指輪
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年11月10日】1996年から20年以上、毎年2月9日に夫から指輪をもらっています。これらの指輪は、夫と家族の温かい愛情であると同時に、師父に対する家族からの深い感謝の気持ちでもあり、法輪大法の素晴らしさの証でもあるのです!

 夫と私は同じ故郷で、幼馴染みです。夫は大学を卒業後、都会で働くことになりました。私も夫を追って都会に行き、結婚して、かわいい息子を授かりました。夫は事業も成功し、私たちは幸せな生活を送っていました。

 一、癌を患い 絶望的になる

 私は1996年、40歳のとき胃が頻繫に痛みました。そのため、正月前に夫に連れられて病院で院長による胃カメラ検査を受けました。その結果を見た院長は、私の年齢を尋ねてから、私をそのまま入院させ、私は3日目に手術を受けました。当時、周りの人は私の病気を知っていて、私に知られないようにしていましたが、私に「胃潰瘍」だと教えてくれました。同じ病室で私の向かい側の病床の患者が胃癌だと知っていましたが「なぜ、私と同じ薬を使っているのか、同じ薬を飲んでいるの?」と思いました。夫は数日間私に付き添い、疲れ果てて弟を呼んできて私の看病をさせました。弟が寝ている間に、私は看護師室に誰もいないときに入って、自分のカルテを見つけました。カルテにははっきり「胃癌」と書かれていました。それで、癌は死の宣告だとわかっているので、私は「家に帰りたい」と泣き叫びました。いろいろな人が慰めに来てくれました。院長は当直の看護師を処分すると言い出しました。看護師に影響するのが嫌なので「私は帰りません。治療をするから、看護師を処分しないでください。今度のことは看護師とは関係ありません。看護師が部屋にいなかったときに、私が勝手にカルテを見たのです」と言いました。それから、1カ月ほど入院して、私は退院しました。

 二、法輪大法と出会う

 家に帰ってコミュニティに行くと、近所のおばさんに会いました。彼女は「どうしてそんなに痩せているの?」と驚きました。私は「胃癌になったから」と答えました。彼女は「病院では治らなかったでしょう? 法輪功の師父だけがあなたの病気を治してくださいます」と言いました。以前、おばさんはよく法輪功(法輪大法とも呼ばれる)のことをすごく素晴らしいと、話してくれていました。私はすぐに「学びたい」言いました。

 翌朝、夫に車椅子を押してもらい、煉功点を探しましたが、見つからなかったのです。 数日後、そのおばさんが家に来て、私が「煉功点が見つからない」と言うと、おばさんは「たぶん、煉功点の時間が違うからでしょう」言い、また「大法の本が欲しいですか?」と聞かれたので、私は、欲しいと答えました。直ぐにおばさんが大法の本を持ってきてくれました。その本を数ページ読んだところで、小さな渦巻きのようなものが私の体で回転しているのが見え、青もあり、赤もあり、くるくると回転しながら、ドアから出て遠くへ、遠くへと、どんどん小さくなって、小さな星のように消えていきました。私は「これは何だろう?」と不思議に思いました。数日後、家に来たおばさんに、私がそのことを話しました。おばさんは「それは法輪だよ」と教えてくれました。大法の本を読んだ最初の日に、師父は私に法輪を見せてくださったのです。おばさんは師父の写真と法輪図を持ってきて、私に見せ「あなたは大法と縁があり、師父があなたの体を調整してくださいました」と言いました。私はとても嬉しくて、おばさんに「大法のものが全部欲しい」と言いました。その後、おばさんが師父の説法の録音テープを持ってきてくれました。 

 ある日突然、特に寒気がして40度以上の熱が出ました。私は怖くもなく、薬も飲まなかったのですが、翌日、喉に違和感があったので、思い切り咳き込み、しまいには腐った肉のような塊を吐き出しました。おばさんに見せると、おばさんは「いいことだよ。師父があなたの体を浄化してくださったのですよ」と励ましてくれました。吐き出した後、体調が良くなり、熱もなくなり、気力も精気も湧いてきました。退院して3カ月後、私は会社に出勤しました。

 三、九死に一生を得る

 当時、私は悟性が悪く、今思えば、本当に師父にご心配をおかけしました。師父は私を救ってくださったのですが、私は悟らず、毎月、病院で化学療法を受けていました。その頃、3日病院に行かないと、医者や看護師は私の顔を見て「生きていたの?」と心配顔で聞いてきます。

 その結果、2年間の化学療法の後、私は寝たきりになり、脚、膝、足の指など、すべて腫れてしまい、とても痛くてよく泣きました。夫が北京の腫瘍専門家を家に呼んで診てもらったところ「骨に転移している」と言われました。検査すると、足も臀部も真っ黒でした。専門家は「骨がもろくなっているから動かないでください」と言いました。実際、私は動きたくても動けず、膝がいつも曲がった状態でした。家族は、私の体中に、骨髄や血液にがん細胞があることを知っていました。私の命は数日か、数時間単位でカウントされていました。夫は「後悔がないように、できる限りの治療をしてやる。結果的に治らなかったら、仕方がない」と言いました。

 化学療法の点滴の薬はかなり毒性があり、医者と看護師たちはみんな、触れないように手袋をし、注意深く行いました。医者と看護師が「死んだ馬を生きている馬として治療する」(むだなことだと知りながら最後の努力を)と小さい声で話していましたが、私には全部聞こえていました。

 化学療法を受けられる薬の量には限度があり、長期間続けることはできません。やがて私は上限に達し、これ以上化学療法を受けることができなくなりました。私はベッドに横たわり、時々40度以上の熱を出しました。夫は仕事に行き、息子は学校に行き、家にいる私は時々師父の説法を聞いていましたが、不思議なことに、説法を聞くと、下痢になり、便はすべて黒い汁のようなものでした。夫も「あなたは変だね。法輪功の師父の説法を聞くと黒い便が出るなんて」と言いました。これは師父が私を見守ってくださっていることなのに、私は悟性が本当に悪かったのです。師父の保護がなければ、このような毒性のある大量の薬の注射を受けると、きっと耐えられません。その後、熱は段々と下がりましたが、足はまだ曲がった状態で動かすことができませんでした。私はベッドから車椅子へ、少しずつ足を移動しました。私の家は窓の外が大通りで、毎日窓際で車椅子に座って、歩いている人を見ていると、とてもうらやましく感じました。

 2年以上も足の麻痺が続いていました。ある朝、夫が餃子を作ってくれると言ったので、私は立ち上がって歩こうと思った途端、自分の足がまっすぐになっているのに気づき、びっくりしました。「足がまっすぐになった。もう歩ける!」と叫びました。それから、夫が松葉杖を買ってきてくれたので、家で歩く練習をし、1週間後には1人で階段を降りられるようになりました。医者は、私の足が2年間麻痺していたので、筋肉が萎縮しているに違いないと言いましたが、私の足は大丈夫でした。私は歩けるようになり、食べられるようになり、すっかり良くなりました!

 私と私の家族を救ってくださったのは、慈悲で偉大な師父だとわかっています。私は家族に「私はもう薬を飲む必要はない。私が生きるか死ぬかは師父に任せます。私は最後まで大法を修煉することを決めました。もうあなたたちの言うことを聞かない」と言いました。3カ月に1クール(3カ月 もしくは 13週間の期間)の治療で、大量の薬を飲み、その毒性も強かったのです。私は数千元もした薬を全部捨てました。江沢民グループが法輪功を迫害していた時期でしたが、私たち家族は誰も中国共産党の嘘を信じませんでした。

 それ以来、私は法を学び、功をよく煉り、一層精進し、衆生を救うという使命を果たそうと思いました。

 四、師父が私を救ってくださいましたので、私は全ての人を救います

 私のことを「大金をかけて治療したから助かったのだ」と言う人もいますが、私は彼らに「有名な芸能人や高官、大金持ちはみんな、もっと金を持っていて、外国に行って、最先端の医療を受けているのに、なぜ死んでしまうのでしょうか? 法輪大法は佛法であり、佛法だけが人々を救うことができます」と話しました。

 私の故郷は農村ですが、私は縁のある親戚や村人のことを救いたいと思い、帰省するたびに何千部もの法輪大法の資料を持って、夜に親戚がいる村や周辺を回って配布することにしています。私はとても元気で、風を切って歩いていても、体は軽いのです。

 医者から、長くても3年しか生きられないと言われた私は、3年が過ぎても死なずに生きています。私の命の起死回生に感謝するため、師父の慈悲と救いに感謝するため、夫は毎年、その気持ちを表す指輪を買ってくれます。

 師父、ありがとうございます! 助けてくれた同修、ありがとうございます。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/10/31/466842.html)
 
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