孔子は徳を重んじ社会の気風を正す
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 【明慧日本2023年5月27日】皆さんは、孔子の「己の欲せざる所は、人に施すことなかれ」という言葉をご存知だと思います。分かりやすく言えば、「他人に押し付けない」ということです。もう一つの言葉の「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達すべし」は、他人に対する責任と、心を尽くして助けることの大切さ、つまり「忠」の大切さを説いています。

 孔子にとって、仁・義・忠は人間が持つべき基本的な徳目です。人間としてのあり方も行いも、仁と義の徳目に沿ったものであるべきなのでしょう。

 孔子は政治に参与し世を正した

 孔子は56歳の時、司法官として就任し、喜色満面になりました。これを見た弟子は「君子は大難が来ても恐れず、大幸が来ても喜びを見せないと聞いたことがあります」と言いました。孔子は「其の貴を以って人に下るを楽しむ(高い地位にいて人に尽くすことが嬉しい)」と言いました。

 孔子は大官であった少正卯(しょうせいぼう)を処刑しましたが、その3カ月後、「豚や羊を売る商人は不当に高値を要求しなくなり、男女は別々に道を歩き、道に落ちたものを取る者はおらず、各地から魯の国にやってくる旅行者は、役人に賄賂を渡さなくても、まるで故郷にいるように、すべてにおいて満足のできるサービスを受けられるようになった」と記録されています。このような社会の気風と生活環境は、現代においても必要とされるものではないでしょうか。

 少正卯が処刑された理由

 少正卯は春秋時代の魯国の大官であり、「少正」は周王朝の官職で「官職を苗字とする」のが普通であり、卯が名前です。少正卯は弟子を受け入れて講義し、孔子のほとんどの弟子が何度も聞きに行きましたが、顏淵(顔回)だけは動じませんでした。顔淵は、孔子が直接褒めた10人の弟子の1人で、その高い品行が評価されていました。顔淵の師に対する忠誠心は、彼の高潔さを証明しています。

 少正卯の死後、孔子の弟子たちは、なぜ孔子が少正卯を処刑したのかを理解できず、質問しました。孔子は、少正卯には人間が持つ五つの悪い性質があると答えました。それは、「心が陰険であること。行為が卑劣で改めないこと。言葉が偽善で、弁が立つこと。古今東西の醜聞に精通していること。非道に従っていながら正当化するのがうまいこと」でした。

 孔子が人を評価する基準は徳を測ることに基づいており、徳がなく度を超えた者は不仁不義であり、社会に有害で役に立たない存在と見なしました。

 少正卯の処刑は、後世の言説、特に漢や宋の時代においては、主に「賢者が裏切り者を治める」という意味でよく登場します。もちろん、歴史書の作者によって異なる解釈や説も存在します。

 少正卯の処刑後、彼の講義の内容は学説や教義としては歴史に残りませんでした。ある学者は、その根本的な理由を「少正卯は技巧の人であったが、方法と技術があっても、仁義と道徳を持たない人間は、一時的に栄えても短命で、結局は人間社会から淘汰されるだけだ」と分析します。

 おわりに

 孔子の治世の効果と少正卯の処遇を見ると、孔子が人としての徳を非常に重視していたことが分かります。もちろん、孔子が語ったのは「中庸」であり、善徳とは欠点がないことや完璧さを意味するものではありません。「十哲」と呼ばれる孔子の10人の弟子はそれぞれ、徳行(顏淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓)、言語(宰我、子貢)、政務(冉求、子路)、文学(子由、子夏)の分野において優れていたため、『論語』に記録されています。10人全員が完璧ではありませんが、人間としての物事の対処の仕方で発揮された美徳が孔子に認められたのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/5/10/459955.html)
 
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