杜子春の修行(一)
■ 印刷版
 

文/鑒識 

 【明慧日本2023年8月14日】佛家では、この世のすべては幻であり、永遠になることは不可能で、つまり真実ではなく、不壊ではないと説いています。修煉者が世間に執着していると、たとえわずかな情でも、最後には修行を失敗に終わらせてしまうのです。

 師が弟子を探す

 杜子春(とししゅん)は北周、隋の時代の人物です。若い頃はさっぱりした性格で、志が高く、すべてに対して淡々と見ていました。しかし、自由奔放な彼は、遊びも酒も好きで、家業を継ぐ気もありませんでした。しばらくして家財を使い果たしてしまい、仕方なく親戚や友人のもとに身を寄せるしかありませんでした。親戚や友人たちは彼が真面目に働かないと言って、彼を門前払いしました。当時はすでに冬で、彼はボロボロの衣服を着て、食べ物もなく、長安の街をぶらぶらして、どこに身を寄せるかも分からず、空腹と寒さ、孤独の中で、空に向かってため息をつくしかありませんでした。

 その時、ある老人が杖をついて彼の前に来て「なぜため息をつくのですか?」と尋ねました。杜子春は彼に自分の境遇と気持ちを話していくうちに、親友たちが自分に対して情けがないことを恨み、話せば話すほど憤慨し、非常に興奮しました。老人はそれを聞いて「お金はいくらあれば間に合いますか?」と聞くと、杜子春は「3万、5万のコインがあって、生きていければいいです」と答えました。老人は「足りないでしょう、もっと言いなさい」と言うと、杜子春は「10万です」言いました。老人はさらに「まだ足りないでしょう?」と聞くと、杜子春は「そう言えば、100万があれば十分です」と言いました。老人はまだまだ足りないと言うと、杜子春は「それでは、300万にします」と言いました。老人は「それだけあればまあまあいいでしょう」と言いました。

 そこで老人は袖からひもに通した銭を一束出して「今晩はとりあえずこれだけあげましょう、明日の昼は西街の邸宅前で待っていますから、遅れないようにしなさい」と言って、銭を渡しました。

 翌日の昼、杜子春は予定通りに行くと、老人は本当に300万を渡し、名前も残さずに去って行きました。杜子春はこれほどの大金を手にしたので、放蕩の心はすぐに草のように芽生え、これから一生苦労せずに過ごせると思いました。それから彼は立派な馬に乗り、派手な毛皮を着て、毎日友人たちと飲んだり、楽隊を呼んで演奏して楽しんだり、女遊びに金を使ったりして、まったく生計を気にせず、わずか1、 2年の間に300万の金を使い果たしました。杜子春はまた安い服を着て、馬を変えてロバに乗るしかありませんでした。やがてロバも飼えなくなり、歩くしかなく、再び長安の街を徘徊する物乞いになってしまいました。すべてがなくなった杜子春は、また空を仰いでため息をつくしかありませんでした。

 ため息をつくと、前述の老人が現れ、彼の手を引いて「どうしてまたこんな状態になったのですか? おかしいね。でも大丈夫、また助けてあげましょう。今度はいくら欲しいですか?」と聞きましたが、杜子春は恥ずかしくて口を開けることができませんでした。老人は「明日の昼、前に約束した場所に行きなさい」と言いました。翌日、杜子春は恥ずかしながらも行きました。老人は今度彼に1000万を与えました。金を受け取る前に、杜子春は「今度こそ考えを正して家業を立て、将来は古代の大富豪である石崇や猗頓なども自分には及ばせないでしょう」と新たに強い決意をしました。そこで老人は再び彼に金を渡しました。

 ところが、金が手に入ると、杜子春はまた心が変わり、また浪費し始め、3、4年もしないうちに、また何もなくなり、前回よりもひどい状態に陥ってしまいました。杜子春は以前の約束の場所でまたその老人に会いましたが、恥ずかしすぎて、手で顔を覆って老人を避けようとしました。老人は杜子春の服をつかんで「どこに逃げようとしているのですか? 逃げることは一番愚かなことです」と言った後、「今度こそ改心しなければ、もう救い手が届きません。永遠に貧窮するだろう!」と3000万を渡しました。

 杜子春は「自分が放蕩して散財し、勝手なことをし尽くし、最後には落ちぶれてしまい、親戚や友人の中には金持ちの人がたくさんいるが、誰も私を相手にしてくれない。この老人だけが3回も大金をくれたので、どうやって恩返ししたらいいのか?」と考えていました。

 そこで杜子春は老人に「私は貴方様からこの三つの教訓をいただき、この世で自立できるはずです。私はこれから自立するだけでなく、天下の孤児や寡母を助け、この人たちの大義名分と教化を回復させなければなりません。貴方様のご恩に深く感謝します。これらのことを終えた後、貴方様の所に戻り、ご指令をお待ちします」と頭を下げてお礼を言いました。老人は「これこそ私があなたに期待していることです。あなたが成就した後、来年の7月15日の中元に、老君廟の前の2本の檜の下で私を待ちなさい」と約束しました。

 杜子春は、孤児や寡婦の多くが淮南地域に落ちぶれて放浪することが多いと知り、わざわざ揚州に移住し、100頃(200万坪相当)の良田を買い、町の中で城中に邸宅を建て、交差点などの重要な場所に100軒あまりの家を建て、あちこちの孤児や寡母を呼び寄せて家を与え、それぞれ分けて住まわせました。また、甥を結婚させ、姪を嫁がせるなど、親族にも援助しました。そして、死後に別れた夫婦を一緒に埋葬してあげたり、よその地域で亡くなった人を故郷に埋葬してあげたり、恨みがあった人を和解させたり、恩があった人には恩返しさせました。念願を果たした杜子春は、約束通り老君廟の前に行き、老人に会いました。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/18/409140.html)
 
関連文章