【神伝文化】異なる境地における利益と損失の概念
■ 印刷版
 

文/智真

 【明慧日本2023年8月3日】孔蔑(こうべつ)は孔子の甥で、宓子賤(ふくしせん)は孔子の学生で、2人とも県知事になりました。

 ある時、孔子が孔蔑のところに行った時、ちょうど春の農繁期でした。孔子は道中で、いくつかの田畑が荒れていて、民が憂いた表情でそばに立っているのを見て「どうして耕作をしないのですか?」と尋ねました。民は「半年以内に税金を納めなかったため、規定により農作業不許可の処分を受けました」と言いました。孔子はそれを聞いてとても憂いました。

 孔子が孔蔑に会って「あなたが出仕してから、収穫したことは何か? また損失したことは何か?」と聞きました。孔蔑は「収穫は何もありませんでしたが、損失は三つありました。王の出した指令でやるべきことは一重一重の服のように多く、政務が忙しくて勉強する時間どころか、一日中憂いごとばかりです。それ故に勉強しても何も悟ることができません。これは一つ目の損失です。また、俸禄がお粥の米粒のように少ないため、親戚の面倒を見ることができず、親戚や友人が疎遠になってしまったことは二つ目の損失です。最後に、公務が急迫していて、礼儀に則ることができず、病人を見舞う時間もないため、他人に理解されないことは三つ目の損失です」と言いました。

 孔子は「役人の道を心得ている者は、『仁愛』の思想から、明徳で罰には慎むと聞いた。政令で導き、刑罰で縛るということをすると、民衆はどのように刑罰を免れるかを考えるばかりで、それが恥ずべきことかどうかとは考えない。徳行で教化し、礼儀で律すれば、民衆は法を守り、恥を知るだけでなく、道理が分かって善に向かうことができる。そうなると、罰せられることはなくなるのだ! 思想の導きが正しいことで、皆の理解と支持を得ることができる」と説きました。

 孔子は宓子賤が県知事を務める所に行き、その地の物は豊富で県民は豊かで、人々は正直で礼儀正しいのを見て「あなたが出仕してから、収穫は何か、損失は何か?」と聞きました。「損失はありませんでしたが、三つの収穫がありました。どんなことをしていても、たとえ煩雑な公務をこなす中でも、聖賢の教えた道理を導きとし、真理を実践する機会と見なして、その道理を学べばもっとよくなると分かってきています。これが一つの収穫です。また、お粥の米粒のような少ない俸禄でも、親戚に分けて与えることで、親戚と友人の関係が深まることは、三つ目の収穫です。三つ目は、公事が切迫している中でも、礼儀を守ることを忘れず、時間を割いて病人を見舞いに行くことで、皆の支持を得ることができました」と答えました。

 二人が話をしていると、町から琴を弾いたり詩を歌ったりする声が聞こえてきたので、孔子は「県都を治める時も礼楽を教化しているのか? だからこちらの県民は穏やかだね。何をしてできたのか?」と笑って聞きました。宓子賤は「先生は『君子は道理を学んだら他人を愛護するべき』と説かれました。礼楽などを教わったからには、実践に生かしなければならないと思います。私は父親に対する礼儀で老人を扱い、我が子に対する心で子供たちを見守っています。税金を減らして貧しい人を助け、賢者を招き、私より才能のある賢者に謙遜に治める方法を聞きます」と言いました。孔子は「君は本当に君子だね。仁徳をもって人を従わせ、礼楽をもって世を治め、天命を守ることで、民はあなたに集まり、神もあなたを陰で助ける。あなたが治めている所はそれほど大きくはないが、あなたが治めている方法は立派だ。堯・舜の後を継いだとも言えるし、天下を治めることすらできるので、ましてや一つの県か!」と大きく感心して褒めました。

 宓子賤は後で歴史上の「仁政教化」の名人とされ、生涯儒家が提唱した「礼楽」の思想と「匡時(きょうじ)済世」(乱れた世を正し、危険な情勢を救う)の理念を実践し、道徳で人々の心を正し、「琴を鳴らして治す」と歴史に残されました。

 人は世の中で、逆境に直面しても、仁愛をもって真理を実践することができるのか、それとも個人のものに執着して進めようとしないのか? これは人間の思想的境地の問題です。人生の境地が違うからこそ、人との接し方や考え方、行動方式に違いが生じ、最終的に結果が違ってくるのです。すべてに善をもって、自分を正して他人に影響を与え、上は天の道理に合って、下は民心に応じることこそ、初めて道はますます広くなり、前途はますます明るくなるのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2008/5/4/177798.html)
 
関連文章