陝西省の張喜維さんが刑務所に不当拘禁
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 【明慧日本2023年9月13日】陝西省咸陽(かんよう)市の法輪功学習者・張喜維さん(30歳女性)は、昨年末に懲役4年6カ月の不当判決を言い渡され、控訴も棄却された。その後、今年6月29日に陝西省女子刑務所(西安女子刑務所)に送られ、現在、第12隊に収容されている。張さんの家族は7月25日と8月25日の2回、刑務所へ面会に行ったが、張さんが「転向」していなければ面会できないという理由で刑務所側に拒否された。

 周知のように、中国共産党(以下、中共)当局が法輪功学習者に「真・善・忍」の信念を放棄させる方法は非常に残酷であるため、張さんの家族は張さんの安否をとても心配している。

 張さんは礼泉県の出身で、近年、西安市に住んでいる。2021年7月21日夜10時ごろ、10数人の警官が張さんの住所に押し入り、家宅捜索し、『轉法輪』1冊、メモリーカード数枚、ラジオ、MP3、パソコンなどの私物を押収した。張さんはその夜、警官に西安の昆明路派出所に連行された。23日午後6時頃、西安市留置場に移送され拘留された。

 2021年8月18日正午、西安市公安局を名乗る制服警官らが張さんの実家に押し入り、張さんの母親に「誰が俺たちの名前をネットに暴露したのか? 誰が弁護士を雇ったのか? 弁護士は何と言ったのか? 従わなければ、お前も連行するぞ」と脅迫した。張さんの母親は、「私がどんな罪を犯したというのですか? なぜ私を連行するのですか?」と問い詰めた。その後、彼らは西安市雁塔公安分局の国内安全保衛部門(以下、国保)、礼泉県国保、叱乾派出所の警官であることが分かった。

 その後、雁塔公安分局は張さんに濡れ衣を着せ、雁塔区検察院に送検し、同検察院は張さんを雁塔区裁判所に起訴した。2022年5月30日、雁塔区裁判所は張さんに対してオンラインで裁判を行った。法廷で家族に雇われた弁護士が張さんの無実を主張した。裁判所は証拠不十分と判断し、張さんの案件を検察院に差し戻し、検察院も案件を雁塔公安分局に差し戻した。しかし、雁塔公安分局は新たな証拠を見つけられないが、張さんに迫害を加えようとした。

 2022年8月16日、雁塔区裁判所は張さんに対して2回目のオンライン裁判を行い、警察と検察は前に出した「証拠」を新しい証拠だと説明したが。弁護士に「これは新しい証拠とは言えません」と暴露した。裁判が早々に終わらせた。2022年11月22日、雁塔区裁判所は法律を無視し、張さんに4年6カ月の実刑を言い渡し、1万元の罰金を科した。

 今年30歳になった張さんは、礼泉県叱乾鎮峪北村に実家がある。1999年7月、中共が法輪功迫害を開始したとき、張さんは6歳だった。穏やかで幸せに暮らしていた張さんの家庭は、そのときから、壊れ始めた。村の人々はしばしば、老人2人は幼い3人の子供を世話する悲惨な光景を見ていた。

 張さんは自らの経歴を以下のように述べた。

 「私は幼い頃、母から法輪大法の書に書かれた誠実で善良な人になるよう、物事に他人のことを優先に考えるよう要求されました。私は常に自分が大法の修煉者であることを肝に銘じ、同級生との付き合いにおいても、社会で人と接触することおいても、『真・善・忍』に従い、善良な人間であり続けてきました。大法が私に人間のあるべき姿の道理を教えてくれたおかげで、先生や同級生たちから見ても私は善良な生徒であり、みんな私と一緒にいるのが好きで、私と話すのも好きでした」

 「1999年7月20日、江沢民が法輪功に対する残酷な迫害を開始し、全国のメディアを使って大法と大法師父を誹謗中傷し、大法の学習者を逮捕したり、嫌がらせをしたりし始めました。それ以来、私の家族は絶え間ない嫌がらせと脅迫を受けてきました」

 「2000年、私の母は礼泉県公安局の警官に不当連行され、西安女子労働教養所に1年6カ月拘禁されました。この間、70代になる祖父母は、農作業をしながら、私たち3人兄弟の世話をし、教養所に拘禁された母の安否をも心配していました。祖父母に深刻な精神的苦痛を与えました」

 「2002年のある日、私たちが学校から帰ったとき、祖母が『お母さんが帰ってきたよ』と言ったので、私たち3人は急いで部屋に入りました。洗濯をしている母を見て、誰も母に近寄らず、声をかけることもできなかったのです。その後、母の足に大きな黒いあざがいくつもできたのを見た私は、どうしたのかと母に尋ねましたが、母は教えてくれなかったのです。後で知ったのですが、教養所で警官に殴られた跡だそうです。その後、私はインターネットで、法輪功学習者が教養所や留置場で、殴打され、電気ショックを与えられ、強制的な灌食などの迫害を受け、中には生きたまま臓器を摘出された人さえいたと知りました」

 「2007年のある日、帰宅したばかりの私は、数人の人が母を捕らえようとしているのが見たとき、叔母に『急いで出て行きなさい』と言われたので、無力の妹と弟の私たち3人は、家の前の果樹園に逃げ込むしかなかったのです。再び家に戻ると、母はすでに連れ去られていました。このことは、80代だった祖父に大きなダメージを与え、母の帰宅後数日で亡くなりました」

 「2008年のある夜、家には13歳の弟と私しかいなかったのですが、突然、ドアをノックする音がしたのでドアを開けると、何人かの人たちが入ってきて、「お母さんはどこ?」と聞いてきて、知りませんと答えました。彼らの1人が残って、私と弟を監視し、他の人たちは車で叔父の家に向かいました。10時頃、彼らが戻ってきたので、私は急いで車の中を見に行くと、運転していた男が「お母さんは車にいないよ」と笑えながら、言いました。彼らは、自分たちのジョークが私たち子供にとってどれほど傷に負わせるのを考えていません! 彼らの一挙一動が、私たち家族に傷つけることになるとは考えないのです!」

 現在、張さんさんは、信念を堅持しているために、当局に迫害を加えている。張さんは刑務所で「転向」をしないとの理由で、家族との面会も許されていない。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/31/464773.html)
 
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