カナダ「明慧学校大法子ども弟子法会」初開催
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 【明慧本2023年8月8日】(カナダ・トロント=明慧記者)カナダ・トロントの明慧学校は7月1日(土)、スカボロー市民センターで「第1回大法の子ども弟子修煉体験交流会」(以下、法会)を開催した。14人の大法の子ども弟子、5人の教師、4人の保護者が修煉体験を発表した。

 子ども弟子たちは、成長過程での修煉体験、いかに遊びたい欲望を抑えること、同級生と自分を比べる心理をなくすこと、弟妹を包容し寛容できるようにすること、電化製品への依存をなくすことなどについて語った。また、教師や親たちは、子供たちがまっすぐに上向きの価値観や行動を身につけるよう指導するプロセスや、教育における困難や難点に直面したときに、自分自身の修煉を高めることで、子供たちと効果的にコミュニケーションをとる方法を見つけるなどの、修煉の体得について共有した。

 幼い頃から法を学び、心を修め、法を広めることは遅れることがない

 8歳の妙妙ちゃんは、横で風船を作っているおじさんを静かに見ていた。おじさんは、「風船を作ってあげようか?」と言いましたが、妙妙ちゃんは作らなくてもいいと言いました。 おばさんも二回聞きましたが、妙妙ちゃんは作らなくてもいいと答えました。

 パパとママは不可解に思い、妙妙ちゃんは長い時間まじめに見ていたので、とても気に入った様子でしたが、妙妙ちゃんは「大好きだけど、他の人にチャンスをあげたいの。私が受け取れば、他の子がもらえなくなるわ」 と話しました。 妙妙ちゃんが去るとき、遅れてきた子供が風船を手にするのを見かけました。

 妙妙ちゃんは6歳になり、パレードの最初から最後まで歩き通しました。いつもは、妙妙ちゃんと兄、そして数人の子ども同修と1本の横断幕を持っていました。太陽に照らされて、とても暑いときもありましたが、立ち止まって水を飲むことも少なく、妙妙ちゃんは「私は子ども弟子たちの元気な姿を見てもらいたかったの」と話しました。

 その後、妙妙ちゃんはパレードの仙女グループに参加しました。 パレードの間、仙女たちは話したり、水を飲んだり、立ち止まることができませんでした。 妙妙ちゃんは「私は、これらが前からできていたので、仙女として合格しました。 ママは、私が可愛い仙女の服を持っていることをみんなに告げようか? と聞きました。 私は告げる必要はなく、そうすれば顕示心が現われる」と話したそうです。

 心性を高め、殴られても殴り返さず、罵られても罵り返さない

 今年12歳の聖縁ちゃんは、子供の頃から法を学び、家族と一緒に煉功してきた。 彼女は法を学ぶことで妹に対する不満や恨みを捨て、譲り合うことを学んだことについて発表した。

 毎日、妹と一緒に生活しているので、姉妹の間でトラブルがよく起きているという。 彼女は、「私と妹のトラブルでいつも両親は疲れ果てていました。しかし、私が変わりたいと思うたびに、私は新たな、より激しいトラブルに遭遇しました。新たなトラブルが生じたとき、私はやはり心性を守れず、妹と喧嘩してしまいました」

 ある時、聖縁ちゃんは『洪吟三』にある「誰が是 誰が非」を学んでいた。彼女は、 「その時、私は心の中にあった不満や恨みを一気に放下しました。そこで、この詩を家族と一緒に暗記することにしました。以後、妹とトラブルが発生したとき、私は忍を思い出して、心性を守ることができました。私がこの詩を覚えてから、私は徐々に忍を学びました。妹に罵しられても、徐々に言い返さなくなりました。妹に殴られたときも、殴り返さなくなりました。この時、私は忍ができるようになったことが分かりました

 修煉の法理「無私、利他」を用いて子供を教育する

 2003年から、王さんは2歳の息子を明慧学校に通わせた。2006年、明慧学校の最初の教師たちが一身上の都合で退職した。王さんは、もし明慧学校の修煉環境がなければ、自分の子供が将来どのように修煉の道を歩むことができるのかわからないと思った。その年から、彼女は毎週金曜日トロントグループ学法の際、先生として、子とも弟子たちを、世話をする役割を担うようになった。

 教師になりたての頃、王さんはあまり経験したことがなく、子供たちは言うことを聞かなかった。 彼女の辛抱強さと愛情は薄れていった。長期にわたり、学法するとき子供の世話をしていたため、王さんは学習者たちの交流を聞くことができず、グループ学法の環境を失い、疲れを感じていた。

 彼女が放棄しかけていた時、中国で教師をしていた同修がトロントに来てくれた。その同修は明慧学校の仕事を担うようになり、王さんはグループ学法に参加できるようになった。王さんは、懐かしいグループ学法の教室に座ったとき、彼女は熱い涙が溢れ、師父の見守りと励ましに感謝した。その後、教師や父兄の参加が相次ぎ、金曜日の子ども弟子たちの学法環境はさらに良くなった。金曜日になると、先生たちは交代でグループ学法に参加できるようになり、法を学びに来る子ども弟子の人数も増え続けていた。

 王さんは続けて、子供たちに対する教え方をみんなで分かち合った。生活の中で子どもたちに無私を、分かち合うことを学ばせたという。「それはピクニックに出かけたとき、私は子どもたちの大好きなネギチヂミを作って、息子の呈呈にみんなに分けて食べさせるようにと頼んだら、あっという間になくなってしまいました。息子は悲しそうに『ママ、僕の食べる分がなくなったよ』と言いました。私は息子に言いました。『ママが人と物を分かち合えば合うほど得るものも多いと言ったのを覚えてる?』。そして私はほかの子供たちに、『みんな呈呈と分かち合う食べ物ある?』と聞きました。子どもたちは皆、ランドセルから食べ物を取り出し、呈呈に分け与えたのです」

 子どもたちと接する過程で、同じような問題に出会うことはよくある。 王さんは「最初は、どう対処したらいいのかわかりませんでした。 師父は徐々に私の知恵を開き、大法の法理で子供たちを導いて問題の見方や対処の仕方を教えてくださいました。 私はすべての子供弟子を同修として扱っています」と話した。

 比して学び比して修め、自分に照らして再精進する

 法会は温かい拍手で円満に終了した。この法会に参加した以下の学習者は、同修の発表に深く感動した。

 林可さんは、「子ども弟子たちの修煉体験も、同様に私に比して学び比して修めることを感じさせられました。 例えば、彼らが偏食と言うとき、それは食べ物や飲み物に対する個人的な嗜好であり、私たち大人は往々にしてこの点を黙認していました。私はバーベキューが大好きだが、こうしたこだわりが心に根付くと、それを取り除くのはさらに難しくなります」

 ジョナサンさんは、「子供たちが自分の体験を分かち合っているとき、自分にも同じ執着があると明らかになりました。例えば、嫉妬心、歓喜心、顕示心、彼らはそれらすべてに気づいていて、それに、一つの思い一つの考えの中で、それらの心を積極的に修めています。私はそれがとても感動的だった」

 ケイトさんは、「私は感動して涙が止まりませんでした。なぜなら、明慧学校の生徒と教師のコミュニケーションがとても純粋だからです。子ども弟子たちの声はとても幼いのですが、彼らは法をとても強く信じています」

 暁策さんは、「子ども弟子たちの交流を聞いていると、とても純朴で、明慧学校で育った子供たちは清らかで、大人の大法弟子にとって力になります。もし、すべての子供たちが明慧学校に行けば、これは人類の希望になります」

 ジリアンさんは、「先生は教育において、小さな子どもたちと接するとき、常に自分自身の心を照らす過程があり、また、多くの常人の観念を突破しています。それは、このような教育が常人にはまったく不可能であることを示しています。 明慧の教師が修煉に励み、常に内に向けて探したことで、さらに昇華し、さらに子供たちによりよく接しています」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/2/462567.html)
 
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