6年間の拘禁と5年の放浪生活 天津市の劉樹平さん死亡
■ 印刷版
 

 【明慧日本2023年7月12日】(天津市=明慧記者)天津市武清区の法輪功学習者・劉樹平さんは以前、天津板橋労働教養所で6年間不当に拘禁され、様々な拷問を受けた。2018年、迫害を避けるため、劉さんはやむを得ず家を離れたが、2023年6月14日に亡くなった。享年67歳。期間中、劉さんは母親が亡くなったとき、そばにいることができず、娘が出産したとき、世話をすることもできなかった。

 劉さんは法輪功を修煉する前、神経を圧迫する頚椎の骨棘、椎間板ヘルニア、深刻な腎臓病、リウマチなど様々な頑固な病気に苦しんでいた。闘病生活の中で、劉さんは生きる勇気を失ったこともあったが、1998年末、法輪功に出会い、一銭も使わずに長年の病気はすべて消えた。劉さんの夫の張広富さんおよび親戚、友人たちは法輪功の奇跡を目の当たりにして、次から次へと法輪功を学び始めた。

 陳情のため北京に行った際、連行され暴行を受ける

 1999年7月、中国共産党の江沢民集団が法輪功を残酷に迫害し始めた後、劉さん一家は様々な迫害を受けた。「4.25」の後、劉さん夫婦は3回も北京へ陳情に行き、自らの体験を用いて、法輪大法が真の健康法であることを政府に伝えた。そのため、2人は北京の西単で警官に連行され、夫の張さんは革ベルトで強く殴られ、胸と背中に青紫の傷痕ができた。その後、夫婦は武清区黄花店鎮の派出所に連れて行かれた。所長の張鵬は高電圧の電気棒で劉さんの手、腰、背中に電気ショックを与え、警官の石海濱は棒で劉さんを殴り、副警官の楊士華(悪報に遭い癌を患って死亡)は何度も平手打ちをした。劉さんの顔は腫れ上がり、口から血が流れた。

中共酷刑示意图:背铐、电击、棒打、踩踢

拷問のイメージ図:後手にして手錠をかける、足を踏みつける、電気ショックを与える

中共酷刑示意图:殴打

拷問のイメージ図:殴打する

 当時、劉さんの11歳の娘も大変な辛い思いをした。警官らが夜中に何度も家に来て、家宅捜索を繰り返し、一人ぼっちの娘は泣くしかできなかった。警官はまた学校側に働きかけ、先生や生徒たちに劉さんの娘を無視し、孤立させるよう指示した。その結果、劉さんの娘は小学校を卒業する前に退学した。

 労働教養所で6年間拷問を受ける

 2000年12月27日、劉さんは外出しようとしていたところ、待ち伏せをしていた4人の私服警官に連行された。翌朝、何の理由もなく、1年間の労働教養を言い渡された劉さんは、天津板橋女子労働教養所に拘禁された。

 天津板橋女子労働教養所で、警官は劉さんに「三書」を書くことを強要し、また受刑者らに拷問を加えるよう指図した。受刑者らは劉さんを暗い部屋に引きずり込み、革靴を履いた足で蹴ったり、劉さんの髪を掴んで壁に頭をぶつけたりした。劉さんはめまいを起こし、意識が朦朧として立つことができなくなった。さらに、小さな椅子に長時間座らされ、寝ることも許されず、灌食などの拷問も加えられた。

 劉さんは1年間の労働教養を強いられたが、法輪功を放棄しないとして、実際6年間拘禁された。様々な拷問を受け、苦しみを嘗め尽くした劉さんはようやく解放された。

 5年間放浪生活を余儀なくされた劉樹平さんは死亡

 2011年8月1日の夜10時頃、黄花店郷派出所の警官らは叫びながら劉さんの自宅に押し入り、嫌がらせをした。

 2015年11月6日、天津市武清区泉興路派出所の警官2人が、劉さんの自宅に侵入して嫌がらせをし、近隣住民は非常に不安を感じた。

 2017年11月11日昼12時頃、黄花店郷派出所の警官3人がまた来てドアをノックしたが、夫の張さんはドアを開けなかった。警官らはまた劉さんの実家に行き、寝たきりの劉さんの母親に対して嫌がらせを働いた。

 2018年10月23日正午、武清公安局刑事警察と黄花店郷派出所の警官は劉さんの家にやって来て、夫の張さんを連行し、家宅捜索を行った。警官はさらに劉さんを連行しようとした。

 劉さんはやむを得ず家を離れた。長年、放浪生活をしたため、ついに今年6月14日にこの世を去った。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/27/462394.html)
 
関連文章