大法に対する正しい信念 この一念が私の人生を変えた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年11月9日】私が35歳の時でした。突然、下半身から大量の出血が始まりました。当時はまだ若かったため、それほど深刻に受け止めていませんでした。しかし、毎回生理がくる度に出血がどんどん増え、成人用のおむつですら無理になり、体力も次第に弱っていきました。最もひどい時は、ほとんど歩けないほどでした。アパートのトイレは外にあり、壁に手をかけて無理をして、毎回公共トイレまで行きました。帰宅するとすぐに倒れ、気を取り戻すのに時間がかかりました。毎日食事の時、食欲がほとんどなく、顔はますます白くなり、血色もなくなっていきました。それでも、私は仕事を続け、夏休みまで我慢しました。

 夏休みが始まったばかりのある朝、私は腹部がまるで2本の刀で切り裂かれているかのように痛みました。その痛みで一歩も動けなくなりました。苦しみが極限になり、私は思わず声を上げて泣き出しました。夫は慌てて私を市の保健センターに送りました。各種の検査を受けた結果、最終的に子宮筋腫と診断されました。そしてヘモグロビンが4グラム未満で深刻な貧血だと言われました。そのため、医師は私にまず、輸血をしました。私の身体が少し回復したら手術を行うということでした。2パックの血液を輸血した後、私の手、腕、顔に何らかの理由で多くの疥癬ができ、見た目が非常に悪く、恐ろしいほどでした。看護師は点滴を行うたびに、その状態をみて、とても嫌がっていました。私自身もとても恥ずかしく思いました。

 数日後、手術室に運ばれ、すぐに内視鏡による手術が行われる予定でした。しかし、医師は私の子宮筋腫が既に完全に広がり、腹腔内のほぼすべての臓器に腫瘍ができていることを発見しました。医師によれば、大きいものは緑豆ほどの大きさで、小さいものは米粒のようだということでした。医師は手術を中断し、外に出て私の家族と相談しました。当時、突然この情報を耳にした私は、頭が空っぽになり、天が崩れたように感じました。手術室の外で、この情報を聞いた私の家族は一瞬にしてこんがらがってしまいました。私の実家の家族はみな私の夫に非難の矛先を向けました。最終的に腹腔内の子宮と卵管の全摘手術を行うことに決まりました。当時私は冷たい手術台に横たわっていました。見知らぬ医師と看護師を見つめていると、突然、大法と偉大な師父を思い出しました。私の夫は1995年に大法を学び始め、大学時代に私と出会った際、私に大法を紹介してくれました。しかし、その時の私は悟性があまりにも低く、大法に好感を抱いていたものの、本格的に修煉していませんでした。その瞬間、私は心の中で大きな決断を下しました。全摘手術は受けず、医師に最大の筋腫だけを取り除いてもらい、それから帰宅して、しっかり大法を修煉することでした。

 手術を受けた翌日、私はベッドから下りて、動き回りはじめました。数日後には退院しました。医師は私に、2か月間ほどで体力が回復したら全摘手術を受けるように忠告しました。医師に、ただ微笑んで私は家に帰りました。

 家に帰った後、夏休みの間、私は師父の40冊以上の経文を全て真剣に読みました。毎日歯を食いしばりながら、両足を組んで座禅しました。気づかぬうちに、身体の疥癬はすべてなくなり、そして生理も正常になりました。それから13年が過ぎましたが、私は元気で生活しています。しかし、私の周りにいた、私とほぼ同じ病気を患っていた同修の家族の一人は、病院で全摘手術や複数回の化学療法を受けた後、3年も生きられず、亡くなりました。このことは非常に心が痛み、惜しいことです。

 振り返ってみると、私が経験した生死の魔難において、私は何もしませんでした。ただ、大法に対する正しい信念、この一念こそが、私の人生を変えてくれました。大法が私の身に現した神の奇跡により、共産党がどんな手法を使おうとも、法輪大法は素晴らしいということを私の心から消すことはできないのです。

 13年が経過しました。過去を振り返ってみると、昨日のことのようで、他の人に大法について語る際、この出来事を話すと、それが13年前の過去のことであるにもかかわらず、涙が止まらず、感動します。

 これまでの修煉の中で、私の身に起きた大法の奇跡は非常に多く、一つ一つ語り尽くすつもりはありません。大法が私に授けてくれたものを、手元のペンで宇宙の全ての生命と世の人々に伝わるよう望んでいます。さらに多くの人々が大法を修煉して、素晴らしく善良な生命になることを願っています。

 (編集責任者:洪揚)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/1/467465.html)
 
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