張晶さんは4年あまり強制灌食で生命を維持
■ 印刷版
 

 【明慧日本2023年10月26日】福建省福州市の法輪功学習者・張晶さん(男性49)は、法輪功の真実を伝えたため、2018年4月に地元の警官に連行された。その後、当局の裁判所に懲役5年6カ月の不当判決を言い渡され、刑務所に収容された張さんは、残酷な洗脳を行われ、「転向」をさせられた。 2019年6月から現在まで、張さんは強制的に経鼻胃管で灌食され、生命を維持してきた。その間、何度も生命の危機に陥った。来月3日、刑期を満了するため、老いた両親は早くも麺と卵を用意し、「平和麺」と名付け、息子が家に帰るのを待っている。

 張さんは福建省福州市在住で、真・善・忍の信仰を堅持していたため、2003年に当局の裁判所に懲役4年の判決を下された。2018年4月、張さんは法輪功への迫害の真実を伝えたとして城門派出所の警官に連行され、2019年に倉山区の裁判所に懲役5年6カ月の判決を言い渡され、福清刑務所に送り込まれた。 

 刑務所で張さんは信仰の放棄を拒否したため、2019年6月、「攻堅隊」に入れられ、強制「転向」をさせられた。そこで張さんは長時間しゃがんだままの姿勢を強要され、足が太くなりむくんだが、自分の信念を堅持し続け、「三書」を書かず、断食して迫害に抗議した。

 2019年9月、張さんの母親は、刑務所病院で息子に会った。瘦せすぎていたため、目の前の息子が分からなかったという。断食した張さんの体重は70キロから40キロにまで激減し、その姿を目にした母親は大泣きした。9月末、両親は福清刑務所の所長に手紙を送り、「なぜ、息子を『攻堅隊』に入れたのですか? なぜ、こんなに痩せてしまっているのに、まだ『攻堅隊』に拘禁されているのですか?」と所長に問い詰めた。

 2019年11月7日、福清刑務所側は張さんの両親に電話をかけ、病院へ行って張さんと会ってほしいと言い、張さんが弁護士との面会を切実に要求しているため、弁護士を依頼してほしいと伝えた。当日の午後、張さんの家族が病院に駆けつけた。張さんはすでに寝たきりになって、言葉がかすかにしか聞こえなかった。母親は息子に触れた時、息子の体には骨しか残っていないと感じ、この上ない悲しみで号泣してしまった。

 翌日の11月8日、張さんの弁護士はほかの地方から刑務所に到着したが、面会は許可されなかった。刑務所側は今までの言い分を覆し、「上の指導者が同意しないから」と言った。その後、張さんは刑務所病院(福州建新病院)で、1年あまり強制灌食を受けた。

 2020年9月、張さんは再び福清刑務所に戻された。しかし、刑務所側がまた、張さんに強制「転向」を行ったため、張さんは断食して抗議した。10月初旬のある日、刑務所側は母親に電話をかけ、張さんの調子が良くないと言い、食事をするように説得してほしいと、電話を張さんに渡した。母親は断食の理由を尋ねたが、張さんは黙ったままだった。

 しかし、わずか数日後の10月10日の正午、刑務所側は再び母親に電話をかけ、張さんが命の危険にさらされていることを伝え、建新病院に運ぶ必要があると言った。病院は張さんの胃内にチューブを入れて灌食しようと準備したが、張さんは必死にもがいて応じないため、病院は無理やり麻酔をかけた。刑務所側が張さんの母親に病院へ行って、責任承諾書にサインをするよう要求した。

酷刑示意图:摧残性灌食

拷問のイメージ図:強制灌食

 電話を受けた母親は、息子の命が危ないのではないかと焦り、すぐにタクシーで病院に向かった。病院に着くと、警官と病院の関係者は面会させず、承諾書にサインするだけだと言った。刑務所と病院の関係者5〜6人が母親を取り囲み、サインを強要した。母親は悲しみ憤って「刑務所に収容されたときは、息子は健康でしたが、あなた達が迫害してこのようになったのです。あなた達が責任を取るべきで、家族に責任を取らせる理由がわかりません。私はサインをすることはできません」と言った。

 その後、張さんは強制的な「転向」に抗議するために断食を続け、ずっと福清刑務所病院に入れられ、経鼻栄養チューブで1日3食の食事を灌食された。2019年6月からの4年余りの間に、張さんは何度も命の危険にさらされた。それでも信仰を捨てず、並々ならぬ意志の強さと正しい信念を堅持してきた。

 5年6カ月の間、張さんの年老いた両親はしばしば食卓の空席を見ては涙を流し、大晦日の夜は眠れなくなった。今、父親は重い病気にかかり、外に出ることもできず、母親は80歳近くである。両親は息子の安否を心配しているという。

 (張さんは受けた迫害事実の詳細を明慧ネットにご参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/10/24/467443.html)
 
関連文章