不当に4年6カ月の判決を受けた史可欽さん 刑務所に拘禁される
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 【明慧日本2023年10月26日】河北省秦皇島市の法輪功学習者・史可欽さん(男性)は、今年9月19日に河北省冀東第四刑務所に送り込まれた。史さんは2022年5月17日、秦皇島市北戴河駅派出所の警官に連行されたが、その後、「保釈」で解放された。今年5月中旬、同市撫寧区裁判所は史さんに懲役4年6カ月、罰金1万元の不当判決を言い渡した。

 秦皇島市の新興小区に住む史さんは、法輪功を学んでから、「真・善・忍」を基準に自分を律っし、心身ともに恩恵を受けた。2022年5月17日の朝、史さんと妻は友人の家を訪ね、着いて間もなく、北戴河駅派出所の警官が天津鉄道公安処の警官がその友人宅にやってきた。警官たちは友人の家に押し入り、史さんの個人情報を聞いた。その後、史さんと妻は友人宅を後にしたが、友人宅の小区の出口のところで、警備員に呼び止められ、住所と電話番号を聞かれた。

 その日の朝、新興小区の警官・陳騰が史さんの家に来て、部屋を見回った。午後3時過ぎ、陳は北戴河駅派出所の警官数人を連れて来てまた、史さんの家に来てドアをノックした。警官証、職務カード、捜索令状、召喚状などの書類を見せなかったため、史さんは警官らを家に入れなかった。しかし、警官は鍵屋を呼んで無理やり鍵を開けようとした。史さんは仕方なくドアを開けた。

 警官は史さんの家に入ると、家宅捜索をし始め、史さんが20年以上大事にしていた法輪功の書籍や法輪功師父の写真、パソコン、プリンターなどの私物を押収し、史さん夫婦を派出所に連行した。警官1人は「これらの本はお前に判決を下すための証拠だ」と史さんを脅した。もう1人の警官は「お前のせいでお前の後代にも影響を与える」と脅迫した。夜になって、警官は史さんに供述書を作ると言いながら、「後で取った捜索令状を見せる」と言った(実際、史さんにずっと見せていない)。その夜、史さん夫婦は2人の警官の監視の下、会議室に拘留された。

 2022年5月18日午後、北戴河駅派出所の警官・郭一民は、史さんを拘束すると言った。 中共ウイルスのため、史さんは公安病院に21日間強制隔離された。その21日間の高圧的な迫害の後、元々健康だった史さんは血圧が高く、血圧の上と下の差がかなり大きくなった。秦皇島第三病院でも結核の伝染期間だと診断され、史さんは留置場への入所を拒否された。その後、6月9日に「保釈」で史さんは帰宅した。

 2022年11月15日、史さんは濡れ衣を着せられ、秦皇島市北戴河区の検察庁に書類送検された。今年1月5日、史さんの案件は北戴河区から撫寧区に移送された。

 今年4月19日、史さんは撫寧区裁判所に「法輪功の本の所有と、『明慧週刊』を作ったこと」の理由で、不正裁判をかけられた。

 法廷で、史さんはいわゆる「証拠」が合法的な私財だと主張すると、公訴人は、「多数の法輪功の書籍はすべて廃棄した」と言った。法輪功の本を「証拠」として、史さんに対する裁判を開いたが、裁判が始まる前にそのいわゆる「証拠」を破棄することは、刑事訴訟法と矛盾している。刑事訴訟法第9章第60条によると、偽造証拠、証拠隠蔽、証拠隠滅は、法律的に追及を受けるべきだと書かれている。そうすると、撫寧区検察庁と裁判所は、法律に違反したことになるのだ。

 5月18日、史さんは撫寧区裁判所から電話を受け、19日午前8時に裁判所に行くように言われた。19日の朝、史さんは裁判所に到着し、懲役4年6カ月、罰金1万元の判決を受けたことを知った。その場から史さんは警官から身体検査を受けるために秦皇島市第三病院に連れて行かれた。検査後、史さんは帰宅した。

 5月22日、北戴河駅派出所の警官2人は史さんを秦皇島市立第三病院に連れて行き、検査の結果を見た。史さんの結核は、もはや伝染性ではなくなっていた。その後、史さんは公安病院に連れて行かれ、身体検査を受けた後、直接北戴河駅派出所に拘束された。その後、史さんは秦皇島第一留置場に移送された。

 9月19日、史さんは河北省冀東第四刑務所に送られたという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/10/16/467165.html)
 
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