2023年8月、21人の法輪功学習者が迫害で死亡したと判明(一)
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 【明慧日本2023年9月5日】(中国=明慧記者)明慧ネット報道の統計によると、2023年8月、21人の法輪功学習者(以下、学習者)が中国共産党(以下、中共)の迫害により死亡したことが判明した。その中には、県糧食局の書記、工業局の局長、教師、鍼灸師、税務局の職員などの社会のエリートが含まれている。亡くなった学習者は中国本土の12の省、自治区、直轄市に分布している。そのうちは、山東省3人、内モンゴル3人、河北省2人、黒竜江省2人、湖南省2人、吉林省2人、遼寧省2人、北京市1人、天津市1人、福建省1人、江西省1人、重慶市1人となっている。

 75歳の牟永霞さんはハルビン女子刑務所で迫害され死亡した。株洲網嶺刑務所10監区に拘禁されていた湖南省常徳市の劉朝陽さんも迫害で他界した。天津市女子刑務所で迫害された呂厚芬さんは、解放されて2カ月足らずで死亡した。湖南省衡陽市祁東県糧食局の元書記・劉継順さんは生前、労働教養処分や判決を下され、計7年6カ月拘禁され、拷問や繰り返し嫌がらせを受け、官職を解任され、給料と年金まで絶たれてしまった。現在までの累計は100万元以上に上る。 

 中共は、「真・善・忍」を学んでいる学習者に対して江沢民の「殺しても責任を問わず、身元の確認をせず、直接火葬をする」「名誉を汚し、経済力を断ち、肉体を消滅させる」、「殴り殺しても気にせず、死んでも自殺とする」、「死んでも原因を調査せず、直接火葬せよ」という絶滅の政策を実行し続けている。今年1月から8月まで、156人の学習者が当局の迫害により死亡したことが判明した。

 迫害され死亡した一部の事例

 1、大連市の鄒秀菊さん 迫害され死亡

 大連市の学習者・鄒秀菊さん(女性)は2023年8月10日午前6時、留置場と労働教養所で様々な拷問を受け、迫害され家に帰られない状況の中で亡くなった。享年63歳。

 鄒さんは1996年1月に交通事故に遭い、右腕が不自由になったが、同年、法輪功を学び始め、不自由だった腕が回復した。

 1999年7.20、中共による法輪功への迫害が始まって以来、鄒さんは4回家宅捜索を受け、2回労働教養を強いられたことがある。期間中、薬物による迫害を含む様々な拷問を受けた。また、洗脳班に拘禁され、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)、派出所の警官や、地域の役員によく尾行され、昼夜を問わずドアを叩かれ、数え切れないほど脅迫された。ある警官は公然と「上からの法輪功に対する(迫害の)動きがあれば、すぐに来る。たとえ連行する目標人数が1人だけであっても、お前は含まれる」と言ったことがある。鄒さんは家に帰ることができず、亡くなるまで安定した場所がないまま生活を送っていた。

 大連労働教養所に拘禁されたとき、鄒さんは鉄の檻に閉じ込められたり、両腕を背中に回されて手錠をかけられたり、立ったままの姿勢を強要されたりした。大連留置場では、鄒さんは死刑犯用の刑具をつけられた。24時間手錠と足枷を繋がられ、跪いた状態にさせ背中に手錠をかけられ、ベッドて固定された。この種の拷問は「地の環」と呼ばれる。鄒さんはまた死人ベッドに固定され、強制灌食されたため、口を強制的に開ける器具を使われた。 

 鄒さんの兄・鄒文志さんも学習者で、大連化学工業グループ会社の新アルカリ工場の技師、設備担当者であった。2000年10月16日、会社の公安課の人員は、鄒文志さんに法輪功を放棄させるために、午前8時から午後3、4時まで殴り続け、鄒文志さんは打ち殺された。54歳だった。

邹文志

兄の鄒文志さん

 2、吉林省撫松県の曲桂青さんが迫害で死亡

 撫松県の学習者・曲桂青さん(女性)が2022年1月11日、警官に家を押し入られ連行された。2021年12月に人に法輪功の真実を伝えたことで通報されたというのが連行の理由だった。警官は曲さんを白山拘留所に12日間拘禁した。

 2022年3月、派出所、鎮の司法所、司法局の人が、曲さんを白山市の指定された病院に強制的に連れ込み、身体検査を受けさせた。当時、曲さんは迫害によりすでに極度に衰弱しており、家族は地元での身体検査を求めた。司法局の女性は、「地元での身体検査は駄目だ。植物人間になっていない限り、白山市で身体検査をしなければならない」と言った。その時、曲さんは家族に病院に送られたが、無理やり病院から連れ去られた。2022年4月29日、曲さんは不当裁判を行われ、9カ月の判決を言い渡されたが、健康の理由で刑務所の外で執行となった。

 9カ月間の間、曲さんは嫌がらせを受け続けていた。今年7月の初め、曲さんは食事を食べられなくなり、家族に白山病院に送られ、7月14日に退院した。7月16日、警官8人は曲さんの家に押し入り、曲さんに署名を強要した。それ以来、衰弱した曲さんは、起き上がることができず、8月10日にこの世を去った。

 3、天津の呂厚芬さん 5年6カ月間拘禁された後死亡

 天津市の学習者・呂厚芬さんは、2017年12月28日、自宅前で南開区の国保と広開派出所の警官らに不当に連行された。2019年1月23日、南開区裁判所は呂さんに不当な裁判を行い、懲役5年6カ月の実刑判決を宣告し、呂さんを天津女子刑務所に送り込んだ。刑務所で迫害され、肺結核を発症し、骨と皮ばかりに痩せこけた呂さんは、2023年6月28日に帰宅したが、2カ月経たない間に死亡した。享年66歳。

 4、7年6カ月の冤罪と、継続的な嫌がらせを受けた胡火妹さん死亡

 江西省南昌市の学習者・胡火妹さんは、中共による法輪功への迫害の中で、不当に労働教養を強いられ、二度も実刑判決を言い渡された。刑務所から解放され帰宅した後も警官や地域の役人から絶え間ない嫌がらせを受け、極度の貧困状態に陥り、2023年8月3日午後、胡さんは亡くなった。50歳の若さであった。

'胡火妹'

胡火妹さん

 2018年4月10日午後4時頃、胡さんは友人の家で法輪功の勉強会に参加している最中、青山湖区公安分局の国保の警官らにより連行された。その後、南昌市西湖区裁判所は秘密裏に胡さんに懲役1年6カ月の実刑判決を下し、罰金5000元を科した。

 2019年10月、胡さんは不当な拘禁期間が終了し、自宅に戻ったが、警官や地域の役人らによる嫌がらせを受け続け、何度も無理やり写真を撮られた。

 長年にわたる拘禁の結果、胡さんの家族は多額の借金を抱え、極度な貧困状態だった。20代の息子は、母親が何度も拘禁されていたためうつ病になり、働くことができなくなった。大学に進学した娘も学費が足りず、学業を継続することが難しくなった。胡さんは重圧の中で、次第に体調が崩れ、目がかすみ、体重が減り、頻繁に転倒するようになった。亡くなる前のしばらくの間、寝たきりになっていた。

 今年8月3日午後4時50分、胡さんは他界した。 亡くなったとき、胡さんは極度に痩せていて、体重は35キロしかなく、目を開けたままだった。悲しみに暮れる親族たちは、胡さんの目を閉じさせようとそっと触れたが、なかなか閉じられなかった! その目は、中共の残忍な迫害を訴えているようだった。

 5、湖南省の劉継順さん 長期にわたって迫害され死亡

 湖南省祁東県洪橋鎮の学習者・劉継順さん(男性)は、中共当局から長期にわたり迫害を受け、今年7月27日に他界した。享年77歳。

 劉さんは生前、労働教養処分、実刑判決を受け、計7年6カ月間拘禁されていた。そのうえ、繰り返し嫌がらせを受け、生活を維持するための収入源まで絶たれてしまった。 

 1999年7.20、中共は法輪功への弾圧を開始してから、劉さんは法輪功を学び続けていたため、残酷な迫害を受けた。劉さんは公職を解雇され、給料を止められ、退職後の年金も受け取れなかった。その額は100万元以上に達した。労働教養処分1年と2度にわたる計6年6カ月の判決を言い渡された劉さんは、拘禁されている間、殴る蹴るなどの暴行を受け、壁に向かって長時間に立たされ、犬や豚の餌を食べさせられるなどの拷問を受けた。毎度の拘禁期間を終えて解放され、帰宅した劉さんは全身が腫れ上がり、フラフラで立てなかった。血圧が240㎜Hまで上がったことがあり、生命の危険にさらされた。 

 劉さんは、長年穏やかに過ごすことはなかった。劉さんは県政府、県糧食局、県社会保障局に足を運び、何度も法輪功迫害の実態を話し、給料と年金の払い戻しを要求したが、無駄だった。収入がないため、劉さんは生活が苦しいうえ、健康上の問題と、昼夜を問わず監視され、嫌がらせなど、非常に苦痛の日々を送っていた。長期的な迫害を受けた結果、今年7月27日にこの世を去ったという。  

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/9/2/464850.html)
 
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