文/武漢の年配の大法弟子
【明慧日本2023年7月24日】私はかつて、師父が武漢で開催された説法講習会に、幸運にも参加することができました。すべての真に修める弟子と同じように、法輪大法の修煉を始めたあの日から、私の身の上に多くの奇跡的な物語が繰り広げられました。
1993年3月25日の午後、バスで市役所の講堂に着いたとき、財布と説法講習会に参加するためのチケットをなくしたことに気づきました。説法講習会に来た人が、列になって途切れることなく講堂に入っていくのを見て、チケットもなく、座席番号もはっきり思い出せない私は、講堂の正門前でただ焦ることしかできませんでした。しかし、思ってもみなかったことに、演壇のスピーカーで司会者が「まもなく学習会が始まります」と告げた瞬間、私の脳裏に「10列9番」という文字が突然パッと現れました。スタッフも私の事情を知って「10列9番」に行って見てくれました。確かに誰もいなかったので、すぐに私を会場に入らせてくれました。講堂に入ってから分かったのですか、通路まで人が埋め尽くされており、私の席だけがポツンと空いていたのです。
法輪大法を修煉する前は、健康と老化防止のために、夏は水泳、冬はランニング、毎朝6時に起きて公園に行って太極拳をし、さらに他の多くの流派の気功も練習していました。それなのに、依然と様々な病気を患っていました。赤血球、白血球、血小板は普通の人の半分しかなく、心臓病、頚椎症、腰椎症、皮膚炎、飛蚊症、内痔核、外痔核などがありました。「病気があれば手当たり次第に医者に診てもらう」と言われるように、私は自分の病気を治すために次から次へと、名医や専門医に診てもらいました。西洋医学がダメなら漢方医に行き、現地で薬が買えなければ海外に行ってまで買いに行きました。勤務先の医務室で薬をもらう他に、毎月少なくとも200~300元の医療費がかかっており、私は薬が手放せない人になっていました。
しかし、市政府の講堂で、李洪志大師の最初の2時間に及ぶ説法を聞いた時から、今日に至るまでの21年間、病院に行ったことも、医者に診てもらったことも、薬を飲んだことも、注射を打ったこともありません。煉功を始める前に患っていた様々な病気はすべて無くなりました。16年間治らなかった慢性大腸炎も跡形なく消え、新たな病気も生じていません。
法輪功を修煉して3ヶ月後、13日間連続で1日500~600ミリリットルの血を排便していましたが、ついに自分を真の修煉者と見なし、煉功をやり続けたら、すぐに治癒しました。
またある時、お腹があまりにも痛すぎてベッドで転げまわっていたところを、夫に見られてしまいました。私は以前、虫垂炎にかかったことがあったので、夫は盲腸に穴が開くのを恐れて、早く病院に行くように勧めました。夫は、「少しでも遅れたら死んでしまう」と言いました。しかし私は、師父が、「生死を放下できれば、あなたは神ですが、それができなければ、あなたは人間にほかなりません」 [1] と説かれたのを思い出しました。
修煉する人の身体は師父によって浄められています。浄化された後の無病の身体は、もう新たな病気は生じないのです。たとえ、時折不調を感じたとしてもこのような方法を通じて、過去に作った業を償うと同時に、大法弟子が本当に「師を信じ、法を信じる」かどうかを試すためのものに過ぎないのです。それを「病気」とするか「関門」とするかなのです。一人の煉功者として、心を守れず「病気」とするなら、病院に行って薬を飲んで注射を打つしかなく、ひいては手術をしなければ治りません。もし、病気とせず「関門」とするなら、別世界が見えるのです。
ここまで考えていたら、さっきまでベッドの上で、お腹の痛みで転げ回っていた私が、奇跡的に良くなりました。それはまさに、「山窮まり水尽き路(みち)無きかと疑い、柳暗花明又一村(眼前に新たな世界が開ける)」なのです。
また、中国の古い言葉に、「人生七十古来稀なり」というのがあります。今年(2015年)75歳になった私は、中国共産党から15年に及ぶあらゆる拷問虐待と、精神的な迫害を受けてきたにもかかわらず、30代や40代のころよりも体が丈夫です。加齢によるシミは消え、90年代に掛けていた150度の老眼鏡も要らなくなりました。今では、学法の時にも全く眼鏡は必要なく、小さな文字もはっきりと読めるし、ひいては指の指紋さえも見分けることができます。さらに驚きなのは、古稀(70歳)を過ぎて生理が来たことです!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』