文/インドの大法弟子
【明慧日本2023年8月15日】
尊敬なる師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は64歳で、大法を修煉して11年になりました。修煉して以来、私の人生はすっかり変わりました。大法と師父のおかげで、私は心正しく、自信と勇気ある人間になれたと感謝しております。
修煉体験
修煉前の私はとても感情的な人間で、些細なことで悲しんだり悩んだりしていました。 身体的にも様々な不調に悩まされ、長年薬を服用していました。大法を修煉してからは、すべての病気が治り、64歳になった今では、一日中仕事をしていても疲れを感じず、数時間眠るだけでリフレッシュできます。また、自信と勇気を持てるようになり、どんなに困難な状況下でも、冷静に対処できるようになりました。もちろん、私を何度も災難から守ってくださったのは師父です。
2000年頃、息子は「お母さん、大法を修煉すれば病気は全部治るし、心も落ち着くよ......」とよく言ってくれましたが、しかし、当時の私はそれを受け入れることができず、医者にも見てもらわず、薬も飲まずに、どうやって病気を治すことができるのだろう? と思っていました。祈祷もお寺も信じていなかったのです。
海外に24年間住んでいた時は、仕事も家族との関係も上手くいかず、とても落ち込みました。 2012年、私は法輪大法の修煉をしようと決意しました。法輪大法の「真・善・忍」の原則に従って生活するようになり、法輪大法を修煉することで得た素晴らしい効果をたくさん体験しました。
私の夫は無神論者で革命家です。 私たちは生活する中で、意見の相違や衝突が頻繁に起こりました。結婚生活は40年以上続きましたが、最終的には離婚せざるを得ませんでした。その後、私は兄の会社で働き、自立することができました。
修煉した後に、どんなに悲しんでも、この状況を変えることはできないと気づいたのです。一人ひとりの人生には、それぞれ自分の運命があるからです。私は寛容であることを学び、他人を許すことが心の平和を保つことにつながると気づきました。私は「真・善・忍」を基準として生活するようにしています。
『轉法輪』という書籍には、深遠な教えがあり、宇宙の真理を明らかにしています。それを学んでから、人生の本当の意味、いかに他人と調和して付き合うか、及び日々のさまざまな出来事の因果関係などがわかるようになりました。たゆまぬ修煉によって、自分の思考、性格、行動が正しくなるのです。私は今、この素晴らしい功法を地域社会に紹介しようと努力しています。すべての人々がより真・善・忍の教えを理解してくださるように願っています。
『轉法輪』のマラヤーラム語翻訳の夢実現
息子がある日、私に「お母さん、法輪大法の本『轉法輪』をマラヤーラム語に翻訳してみたらどう?」と言いました。私は啓発され、真剣に考えた後、翻訳を始めました。私の英語力では理解できない言葉がたくさんあったので、英語とマラヤーラム語の対照辞書を頼りに『轉法輪』の九つの講義をマラヤーラム語に翻訳し、手書で9冊のノートに仕上げました。その後、タイピングセンターで原稿を打ってもらい、それを自分のパソコンに取り込んだのです。一語一語翻訳し、何度も何度も推敲を重ねたこの大きなプロジェクトは、12年間という長い歳月をかけてようやく完成しました。
完成後、私は法輪大法学会に連絡し『轉法輪』と『法輪功』とも、翻訳が承認されたことを知らされました。バンガロールからの1人の学習者は『法輪功』をマラヤーラム語に翻訳しました。また、ニュージーランドとオーストラリアからの2人の同修は、出版に無私の貢献をしました。これは私の夢の実現であり、人生の大きな転機でもあります。
翻訳の過程で、私は多くのことに啓発され、幸せに感じました。『轉法輪』を翻訳したことで、自信がついただけではなく、私の文章力がより良くなりました。以前は文章を書くことに興味がなかったのですが、今では書くことを楽しんでいます。
大法弟子にとって、不可能なことはなく、忍耐、決意、強い意志があれば、人生で起こるどんな障害や危機も乗り越えることができます。
師父は「師は入口まで導くが、修行は各自にあり」と言われているように、すべてあなた自身がどのように修煉するかによります。修煉できるかできないかということは、あなた自身が忍耐することができるかどうか、代償を支払うことができるかどうか、苦しみに耐えられるかどうかによって決まります。いかなる困難にも阻まれないほどの固い決意をもっていれば、何の問題もないでしょう」 [1]という説法があります。
息子の死
次男は19歳でオーストラリアに留学し、好きなデザインの専攻を選び、勉強しながら良いアルバイトも見つけ、オーストラリアでの生活にとても満足していました。それから2年後の2021年10月4日、電話がかかってきて「息子さんが亡くなられました」と告げられました。心臓発作で亡くなったのです。
前日までたくさん話をしていたのに、私は何が起こったのか受け入れることができなかったのです。悲しみに打ちひしがれ、どうしていいかわからず、一日中泣きながら過ごしました。10日後、次男の遺体が家に運ばれ、次男は棺の中に横たわっていました。私は次男の隣に座り、ある力を感じて驚いたのです。私は沈黙し、心の中で『論語』を暗唱しました。慈悲深い師父が次男を救ってくださることをお願いしました。その後、次男は火葬されました。
何年もの間、私は激しい悲しみと痛み、人生の浮き沈みを経験してきました。次男を失ったことは、これまでに経験したことのない最悪の痛みであり、私の人生に埋めようのない穴になったのです。
師父は「ご存知のように、人間が死んでも、本当に死んだのではありません。最も大きい分子粒子の外殻が脱落したのであって、分子以下の微粒子で構成されたその部分の身体は死んでおらず、離れたのです。まさに人間が一枚の服を脱いだように、本当に死んだのではありません。しかし、この空間でのこの人は消えてしまいました。なぜなら、身体は火葬され、または土葬され、身体は腐り解体してしまうからです。この空間にいるこの人がいなくなり、つまりこの層の粒子が消えたということです」 [2]と説かれています。
それでも、私は「なぜ神様は次男の命を奪われたのでしょうか?」という疑問を抱いていました。
その後、すべての物事にはそれなりの理由があるのだと気づくようになりました。次男は、慈悲深い師父の手中に無事であると確信しました。師父は人間の生と死、輪廻転生、そして魂のことについての真理を啓示してくださいました。私は大法弟子ですから、我慢しなければなりません。私は修煉し続けていきます。私の力は大法にあり、私の忍耐は大法にあり、私の希望と信念は皆大法にあるからです。今は辛くても、すぐに良くなると信じています。私たちが物事を正しく行えば、最終的にはすべてが良くなるに違いありません。
私は、口を修める執着や、快適な生活への欲望などの、根深い執着を捨てようと努力しています。
師父に感謝いたします! 同修の皆さん、ありがとうございます!
法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『米国西部法会での説法』
(2023年インド第4回法輪大法修煉体験談交流会の発表原稿)