5回不当連行された李相蓮さん 迫害により死亡
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 【明慧日本2023年8月17日】(黒龍江省=明慧記者)佳木斯市の法輪功学習者・李相蓮さんは、1999年「7.20」に中国共産党(中共)による法輪功への迫害を開始して以来、何度も不当に連行された。そして、家宅捜索を受け、二度も労働教養を強いられ、心身に大きなダメージを受けた。2021年9月2日、李さんは迫害により死亡した。享年68歳。李さんの命が危険にさらされている間、地元の安慶派出所の警官は依然として、絶え間なく李さんと家族を監視し、嫌がらせを働き、写真を撮るよう、「協力」することを要求した。

李相莲

李相蓮さん

 李さんは1997年に法輪功を学び始めた。以来、健康で、性格も明るくなり、喜んで他人を助けるようになった。家政婦の仕事をする李さんは、きつい仕事や汚ない仕事もすべてこなし、一緒に働いている同僚たちは皆、李さんのことを「法輪功お姉さん」と呼び、快くパートナーになってくれた。李さんはどこへ行っても、法輪功迫害の実態を伝えていた。また、裕福でない李さんはわずかな生活費からテレホンカードを買い、人々に迫害の実態を伝える電話をかけた。

 以下は、李さんが受けた迫害である。

 一、北京へ陳情に行き、不当に拘束される

 2000年5月、李さんは北京の国務院陳情部門に行ったが、北京駅前派出所の警官らにより連行され、北京に駐在する佳木斯事務所に送られた。そこで、警官は李さんの身体検査を行い、一冊の『轉法輪』と300元を探し出した(後に返された)。その後、李さんは鉄道留置場に15日間拘束された。警官は李さんの家族から1000元を強要した。

 二、二度目の連行、2年間労働教養を強いられる

 2002年11月、李さんは法輪功の資料を配布していた際、迫害の真相が分からない人に通報された。鉄道公安局の警官は李さんの自宅を捜索し、李さんを留置場に送り1カ月以上拘禁した。李さんは自分の信念を貫き、保証書は書かないとして、2年間の労働教養を科され省戒毒所(労働教養所)に移送された。省戒毒所では、李さんは毎日「三書」を書くように強制され、さらに李さんの唯一の息子を利用して脅され、激しく虐待された。李さんは自分の本心に反して「三書」を書いた後、大変な苦痛を感じた。ある日、李さんは足をひどく捻挫した。戒毒所側が家族に治療費を送金するようにと言った時、李さんは「家には息子が一人しかいないし、お金もないから、私に法輪功を修煉させてください」と要求した。その日から、李さんは煉功を始め、10日間後、歩けるようになった。それを目にした数人の隊長は、みんな奇跡だと感じた。

 労働教養所は長期にわたり学習者を奴隷化し、割り箸、爪楊枝、広告ページなどを毎日作らせ、その他の作業もあった。製造隊長の劉祝傑は、「仕事にはノルマがある。ノルマをこなせなければ刑期を延長する!」と言った。受刑者らは仕事をせず、警官の指示を受けて学習者を監視したり、法輪功と創始者を中傷する言葉を書かせたり、「拒否するなら刑期を延長するぞ」と脅したりした。

 三、「オリンピックの安全」を口実に、3回目の連行で再び労働教養を強いられる

 2007年、中共は2008年のオリンピックを口実に「安定維持キャンペーン」を行い、学習者を尾行し、濡れ衣を着せ、連行した。地元の安慶派出所の副所長・孫文義は、3人の警官を率いて「水道メーターをチェックする」と嘘をつき、李さんを騙してドアを開けさせた。家のドアを蹴って入室した警官らは、すべての法輪功書籍、資料および法輪功創始者の写真などを押収し、李さんと家に訪れていた2人の学習者を連行した。李さんの母親はショックを受けて心臓発作を起こした。

 安慶派出所で、3人の学習者は誰も警官の指示に従わず、指紋を押さなかったとして、8日間拘束された後、1年間の労働教養を強いられ、西格木労働教養所に送られた。

酷刑演示:码坐

拷問の実演:プラスチックの腰掛けに座らされる

 2008年3月、労働教養所の警官は「三書を書け」と強制したが、李さんはそれを拒否した。そして、李さんを含む「三書」を書かなかった4人の学習者は半月間、プラスチックの腰掛けに座らされ、少し動いてもいけなかった。その後、4人は教養所の囚人服を脱いで迫害に抗議した。これを見た隊長の劉亜東は2人の警官を呼んで来て、李さんたちをひどく殴った後、独房に閉じ込めた。独房の壁に釘で打ち付けられた鉄の輪があり、李さんは手錠をかけられ、鉄の輪にはめられ24時間寝ることができず、トイレも食事も独房の中でしなければならなかった。李さんはさらに7日間延期され、2008年末に帰宅した。

 四、4回目の不当連行・拘禁

 2014年、李さんは「建三江事件」で迫害された王燕欣さんを救出するため、訴状を持って省検察団に出向いた。省政府所在地ハルビンに着いて、李さんは訴状を劉長河に手渡すと、劉長河らはコンピュータから李さんの情報を取り出し、6人の特別警察官に李さんを省政府の正門の外に引きずり出し、ハルビンに駐在する佳木斯事務所の担当者に連絡した。李さんは佳木斯市安慶派出所に戻され、家宅捜索を受け、さらに3時間以上尋問され、5日間拘束された後、家に戻された。

 五、5回目の不当連行

 2020年10月11日の朝、李さんはもう一人の学習者とともに朝市に野菜を買いに出かけたところ、突然、安慶派出所の警官数人がやってきて、李さんたちを押さえつけた。また、多くの警官が現場に駆けつけ2人を連行しようとしたが、李さん2人を引きずり出すことはできなかった。その後、警官らが李さんを担いでパトカーに押し込んだ。安慶派出所に着くと、2人は小さな部屋に入れられた。

 警官は李さんのバッグから家の鍵を取り出し、家宅捜索に入った。李さんの自宅にあった法輪功の書籍、パソコン、携帯電話、現金、テレビ受信機などがすべて押収された。李さんともう一人の学習者は健康上の問題で保釈されたが、それぞれの家族が1万元の保証金を要求された。

 何度も嫌がらせを受け、連行され、家宅捜索を受け、労働教養を強いられた李さんは、ついに限界になり、2021年9月2日に死亡した。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/11/464062.html)
 
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