【明慧日本2023年10月13日】雲南省紅河州建水県の法輪功学習者・繆秀瓊さん(75歳女性)は、2021年12月に突然、行方が分からなくなった。今年7月26日、明慧ネットは繆さんの行方が分からなくなっているという記事を掲載した。繆さんはすでに懲役4年の判決を言い渡され、現在、雲南省第二女子刑務所第9監区に拘禁されていることが分かった。
繆さんは2016年3月、建水県裁判所に懲役4年6カ月の判決を下された。2020年1月中旬に刑務所から出たばかりだが、再び連行され、冤罪を着せられた。
以下、繆さんが受けた迫害事実の一部である。
繆さんは1948年2月5日生まれ、イ族(中国の少数民族の一つ)で、小学校しか通えなかった。雲南省紅河ハニ族・イ族自治州建水県の臨安鎮陳官小寨村に住んでいる。家族全員が農業に従事しているが、夫の李保義さんが半身不随になり、身の回りのことができなくなったため、繆さんは一家の大黒柱になった。
1999年7月、繆さんは法輪功を学び始め、あまり字が読めないが、余暇を利用して法輪功の書籍を読み、功法を練習し、短期間で法輪功の書籍をすらすら読めるようになった。不眠症、リウマチなどの病気も治り、心身ともに健康になった。半身不随の夫は、妻が法輪功を修煉してからの効果を目の当たりにして、李洪志先生の広州での講法ビデオを見たり、『轉法輪』やその他の法輪功に関する本を読んだりして、功法を学んでいないのに奇跡が起こった。夫は立ち上がり、歩けるようになり、農作業ができるようになり、普通に生活ができ、元気を取り戻した。それから、繆さんの家は再び活気を取り戻した。
しかし、1999年7.20、中国共産党が法輪功への迫害を開始した。それ以来、繆さんは法輪功を学び続け、人々に法輪功の素晴らしさを伝え、「三退」を勧めた。そのため、何度も中共当局の人から連行、家宅捜索、派出所や留置場、麻薬更生施設、労働教養所、刑務所などに拘禁されるなどの迫害を加えられた。
明慧ネットの報道によると、繆さんは連行され、建水県にある陳官民兵基地の洗脳班に拘禁されたことがある。
2005年1月12日、繆さんは陳官派出所に行き、警官たちに法輪功の素晴らしさを話し、押収された私財と法輪功の書籍を返すよう求めた。しかし、その場で警官に拘束され、陳官派出所に拘禁され、1週間後、3年の労働教養処分を下され、雲南省昆明市の大板橋女子労働教養所に送り込まれた。教養所で繆さんは法輪功を辞めることを拒否したため、奴隷労働を科され、独房に6カ月間も入れられた。2007年1月に解放され帰宅した。
2009年6月末のある日、繆さんは、法輪功を学んで経験した法輪功の素晴らしさと、受けた迫害について書き、それを小寨村委員会と陳官派出所に送った。すると、県と臨安鎮の610弁公室、県の国内安全保衛部門、陳官派出所の警官と小寨村委員会の人員が、繆さんの家に押し入り、家宅捜索し、法輪功の書籍を押収した。そのとき、繆さんは畑で農作業をしていた。翌日、繆さんは陳官派出所へ行って押収されたものを返すよう要求したが、警官は上の指示を仰がなければならないと言った。その3日目、繆さんは夫の李保義さんと一緒に再度、法輪功の書籍を返してもらうために派出所に行ったが、警官はすでに本をすでに上の機関に渡したと言った。4日目、繆さんは再々度派出所に行くと、警官に連行され、建水県の薬物更生施設に送られ、15日間拘留された。
麻薬更生施設から出た後、繆さんは外出しないようにと警官に監視された。親戚を訪ねようとしたとき、警官に阻止された。連行から免れるために、繆さんは2009年8月下旬の夜に家から離れ、放浪生活を余儀なくされた。しかしその後、警官が毎日、繆さんの家に行き、嫌がらせした。そのため、2009年10月中旬、夫は多大な圧力を受けた末、66歳の若さでこの世を去った。
2015~2016年、繆さんは人々に法輪功の真実を伝え、「三退」を勧め、法輪功の資料を配布したため、数度も警官に連行、家宅捜索、脅迫などの迫害を加えられた。
2016年3月15日、繆さんは再び警官に連行され、紅河州蒙自県の草バー留置場に拘禁された。
2016年12月15日、建水県裁判所は繆さんに懲役4年6カ月の実刑と1万3000元の罰金を言い渡した。2017年1月、繆さんは雲南省の第二女子刑務所に収容され、第九監区と第七監区に拘禁され、精神的にも肉体的にも迫害を受けた。
2020年1月中旬、繆さんは帰宅した。
2021年12月のある日、繆さんはいつものように、建水県で民衆に法輪功について話していたが、帰らず、1年あまり行方が分からなくなっていたという。