留置場に連れ戻され、1年3カ月拘禁されていた。

 不当判決1年6カ月を受け 安康病院に拘禁される

 留置場に1年3カ月間拘禁された後、李さんは懲役1年6カ月の実刑判決を下され、家族との面会も許されなかった。刑務所の入所の身体検査で、李さんの血圧が200㎜Hgだったため、刑務所側は入所を拒否した。しかし、派出所側が李さんを解放せず、安康病院に送り込んだ。

 頻繁に嫌がらせをされる

 刑期満了になって帰宅した李さんは、派出所の警官に絶えず、嫌がらせをされた。警官は李さんの家に行き、李さんに「三書」を書くことを強要し、コミュニティに来てサインをするよう要求した。このことは、李さん本人にも家族にも大きな圧力と傷害をもたらした。

 洗脳班に十数日間拘禁される

 2021年12月18日夜7時過ぎ、私服警官と制服警官7~8人が乗っているバスが李さんの家の前で止まった。警官らは李さんを黄陂区洗脳班に連行した。

 2022年元旦、李さんは解放された。洗脳班の迫害で李さんは体が弱くなり、背中は丸まり、まっすぐに立つこともできず、歩くと息切れがした。

 再度洗脳班に31日間拘禁される

 2022年2月18日夜7時、警官7人は李さんの家に来て、「ある重大な案件があなたと関係している。薬を持って、僕らについて来い」と、李さんを連行した。

 李さんは、息子に電話をかけたが、警官に携帯を取り上げられた。息子は警官に「お母さんは具合が悪いのです」と言い、李さん自身も「私は何もやっていません」と言った。

 警官は、バスで李さんを黄陂区洗脳班に送った。そこは山村で、周囲何キロにもわたって家はなく、ただ洗脳班一軒の建物だけだった。その建物は比較的広く、3階建てである。彼らは李さんを2階に拘禁し、部屋にはトイレと洗面所がついている。3台のベッドがあり、李さんは真ん中で寝ているが、3人から監視されていた。

 洗脳班の部屋にも廊下にも監視カメラがある。昼、李さんは1階の部屋に連れていかれ、法輪功への誹謗中傷のDVDを見せられた。

 食事は、李さんは外へ出ることが許されず、部屋で食べさせられた。トイレも洗顔も歯磨きも、ドアを閉めるのは許されなかった。

 李さんは「懺悔書」「誓約書」「決裂書」などを書くように強要された。

 2022年3月21日、李さんは解放された。

 迫害され死去

 法輪功を学んで心身ともに恩恵を受け、家族にも周りにも良い関係を築いた李さんは、洗脳班で迫害され、苦しめられた。特に、2021年末~2022年、2回洗脳班に拘禁されたとき、71歳の李さんは体にダメージを受け、健康状態が悪化した。

 そして、2022年10月8日朝8時、李さんは永眠した。家族は計り知れない苦痛を感じているという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/3/461561.html)
 
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