【明慧日本2023年10月22日】(山東省=明慧記者)山東省臨沂市蒙陰県の法輪功学習者・孫玉嬌さんは、2021年6月10日に自宅で警官により不当に連行された。その後、懲役7年の実刑判決を宣告され、山東省女子刑務所に拘禁されてすでに1年以上が経った。
孫玉嬌さん |
孫玉嬌さんの両親はともに中国共産党(以下、中共)によって迫害され死亡した。特に父親の孫丕進さんは、連行された翌日に死亡し、遺体の胸部がへこんでおり、右の目を失っていた。これは計画的な臓器摘出事件であり、国際社会からは深刻な疑問の声が上がっている。中共の迫害により家庭が崩壊した孫玉嬌さんに注目するよう望んでいる。
孫玉嬌さんの両親である孫丕進さんと于在花さんは蒙陰県蒙陰鎮東儒来村の出身で、さまざまな病気に苦しみ、娘も体が弱かったため、家族3人とも「薬かご」と呼ばれていた。家は貧しく生活が苦しいため、于在花さんは常に不愉快で、夫の家族との関係も良好ではなかった。法輪功を学んだ後、家族3人のすべての病気が治った。夫婦は「真・善・忍」の基準を守り、大きく変わった。于在花さんはこれまでの性格も良くなり、義理の両親への孝行に努め、家族は笑顔に包まれた。
1999年7月20日、江沢民集団が法輪功を迫害して以来、孫丕進さんと于在花さんは中共によって何度も連行、拘禁され、拷問を受け死亡した。
孫丕進さんと于在花さんが受けた迫害事実
明慧ネットの報道によると、1999年12月3日、于在花さんは法輪功の無実を訴えるため北京に赴いたが、途中で臨沂市警官に連行され、1カ月間不当に拘禁された。期間中、蒙陰鎮政法委(治安・司法などを統括する機関)の書記らは于在花さんの自宅を荒らし、冷凍庫、テレビ、洗剤まであらゆる貴重品を押収した。
春の繁忙期だった2000年2月22日、蒙陰鎮政府が洗脳班を開設し、孫丕進さんと于在花さんを毎日洗脳班に通わせた。2000年4月20日、夫婦はまた茶小屋に閉じ込められ、灼熱の太陽に晒され、コンクリートの床に座らされ、地面に手をついて90度にかがむ姿勢を強制されたり長時間立たされたりして、殴られた。最もひどい暴行を受けたのは孫丕進さんで、2人に頭を踏みつけられ、激しく殴られた。
2000年7月2日、于在花さんは蒙陰県政法委と610弁公室の人員らに連行され、洗脳班に送られた。そこで殴られて、于在花さんの鼻、口、耳から出血し、顔は腫れ上がった。腫れが引くまでに半月かかった。
2000年9月23日、于在花さんは自宅で警官に連行され、自白を強いられたときに、鎖骨を蹴られて骨折した。9日後、蒙陰県610弁公室に移送され、19日間拘束された。
2001年1月6日、于在花さんは再度北京に行き、天安門広場に「法輪大法は素晴らしい」と書かれた横断幕を掲げた。すぐに警官に連行され、蒙陰県留置所で28日間拘束された。
2001年3月中旬、于在花さんは再び連行され、山東省第一女子労働教養所に送られた。体調不良のため、13日後に帰宅した。
2003年2月10日、自宅を離れて県外にいた孫丕進さんは、法輪功の資料を所持していることを発見されたため、直ちに連行された。蒙陰県留置所で激しく殴打された後、懲役5年の実刑判決を言い渡され、濰坊刑務所に拘禁された。
2004年2月初旬、資料拠点が警察によって破壊されたため、于在花さんを含む数人の学習者は連行され、蒙陰県留置所に拘束された。その間、于在花さんはゴム製の警棒で殴られ、ふくらはぎの筋肉が萎縮してしまったため、解放され帰宅した。
孫丕進さんと于在花さんは迫害により死亡
2004年5月25日、蒙陰県裁判所と610弁公室の関係者らが于在花さんを済南労働教養所に連行しようとし、于在花さんは家を離れざるを得なかった。于在花さんは11年間転々と放浪生活を送っていた。長期にわたる逃避、困難な生活環境、親戚の人達のことを心配して、全身の浮腫に悩まされ、2015年8月19日に亡くなった。47歳であった。
2021年6月10日頃、娘の孫玉嬌さんは自宅で警官に連行された。
2021年6月18日午後6時、蒙陰県国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)および城郊派出所の警官らが、孫丕進さんが働いている工場に侵入し、勤務中の孫丕進さんを連行した。翌日の午前9時、家族は突然、孫丕進さんが亡くなったという知らせを受け取った。中共の関係者は、孫丕進さんがPCR検査に協力せず、ビルから飛び降りて死亡したと主張した。
その日の午後2時30分、遺体を確認した時、孫丕進さんの兄が孫丕進さんの顔についた血を拭うと、孫丕進さんの眼球が欠け、顔の半分が潰れ、胸がへこんでいることが分かった。
娘の孫玉嬌さんに関しては、2022年3月頃に懲役7年の実刑判決を宣告され、今なお山東省女子刑務所に拘禁されている。