太極拳の祖師・張三豊
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文/古雲龍

 【明慧日本2023年10月20日】歴史上、何代もの皇帝に探し求められ、封号を授けられた人はおそらく張三豊ただ一人でしょう。明朝の約200年にわたり、明朝のほとんどの皇帝が彼を探し求めました。明の第6代、第8代皇帝・英宗、第9代皇帝・成化帝、そして、第12代皇帝・嘉靖帝は張三豊に称号を授けました(道家は「真」を修めることを重んじたため、これらの封号に「真」の文字が含まれています)。明の時代、皇帝から一般市民まで、道教を広く尊重していましたが、これは張三豊の巨大な影響と切り離せません。

张三丰修道处

張三豊が道を修めた場所

张三丰画像

張三豊の肖像画

 武当山

 張三豊は、宋、元、明の三代の王朝をまたいで活躍した道士であり、武当派の開祖でした。

 『明史・張三豊伝』には次のように記載されています。「張三豊は遼東の懿州(いしゅう)の出身で、名前は全一、別名は君宝で、三豊と号されました」。彼は身なりに無頓着で、また「張邋遢(ラタ)」とも呼ばれました(中国語で「邋遢(ラタ)」はだらしないという意味)。背丈は高く、「亀のような形に鶴のような背中、大きな耳と丸い目、そして槍のような髭がありました」。彼は寒暑の間も一枚の道袍と一枚の蓑衣しか着ませんでした...。彼は目に映ったことを忘れず、世間をさすらい、ある人が、彼は一日千里を進むことができると言いました。彼はかつて武当山の奇岩と深い谷を訪れ、人々に「この山は将来、大いに栄えるだろう」と言ったと伝えられました。

 張三豊の名声が広まると、明の初代皇帝・朱元璋は何度か彼を訪ねましたが、いずれも成功しませんでした。元璋の息子である朱棣も、早くから張三豊の名声を聞いていましたが、彼に会う機会はありませんでした。朱棣は即位した後も、何度か使者を派遣して探させましたが、成功しませんでした。その後、朱棣は命令を下し、侍読学士の胡広に彼を捜し出すよう指示し、感情豊かな手紙を持たせました。

 張三豊は朱棣からの手紙を受け取り、一編の詩を書いて弟子の孫碧雲に手渡し、朱棣に伝えました。

 皇帝は九五の尊位(最高の位)にあり、国土を統治していますが、彼らの最大の願望は何でしょうか? それは「長寿」です。この手紙で、張三豊は第3代皇帝・永楽帝に長寿の秘訣を示しました。「心を清らかに保ち、欲望を抑えること」が重要であると説明しました。永楽帝は修煉者の教えを得たことに非常に満足しました。

 永楽十年、朱棣は軍民と職人を30万人以上動員し、10年以上の歳月をかけて武当山に8つの宮殿、2つの寺院、36の庵堂、72の岩寺などの巨大な建設プロジェクトを完成させました。このプロジェクトには数百万の費用がかかりました。建設が終了すると、この山に「太和太岳山」と名付け、官吏を派遣して印章を鋳造し、管理させました。これは、かつての張三豊の預言とまさに一致しています。

 道教の普及

 張三豊は多くの著作を執筆し、『大道論』、『玄機直講』、『玄要篇』など、後代の修道者によって高く評価されました。しかし、彼の最も傑出した作品は「無根樹」の丹詞とされています。

 「あらゆる木は根を持って初めて生長し、木が根を持たなければ長く生きることはできません。人生には生老病死があり、数多くの心配と悩み、百年の歳月は瞬く間に過ぎ去り、それはまるで根のない木のようです」。張三豊は「無根樹」と題されたこの丹詞を24編作成し、人生が名誉や富貴に執着し、まるで荒波にさらされる小船のように、常に危険にさらされていることを指摘し、世の中の人々に名誉と利益から離れ、自らをおさめる修煉を早く始めるよう勧めています。

 千年にわたり、道家の理論は深遠で、文章は難解で、広く社会で受け入れられませんでした。そこで張三豊は、歌詞の形式とわかりやすい言葉を用いて、深遠な修道理論を広く受け入れられる歌詞「無根樹」に残し、後世の修行者に大きな影響を与えました。

 太極拳 ― 失われた心身の修養法

 張三豊が創設した太極拳は、性命双修を重視する功法で、内面の修養を重視します。動作は、落ち着いてリラックスし、精神的な集中力が高く、剛柔が両立し、静けさから動きを制御します。これにより、戦闘にも適しており、長寿にも寄与するとされています。

 現在、世界中で多くの人が太極拳を学んでおり、国際的な太極拳の競技や大規模な太極拳の団体パフォーマンスが頻繁に行われ、太極拳をテーマにした映画やテレビドラマも多く制作されています。太極拳はますます注目を浴びていますが、当初の張三豊の真の教えから遠ざかり、太極操に変化してしまい、実戦にも長寿にも効果が低下しています。近代の太極拳の「名家」たちの平均寿命が約70歳に留まることが示されています。

 修煉について言及する際、多くの人々は煉功(動作を行うこと)だけを考えがちですが、これは非常に偏った理解です。体操の実践は重要ですが、それは副次的なものであり、本質は心性の修煉にあります。道家はしばしば「清净無為」と言いますが、これは実際には心性の修煉を指しています。修煉者は道徳を高め、心性を向上することによってのみ、進歩することができます。考えてみれば、名誉と利益を追求し、競争心が強い「名家」たちは、本当に静けさを見つけることができるでしょうか? これらの良くない心が彼らを妨げ、エネルギーを消耗するため、どのようにして修煉を長続きさせることができるでしょうか? 一部の人々は、最も基本的な要求である「心を清らかに保ち、欲望を抑えること」さえ実践できないのに、どうやって修煉するのでしょうか? いかにして長寿を迎えることができるでしょうか?

 一部分の人は名誉や利益の追求の影響を受け、時流に迎合したり、独自のアプローチを取ったりして、太極拳の動作を勝手に変え、人を欺くことをしています。真の伝承の功法には深遠な秘密が含まれており、自由に変更することはできません。たとえ少しでも変更した場合、それは元のものではなくなります。このような勝手な行為は人々に害を及ぼすことがありますが、それを理解する人はほんのわずかです。

 正統な太極拳はすでに伝承が途絶え、本当に修煉したい者が失望しています。

 幸いなことに現代、シンプル効果的な修煉法が伝えだされています。その優れた修煉法である法輪大法法輪功とも呼ばれる)はその高い効果により、全世界で1億人が学んでいます。真の修煉を志す方々には、著書『轉法輪』を読んでみると、きっと収穫があるでしょう。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/5/308407.html)
 
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