【明慧日本2023年8月21日】(天津市=明慧記者)天津市の法輪功学習者・呂厚芬さんは、2017年12月28日、自宅前で南開区の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)と広開派出所の警官らに不当に連行された。その後、南開区裁判所から懲役5年6カ月の実刑判決を言い渡され、天津女子刑務所に拘禁された。刑務所で迫害され、肺結核を発症し、骨と皮ばかりに痩せこけた呂さんは、2023年6月28日に帰宅したが、2カ月経たない間に死亡した。享年66歳。
呂さんは、1997年に法輪功を学び始めて以来、心身ともに健康になり、仕事でも日常生活でも、常に真・善・忍に従って良い人を目指し、何事につけてもまず自分の不足を探し、他人のことを優先に考えるようになり、心がますます穏やかになった。
労働教養を科され15カ月拘禁される
1999年7月、中国共産党の江沢民集団は、法輪功に対して非人道的な迫害を開始した。
2009年9月3日、呂さんは天津市西青区大寺竜居花園の付近で、法輪功迫害の実態を伝える資料を配布していた時、住宅地の警備員に通報された。直後、西青区大寺竜居派出所の警官は呂さんを連行し、西青区留置場に拘束した。
2015年に江沢民を告訴した時、呂さんは次のように語った。「彼らは私を引きずって車に押し込み、それから車から派出所に引きずり込んだ。私は彼らに迫害の実態を伝えたが、彼らは聞く耳を持たず、私のカバンと携帯電話を押収し(今なお返されていない)、写真を撮ることを強要した。また、トイレに行くことも水を飲むことも許されず、トラの椅子に縛り付けられ、手錠で締め付けられて腕から出血した。拷問を受けて、私の左手の親指は2、3年前から痺れている」
拷問のイメージ図:トラの椅子に縛り付けられる |
呂さんは15カ月間、労働教養を強いられた。労働教養所では、呂さんは法輪功を放棄せず、警官の指示に従わず、「三書」を書かなかったとして、24時間監視され、独房に閉じ込められ、体罰や重労働を強要された。さらに買い物、食事、トイレ、会話なども制限された。
呂厚芬さんと陳瑞芹さんは迫害され死亡
2017年12月28日午前8時30分頃、呂さんは自宅から階段を下りたところで、4、5人の警官に連行され、カバンを押収された。同時に十数人の警官が家宅捜索を行った。
呂さんは南開区留置場に拘禁された。2019年1月23日、南開区裁判所は呂さんに対して不当な裁判を行った。呂さんは懲役5年6カ月の実刑判決を言い渡され、天津女子刑務所に拘禁された。
天津女子刑務所で迫害され、結核を患った呂さんは、2023年6月28日に刑期を終えて帰宅した。その時、すでに、呂さんは衰弱して痩せており、歩くのに他人の助けが必要だった。肺や胃なども損傷しており、一日に数口の粥を食べることさえ困難だった。
天津市薊県白澗郷の陳瑞芹さんは、2015年に懲役4年6カ月の実刑判決を言い渡され、天津女子刑務所に拘禁された。陳さんは法輪功への信念を貫いたとして、様々な拷問を受け、身体がアザだらけになり、糞尿を飲まされたこともあった。
2016年12月20日、陳さんは独房から隔離室に移され、さらに残酷な迫害を受けたため、1カ月以内に何度も危篤状態に陥った。2017年2月10日午後10時頃、陳さんは天津女子刑務所で迫害され死亡した。44歳であった。