中国法会|母を助ける中で自分を修める(二)
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文/山東省の大法弟子 清水

 【明慧日本2023年7月17日】(前文に続く)

 再び母との時間を取り戻し共に修煉する

 2021年のある日、母から電話があり、妹が新居を購入し、母はまだ妹と同居しているとのことでした。母と妹が住んでいる古い家が売りに出されていたのですが、外部の人には売りたくないということで、私に「どうですか? いりませんか?」と聞いてきました。私たち夫婦は、ちょうどお金ができたので、母と妹の古い家に引っ越して、母の近くに住むことができ、私と夫はとても喜びました。私が母と妹の古い家に住めるようになったのも、何より母と一緒に修煉できるようになったのも、すべて師父の按排であると私は心の中で思っていましたから、大切にしなければならないと思いました。

 母と妹の新居はかなり広く、60代前半のお手伝いさんがいました。私は家族に歓迎され、母の家に一晩泊まるための独立した寝室を与えられました。妹がまだ働いていたため、仕事で疲れ、生活の各方面の要求がみな高く、家庭全体が妹中心になっており、80代の母と60代前半のお手伝いさんは能力が限られていたため、妹の希望に添えず、疲れてしまうこともしばしばあることが引っ越してから数日でわかりました。妹は短気で、誰にでも怒鳴り、2人のお年寄り(母とお手伝いさん)にも恥知らずに失礼なことを言いました。しかし、妹は心が優しいので、当然のように母とお手伝いさんに愛情を注ぎました。妹の家では、母とお手伝いさんの2人では妹の要求に応えられないと見て、私は自分で引き受け、さらに、私は他の人に使われるのは嫌だったので、自分の家でやっているように、あれこれと行いました。

 また、母がお手伝いさんとよく喧嘩をしていて、そのことをお手伝いさんに内緒で私や妹に話していたこともわかりました。その母の話を聞いた時、これで修煉者なのか、と私は思いました。常人の理で争うのではなく内に向けて探さなければなりません。お手伝いさんが来たのは偶然ではなく救われることを求めてやってきたのだと、私は母に言いました。母は聞く耳を持たず、目の前でお手伝いさんと口論になりました。母が私の目の前でお手伝いさんと口論になったことを見て私は怒り、お手伝いさんの前で母を批難したのですが、母はお手伝いさんを怒り「母親によくしない」と私にも怒りました。妹の家でしばらく過ごしていたのですが、疲れすぎて息が詰まってしまい、学法煉功発正念すべてに影響しました。

 この時、妹が母に伝言を託し、私がお手伝いさんの仕事を引き継いでから管理が大変になったと私に言ってきました。妹からの伝言を聞いて、私は少し残念に思いました。その後、内に向けて探してみると、自分が他の人の代わりに決定していたことがわかりました。それぞれの家庭にはそれぞれの習慣や基準があり、妹の家に来たからには、自分の立場をわきまえ、妹と母の役割分担を尊重しなければなりませんでした。妹と母が必要なことを私は何でもやるし、アイデアがあれば事前に妹と母のアドバイスをもらい、妹と母が私のアイデアを受けいれることができてから、行いました。

 また、母への情も見つかりました。というのも、ここ数年、母の目に白内障の症状が出てMP5の文字が読めなくなり「明慧週刊」を読まなくなったことが、妹の家に来てからわかりました。しかし、母は何も言ってこなかったので、私は無駄に「明慧週刊」を送る準備を続けていたに等しかったのでした。母が落ちていき、常人に溶け込んでしまい、この年になって母が倒れ、病気になり、いつか死んでしまうのではないかと、怒りと不安でいっぱいになりました。

 怒りと不安でいっぱいになったさまざまな執着を見つけた後、私は母に相談し、各自が三つのことを行うことを基本に、すぐに2人の学法グループを作り『轉法輪』や師父の最近の説法を一緒に学び、時間があれば一緒に煉功や正念を発し『明慧週刊』などの修煉交流の音声ファイルを母親に毎週ダウンロードさせることにしました。また、2週間に一度、お手伝いさんが休みの時は、母と妹と一緒に暮らし、料理や掃除などの家事全般をこなし、お手伝いさんが戻ってからは、日中1、2回、時間を作って母のところに行き、母と一緒に法を学び、正念を発し、煉功しました。こうして、三つのことをするための安定した環境が整い、母は状況に応じて日々の修煉をアレンジし、トラブルの中で悟り、修煉状態に入ることができました。いつも母の執着をじっと見つめ、母が修煉するのを見ているわけにはいきませんでした。師父がおられ大法があり、私も師父と法を信じ、母を心配するこの心を放下しなければなりませんでした。

 このようにしてしばらくすると、母はスムーズに法を読めるようになりました。母は毎日、朝起きてから法を学んでいました。正念を発するのは4回の正時で、夜12時は続けられませんでしたが、他の3回は基本的に忘れずに行い、日中も時々正念を発することを考えていました。毎日、動功とは別に静功も始め、片足から始めて、毎回30分は超えられるようになりました。また、母は師父と法を敬うために、大法書籍を入れる大きな引き出しを用意するなど配慮し、法を学ぶ前に手を洗うことを忘れませんでした。また、母は中国共産党(以下、中共)の邪悪な本質を間違いなく知っており、意図的にまた未意識に嘘をつくことの問題点を発見し、普段は真を修煉することに気を配りました。

 母とお手伝いさんの関係は良い時も悪い時もあり、お手伝いさんの前で母に話をするのではなく、どこが修煉者らしくないのか、師父が私たちにどのように教えてくださっているのかをこっそりと母に伝えました。大法は母を精錬し、母の気分がどんどんよくなっていくのがわかりました。ある時母が、妹がまた母とお手伝いさんに説教をした、ということを言い、母は「私のせいです」と言いました。母はお手伝いさんに手伝ってもらいながら、ものごとを改めてしっかり行いました。私は母のことでとても喜びました。もし私だったら、ここまで行えたかどうかわかりませんでした。

 振り返ってみると、引っ越したばかりの頃、私は母の背中が曲がっているのを見て、背中が曲がっていることを母に話すと「具合が悪いのも無理はない」と言われました。母もあまり気にしていなかったのですが、今ではいつの間にか背筋が伸び、長年猫背だったのが嘘のようになりました。また、母は料理をしない人として家族に知られていたため、料理をするきっかけがありませんでした。以前、夫から「でたらめに料理をとり合わせないでくれ、本当にまずい」と母を説得するように言われたことがありました。しかし、現在(訳注:2022年11月)では母の作るめん類はとても美味しく「料理をするきっかけになった」と母は言いました。

 人を助けることは自分を助けること

 母を助ける過程で、私自身も向上していることに気づきました。人を助けることは自分を助けることと同じだと話す同修が多いというのも頷ける、と私は感嘆しました。

 まず、集団学法では、心を静めて法を心に刻みました。毎日1人の時に法を学ぶ時は心を静めて法を心に刻む状態を維持するようにしました。次に、焦り、高みから自分を大法の上に置こうとする心、母がうまく修煉できないかもしれないという不安と妹の家で苦しませたくないという気持ち、自分がしっかり修煉できていることを見せたいという顕示心、自分が優秀で有能だとアピールしたい顕示心と闘争心、妹に対する嫉妬や恨みなど、多くのものを取り除くことが出来ました。

 また、長年続けてきた間違った煉功動作を、母が正してくれました。また、自分が悟ったことを使って母に師父の法を説明したり、勝手に法に定義づけをしたり、自分が悟ったことに従って母が修煉するように仕向けている自分に気がつきました。師父の啓示の下、私はこの重大な問題を発見しました。私は急いで師父に向かって悔い改め、師父が言われた通りの言葉を使い、師父が言われたことを、私がこの段階でどのような悟ったのかを申し上げました。

 悔い改める過程で、私は自分が本当に口を修めていないこともわかりました。母の修煉の次元と受け入れ能力があったからこそ、私は問題点が見え、どのように母と交流すればいいのかを悟り、師父がどのように言われたのかを悟りました。このように、時々、法を学ぶ中で師父の啓示を目にすることで、日常生活のこまごましたこと、生活に必要なことの中で、母にいろいろと問題があることに気づきました。私も日常生活の中の悩みを抱えていましたが、あまりに自然に形成されたので自分では意識しておらず、他の人を見るとはっきり見え、的を射ていました。さらに掘り下げていくと、自分の一思一念の背後で、口を修めずに考えたり話したりすることが様々な執着心によって指示されており、すべては主意識が強くないことが原因であることがわかりました。私も数年来、一思一念を修めることに注目してきましたが、この時のような状態ではなく、執着心によって指示されることの源、過程、結果をこんなにもはっきりと見たことはありませんでした。

 法を学んでいる時は、師父が法の全篇を通じて教えてくださり、私の問題点を指摘してくださっていると、私は感じました。そこで私は、母と「私たちは自分の心をコントロールし、トラブルの中で他人を責めたり、非難したりしてはなりません」と交流しました。私たちは、より高い次元に行こうとするならば、より高い次元の理によって導かれなければならず、真・善・忍は宇宙の最高の法理、宇宙の最も基本的な特性であり、人や物事に対して、この三文字で直接判断するのだ、ということを、法の中から悟りました。何が正しいか、何が間違っているかを常人と争わないだけでなく、口を修めないというのはどういう心からもたらしたのかを知る必要がありました。もし発せられたのが善でない念であれば、その念は悪い念であり、抑制し、消去し、それ以上発展させないようにしなければなりませんでした。

 現在(訳注:2022年11月)はまだ修煉を始めたばかりのような感じで、本当に20年以上表面的な修煉をしてきており、多くの執着が表面には現れず、トラブルの激しい葛藤があっても我慢できましたが、心の中には執着が隠れているという感覚がありました。普段私が回りくどい言い方で口を修めず、不満をぶつけ、夫が私の話に特別敏感なのも無理はありませんでした。私が話し始めると話し始めたばかりなのに、夫は私を遮断し、私が何を目指して言っているのかが分かっているかのように夫は全てにおいて正しいのでした。現在(訳注:2022年11月)は、師父が夫の口を借りて私を悟らせてくださったのだと気づきましたが、私は今まで、自分の心性を高める機会をどれだけ逃してきたか気づかず、夫は何かというとすぐに怒り出すと夫を恨み、言葉で人を傷つけ、ひたすら外へと向けて探していました。

 また、私はずっと母の修煉を手伝うために母のところに戻ってきたといつも思っていましたが、実は母が私の修煉を手伝っていたということにも気づきました。妹は私たちと口論し、逆に私自身は怒ると母と口論し、母はお手伝いさんと、お手伝いさんは母と口論するなどして、周りのみんなが私たちの修煉を助けていました。

 母は、妹がいつ帰ってくるのか、夕食を食べるのか、事前に教えてくれないので、妹とお手伝いさんが黙って待つことが多く、時間を無駄にしたと不満を漏らしました。一方、母は人とのコミュニケーションに不慣れで、一人で退屈していました。不満を漏らしていたことに気づいた母は、再びトラブルが起き轉法輪の、妹にメールを送って問いただし、その結果、妹からすぐに返事が来ました。母とお手伝いさんが妹から返事が来たことを知った後、母とお手伝いさんの仕事を合理的に振り分けることができました。本当に外へと向けて探し人の問題のあら捜しをすることはできませんでした。すべての人々が私たちを助けてくれており、私たちは本当に人々との関係を正しくする必要がありました。私たちは「真・善・忍」の宇宙大法に積極的に同化する修煉者でした。さまざまなトラブルの中で、世に下り大法の救い済度を念願するさまざまな次元の人々を救い済度するために、執着を見つけ出し、心性を高め、さらに高い能力を修めました。

 先日、私と夫は郊外への旅行先で、ある男性と出会いました。この男性は、結婚の問題に関して非常に乱れており、この男性の義理の両親の言葉を借りれば「人間のクズ」であり、私もその男性の行動が目障りでした。しかし、それまでの修煉の基礎があったからこそ、男性の行為が目障りだというこの考えは悪い念であり、このような考えをしてはいけないということが分かりましたが、それではどうしたらいいのでしょうか? すぐに「善で彼に接する」という一念が頭をよぎりました。そうでした、私はその男性を、救い済度されることを念願している人と見て、自分の善の念を持ち続け、他人の判断に振り回されず、善の念を持ち続けなければなりませんでした。

 善の念を持ち続けなければならないことを理解した上で、私は自分の修煉の認識を少し調整しました。最近はいつも知り合いに対して善の念と正念を加えました。迫害に加担した人たちに対しても、迫害に加担した人たちのはっきりと理解している一面を以って自分を主宰し、中共の邪悪な側面を認識して三退を選択することを願いました。

 現在(訳注:2022年11月)、妹とお手伝いさんは、私が一緒に暮らすようになったことを特に喜んでいました。妹が帰ってきて「お姉さんはどこですか?」と探しました。母は「帰りました」と言いました。妹は「あ、また帰っちゃったの!」と言いました。妹は非常に失望しました。この時、母は「人はみんな自分の家を持ち、自分の人生を生きなければなりません」と言いました。お手伝いさんも私が来るのを楽しみにしており、私が来ると、彼女のすることなら私は何もこだわらず、いつもお手伝いさんを褒めました。妹が帰ってきて食事をする時は、私が料理を作るか私が手伝うので、お手伝いさんへのプレッシャーはありませんでした。

 また、妹に法輪大法の修煉で福を得たことをはっきりと伝えたところ、妹は「大法が素晴らしい」ことを認め「心からの九文字」を念じました。私と母親が一緒に法を学び、正念を発している時に、私が妹に何か言うと、妹はいつも「さあ、がんばろう」と言って喜びました。

 母は私が妹と母親の家に来たことを喜んでいましたが、現在(訳注:2022年11月)は自分が修煉者であること、毎日修煉者が行わなければならないことがあることを忘れないように、自分の手配に従って毎日の学法と煉功を行おうと考えていました。

 母が大法の修煉に入った全過程を振り返ってみると、実は私の修煉過程と共通しているところがあり、私の修煉を向上させる要素もあったことがわかりました。この地上でどんな形で再会しても、私たちは、お互いを思いやり、助け合わなければならず、師父が按排してくださった大法を実証し、衆生を救い済度するための道を共に歩むことを、世に下る前に私たちは誓い合ったのかもしれません。同修との縁を大切にして、円満成就して師父に従って家に戻ります。

 以上、ここ最近の現段階の次元での認識をまとめてみました。何か適当でないところがある場合は、訂正をお願いいたします。

 (完)

 (明慧ネット第19回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/18/451557.html)
 
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