文/インドの大法弟子
【明慧日本2023年9月4日】
私は2002年に法を得た、インドのヴァーラーナシー市の鹿野苑の法輪大法弟子です。自分の修煉体験、修煉の道のり、そして、師父と大法のご加持の下でのいくつかの忘れられない法を広める体験を、交流を通して師父にご報告したいと思います。
法を得る
2002年8月頃、ラダックのレーという町で毎年開催される「女性の日」に、法輪功の動作を実演していた二人の法輪大法弟子(1人は中国系アメリカ人で、もう1人は地元のチベット人)に出会いました。
私はその翌日から法輪功の修煉を始めましたが、実際に真の法輪大法の弟子になるまでには数年かかりました。というのは、過去の何年もの間、私はさまざまな修煉方法を試し、多くの本を読み、さまざまな概念で頭をいっぱいにしていたからです。今にして思えば、私は当時、真の修煉の道を探していたに違いないのですが、自分が探していることに、当時の私は全く気づいていなかったのです。
心には疑惑と数え切れないほどの疑問で満たされていた私が、ずっと後になってからようやく分かりました。ついに大法を得て、修煉をするのは運命なのです。なぜなら、通常、疑惑と数え切れないほどの疑問で満たされていた人は、その道をまったく歩まないか、すぐに諦めてしまう可能性が高いからです。
大法を得たばかりの数年間、私はほとんどの時間をヴァーラーナシー市近郊の鹿野苑で過ごし、夏はラダックで過ごしました。また、幸運なことに、法輪大法の国際法会やその他の関連行事に参加したり、神韻公演を観るために、何度かアメリカに行くことができました。アメリカで参加した活動は、私にとって非常に有益なものでした。鹿野苑では、果てしなく続く家庭の軋轢、異常気象の問題、その他多くの地元の問題、他の次元からの妨害など、多くの魔難に遭遇しました。 これらはすべて、私には耐え難いものでした。
師父は、「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」と仰っています[1]。 この最も複雑な環境を生き抜くことができたのは、法輪大法の力のおかげです。
法を広める
ラダックに住んでいた間、慈悲深い師父が完璧な段取りをしてくださり、法輪大法を広める多くの機会を与えてくださったと感じました。ラダックの地元の人々は法輪大法に大きな関心を示し、中国の人権問題にも深い懸念を示しました。彼らは、私に何ができるか、誰に会うべきか、どの学校に行くべきかなど、多くのアイデアや提案をしてくれました。それで、私も、法輪大法の素晴らしさを伝え、中国共産党の迫害を暴露する機会を得て、たくさんのポスターやプロフィールを貼っていました。
この数年間、私はほぼ毎日法輪大法の説明会を開催し、主に観光客が参加してくれました。その後、私はレーという町の大通りやその他の地域で何度も法輪功の真相を伝え、また、いろいろな学校に行って法輪功の説明会を開催しました。
2008年、私はラダックのレーのある学校で、初めて法輪功の説明会の司会者として担当し、多くの生徒と教師が参加しました。 2010年以来、私たちはラダックの学校でさらに多くの法を広めるためのイベントを開催しました。
鹿野苑の煉功点は地元のある庭にあり、2010年以来、毎年5、6ヶ月間に法輪功への迫害の真相の資料を展示しています。私は家庭とホステルの経営を両立させなければならず、それに絶え間ない魔難に耐えていたため、数校しか訪問できなかったのです。
2011年に、何校か一緒に訪問したバンガロールの同修にはとても感謝しています。その過程で、法を広めるにあたって、インドの学校には巨大な潜在的チャンスがあり、一人で法輪大法を紹介し、五つの動作を教え、中国共産党による法輪功への迫害の真相を伝える、といった複数のことをこなせることにも気づきました。説明会は約1時間です。その後、私は大学や専門学校などの学校に法輪大法を広め、真実を伝える旅を始めました。元々、私は学校に行くことにあまり興味がありませんでした。なぜなら、学校では動作の実演しかできず、それより、私は中国共産党による法輪功への迫害のことをもっと伝えたいからです。
師父が説法の中で、世界中のさまざまな民族のことに言及され、そして大法弟子に、各民族の人々を救い済度するのは、大法弟子の神聖なる誓約であることを指導してくださっています。師父には、「どんなことがあっても、皆さんはそこにいる生命の希望です! 将来皆さんはそれが分かるようになります。(拍手)現在、大法弟子がいない民族、国にとって、大きな困難があります。少なくともこういうことになります。ですから、大法弟子がどのくらいいるかに関わらず、その民族にとって、それが希望なのです」[2]という説法があります。
私は長年ラダックに住んでいたので、そこの多くの人は法輪大法のことを知っています。ですから、私は東北部の各州、インドのすべての主要なチベット人学校、西ベンガル地方、シッキム、アンダマン諸島など、もっと人里離れた場所に行くことにしました。 この旅には、常に挑戦と恵みの両方がありました。
私がしばしば直面していた基本的な課題はいくつかあります
1、ほとんどの場合、宿泊先の連絡先しか知らず、それ以外の連絡者や学校の連絡先は知らなかった。
2、宿泊費、交通費、食費の面で、経済的な困難に直面したこと。
3、移動は大変で、たいていは徒歩であったが、携行する真相の資料を損傷しないよう確保しなければならなかった。
4、高温、雨、湿度が高いなどの異常気象、土砂崩れの危険、丘陵地帯の曲がりくねった道、とい った極端な気候条件に直面したこと。
しかし、これらの「損失」の裏には、次のような非常に貴重な「収穫」もありました。
1、旅の途中で、縁のある人と出会えたこと。
2、地元の人々や他の多くの人々は、宿泊、食べ物、移動、資料のコピーなどを割引してくれるなど、さまざまな形で私を助けてくれたこと。
3、数え切れないほどの素晴らしい出会いが、思いがけない形で、思いがけない場所で起きたこと。
これらはすべて、師が法を正すのを手伝う過程で現れた奇跡でした。師父はあらかじめ私のために道を開き、すべてを段取りしてくださっており、私たちがこの一歩を踏み出すのをただ待っておられたのだと、私ははっきりと感じました。
もちろん、心の中にある疑念はずっと私を悩ませてきました。例えば、今やっていることは、私にとって正しいことなのか? 他のことをすべきなのか? 他のところに行くべきなのか? それとも、家にいるべきなのか? ということです。しかし、私はいつもベストを尽くすと決めていました。どこに居ようが、何をしようが関係なく、一番大切なのは純粋で真摯かつ誠実な心と、人を救いたいという気持ちなのだと気づきました。
大法のおかげで、人生の最も困難な時期を乗り越えられた
私はこれまで、主に病業という形で、命に関わる状況に遭遇してきましたし、その他にも、自分では気づいていないかもしれない多くのことに遭遇してきました。 しかし、私にとって最も辛かったのは、最も困難な魔難の中にいるとき、尊敬する師父の諭りや導きをはっきりと認識することができず、多くの同修がしたような他次元的な体験もできなかったことです。まったくありませんでした。私は完全に孤立の中におり、慈悲深い師父に助けを求めたり、師父の法像を見たり、他の方法を試したりしても、私が切実に望んだ結果は少しも現れませんでした。 しかし、本当の私や偽りの私がどう思おうと、実は毎回私を救ってくださったのは師父と大法だったのです。その結果、困難なときでも、私はいつも勇気を奮い立たせて進むことができました。学法や交流をしている時、師父の説法の録音を聞いている時、「普度」や「済世」、神韻交響曲を聴いている時、法に関連することをしている時、私はしばしば正の導きを受けていました。
また何年もの間、明慧ネットは私が前に進むためのパートナーであり、インスピレーションと導きの源でした。私はこれまでの旅で数え切れないほど多くのことを経験し、私の数篇の交流が明慧ネットに掲載されたことに感謝しています。
以下に、私は修煉の道での体験をまとめたいと思います。もちろん、私はまだ向上の過程にあります
1、たとえ誰かが世界中を旅し、さまざまな国に住み、さまざまな文化、宗教、精神理念に触れたとしても(私はヨーロッパ、アフリカ、南米、アジアに55年以上住んでいる)、ある日幸運にも真の修煉の道である大法に出会うまでは、荷物を引きずっていることに変わりはないです。
2、葛藤や様々な状況に直面すると、緊張したり、心配になったり、自分を責めたり、最終的には手放しがたい憤りを感じるようになります。原因の一つとしては、幼少期の経験によるものかもしれないし、前世によるものかもしれません。私はいまだにこのような反応を持っていて、それを克服しようと努力しています。
ある種の執着をようやく克服した、あるいは過去の恨みなどを手放したと思ったときに、さらに多くの過去の感情が引き金となり、地滑りのように重くのしかかるような出来事が起こることがあり、そのときに初めて、100%克服できていないことに気づくのです。一歩引いて、状況や自分の反応を遠くから観察し分析したとき、緊張したり、心配したり、自分を責めたりする必要はまったくないと気づきました。大法の基準に従いさえすれば、すべてうまくいくのです。 私はただ、「内に向けて探す」という「法の宝物」を使って、自分が心性の基準を満たしていないところを見るだけでよいのです。
3、ときどき、私は「失わなければ得られず」という原則に心の中で抵抗していることに気づくことがあります。なぜなら、私は「失う」というのを受け入れたくなく、ひたすら「得る」ことだけを望んでいたからです。しかし、「失わなければ得られず」という普遍的な原則に対する私の限られた理解によれば、この2つは表裏一体であり、「得る」だけを望むのは愚かなことです。
4、普段の学法、煉功、発正念がなかなか続かないことに悩んでいます。時には、数日から数週間は続けられることもありますが、いつも不規則な状態に戻ってしまうのです。私にとって、第二式の動作を30分間煉ることすら難しく、ましてや1時間煉ることを望む勇気もありません。これ以上精進できないという観念や固定的な考え方は持ちたくないのですが、一方で突破口が開けないようです。この矛盾した状態は常に私と共にあります。学法や煉功することの大切さを理解することと、それを実践して根本的に変化させることは全く別のことなのです。
5、インドの同修たちは、広大なインドの地で大法を広めることを心から願っています。より多くの異なる民族や部族に手を差し伸べましょう。それは決して難しいことではなく、多くの時間やお金もかかりません。大切なのは心から願うことであり、慈悲深い師父はすでに、そのような土地で縁ある人々に大法をもたらし、道を切り開いてくださっているのです。
6、最後に、師父の弟子として、私たちは皆、大法は全能であり、すべてを受け入れることができることを知っています。従って、インドの同修は皆、互いの調和を保つように努めなければなりません。そうすることによって、しっかり大法を実証すると同時に、大法の威厳を維持することができるのです。私たちはひとつであり、師父が衆生を救い済度するのを助けるためにここにいること、そしてこの神聖な目標を達成するためには、互いによく協力し合い、私利私欲や観念に邪魔されないようにしなければならないことを、決して忘れてはなりません。師父は法の中で、トラブルの背後にある本当の理由を教えてくださいました。
7、私たち一人一人は美しく、ユニークな花のようなものであることを自覚しましょう。様々な種類、色、大きさ、香りの花でできたこの花輪の美しさは、私たち全員が全体として連なっていることなのです。
結語
今世に正法時期の大法弟子となる機会を与えてくださり、この修煉の道に導いてくださいました。そして誓約を果たし、インドの各民族の衆生を救うために導いてくださった慈悲深い師父の恩恵に心から感謝いたします。また、困難な時期に私を励まし、遠隔地に送るための法輪功迫害による実態の資料を提供してくれた、同修の皆さんにも感謝しています。
師父の説かれている言葉を覚えましょう。「衆生を済度せんと心願を発し、師を手伝って世間を行く、吾れ法輪を轉ずるに協力し、法成って天地を行く」[3]
法に背き不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。これは今後、私がもっと良くなるための手助けになるからです。
師父に感謝いたします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「助法」
(2023年インド第4回法輪大法修煉体験交流会の発言原稿)