身近にいる子どもたちを救うことを忘れないで
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文/河北省の大法弟子  

 【明慧日本2024年10月17日】

 私たちの学法グループの同修は、しばしば家の子どもたちが学校で党文化や無神論に毒されていること、さらに携帯電話による害も加わっていることについて無力感を感じていると話しています。そこで、私たちは『慧生』や『天賜洪福』などの明慧期刊を子どもたちに読ませ、読み終えた後に感想を書かせるという方法を試しました。初めての試みですが、効果が良かったと感じています。今後もこの取り組みを続けていくと思います。

 以下は、同修の小学6年の孫が『天賜洪福』を読んだ後の感想文です。

 今日、『天賜洪福』を読む機会があり、それに深く感銘を受けました。

 私たちは人として生まれた以上、徳を持たなければなりません。「徳」とは、外面的な行動だけでなく、内面的な心の在り方も指します。「徳を持つ」とは、善行をするだけでなく、心に善念を持つことです。善念こそが善行の基礎であり、善行は善念の外面的な表現です。この二つは相互に補完し合うもので、どちらか一方だけでは成り立ちません。「徳を積んで善行をする」という言葉も、まさにこの意味を表しているのでしょう。

 ある人がこう言いました。「大法を学ぶと、命が救われる」と。それは確かに人を救い、命を救うことができるのです。しかし、どんな人の命が救われるのでしょうか? 法輪功の主要な著書である『轉法輪』を数ページを読んだだけで、または心からの九文字(「法輪大法好、真善忍好」)を流暢に暗唱できても、心から師や法を信じず、善念を持たない人が救われるでしょうか? そうではありません。

 『天賜洪福』には、次のような事例が紹介されています。ある男性が、日頃から徳を積み、善行を行っていました。ある日、彼は病にかかり、命の危機に直面しました。息子は父親に「法輪大法好、真善忍好」と唱えるように言い、さらに一緒に『轉法輪』を学ぶように勧めました。徐々に病状は改善し、健康を取り戻しました。息子は父親に言いました。「師父があなたを救ったのです。大法があなたを救ったのです」と。この事例が示しているのは、師と法を信じ、徳を積み善行を行ってこそ救いを得られるということです。逆に徳を欠き、悪行を重ねれば、どれほど心からの九文字を暗唱しても、大法が命を救うとは限らないのです。

 これが『天賜洪福』を読んで私が感じたことです。人は善行を積み、徳を持ち、師と法を信じてこそ、絶望の中に希望を見出せるのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/11/483775.html)
 
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