河北省深州市の張新茶さんが受けた感電の拷問
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 【明慧日本2023年10月3日】河北省深州市の法輪功学習者・張新茶さん(69歳女性)は当局の裁判所により、不当に懲役3年9カ月と罰金2万元の判決を言い渡された。現在、張さんは省内の石家荘市女子刑務所に拘禁されている。

 張さんは、深州市于科鎮東杏元村に在住。2020年夏、当時、67歳だった張さんは郷・鎮にある派出所へ行き、警官に法輪功は心身に良い気功修煉であることを知ってもらいたいと思い、法輪功の資料を渡した。しかし、派出所の警官により市の公安局に報告された。張さんは連行されたが、健康上の問題で「保釈」となり帰宅した。

 1年数カ月後の2021年12月13日午前、張さんは自宅から深州市公安局の国内安全保衛部門の警官によって市公安局に連行された。その日、警官は張さんを衡水留置場に送り込んだという。

 中国共産党当局は1999年7.20、法輪功迫害を開始した。それから、「真・善・忍」への信念を堅持している多くの法輪功学習者が当局から残酷な迫害を加えられた。張さんもその1人で迫害から免れられなかった。

 以下、張さんが自ら述べた迫害事実である。

 2001年10月のある日、私は貿易城の店で靴を売る仕事の最中、ある人から突然、「公安局の数人があなたの家を家宅捜索しているので、早くここから離れた方がいい」と告げられました。そのとき、40人の警官が手錠を持って街中で私を探していると聞かされました。その後、私は衡水市の洗脳班に1カ月以上入れられました。

 2002年9月14日頃、公安局の賈双万、楊暁丢、張元相の3人が突然私の家に来て、「尹書記はあなたに話がある」と言った後、夫に「すぐに帰らせる」と言いました。しかし、彼らは私を遠く離れた場所に連れて行きました。後でそこは死刑囚を拷問する場所だと知りました。私はそこで拷問を受けました。彼らは私の手に水をかけて、手を電線を繋ぎ、電話機を動かして電気を流しました。私はその苦痛で汗で髪の毛がびしょ濡れになりました。しかし、その時、部屋の明かりがチカチカと点いたり消えたりし、怖くなった彼らは私を別の部屋に移し、感電の拷問を続けました。昼の11時から夜中の1時まで10時間以上私を拷問しました。その後、私は保定市徐水公安局に送られ、数チームの警官に交代で尋問され、明け方に徐水留置場に送られました。1カ月後、深州公安局の警官は私を再び深州留置場に連れて行き、拘禁しました。その1カ月後、私は洗脳班に送られ、洗脳されました。1カ月余り後にようやく釈放されて家に帰ることができました。

 2004年10月のある日、夜中に私を連行しようと、警官らが家に押し入りました。様子がおかしいと思った私は、家の屋上から逃げました。後で知ったのですが、彼らは衡水610弁公室、衡水公安局、深州公安局の警官でした。私を連行できなかった警官らは、夫を連れ去り、12歳の子供だけを家に残しました。子供は両親のいない家で泣いていました。翌日、親戚が公安局の警官に食事をおごってから、夫が釈放されました。私は、放浪生活を余儀なくされました。夫は何十キロも離れたところで働いているため、昼に帰れず、家にいる子供は1人で登下校しました。子供は人を見上げる勇気もなかったのです。「母親が法輪功を学んでいる」と知っている子がいるため、うちの子供をいじめたりしました。子供は次第に学校に行かなくなりました。子供は中退し、一生悔いを残しました。うちの両親も私のことを心配し、いつも恐怖を感じ、精神的なストレスに苦しみました。兄弟も心配と不安がありました。私が家にいない間、子供は精神的な重圧に苦しみ、よく泣いて、何度も感電や首つり、薬を飲んで死のうとしたそうです。

 私は親戚の家を借りましたが、公安局の警官はそれを知って、親戚を連行し、衡水市で拘留しました。親戚は2万元を恐喝され、数カ月間監禁された後、釈放されました。

 オリンピックの数日前(2008年)、法輪功を学んでいるとの理由で、于科鎮派出所が私の戸籍を勝手に町外に移しました。その後、家族が知り合いに頼んで、やっと私の戸籍を義実家の派出所に移してもらうことができました。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/9/10/465167.html)
 
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