中国法会|法に則って修煉することが私の唯一の道(一)
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2023年11月10日】私は青年大法弟子で、34歳です。私は9歳の頃から両親と一緒に法輪大法を修煉しています。師父のご加護のもと、私たちの家族は中共の法輪功に対する迫害の風雨の中で今日まで歩んできました。

 私は大法修煉者の家庭で育ち、家庭は睦まじく、両親は私に対して至るところに気配りをしてくれました。私たちは修煉においてお互いに注意喚起し、母は絶えず私を促したりして、私が大法から逸れないように心配してくれました。父方の祖父、祖母や、母方の祖母も私に対して愛情深く、私はまるで温室で育った花のようでした。迫害されている二十数年の間、私たちの生活は非常に困難でしたが、一度も苦しいと感じたことはなく、むしろ苦しみを喜びとして過ごしています。

 しかし、突然の出来事で、私は自分の修煉の道を新たに考え直すこととなりました。2019年から2021年までの3年間、私を愛してくれた祖父、母方の祖母、そして私にとって人生で最も重要な同修である母が次々と亡くなってしまいました(病業による)。私にとっては、まるで天が崩れ落ちたようで、私は死んだ方がましだとすら感じました。甚だしきに至っては時間に執着し、法が正されることが早く終わり、この苦しみを早く終わらせたいと願ったときもありました。

 その時、ある同修が父と私を訪ねてきました。同修が私に「人生は楽しいと思いますか?」と尋ねたので、私は何も考えずに「いいえ、楽しくありません」と答えました。同修は「それは間違いではないですか? 考えてみてください。あなたの人生の本当の意義は何ですか?」と微笑んで言いました。

 その通りです! 私の人生の本当の意義は何ですか? それは人間の幸せな生活を追求することでしょうか? 家族がもたらしてくれる幸せを楽しむためでしょうか? いいえ、全てが違います。私の人生の唯一の目的は修煉す​​ることです。 私が人間界に来た目的は、師が法を正すことを手伝い、自分の世界の衆生を救い済度する使命を果たすためであり、彼らこそが私の本当の親戚であり、私の圓満成就と帰りを心待ちにしているのです。私は、法に則って修煉するこの道しかないことを知っています。

 一、母親を思い続ける情の関を乗り越える

 私は幼い頃から母に細やかな気遣いを受け、心理的に母に頼り切っていました。喜びの出来事も、悲しいことも、どんなことでも母と共有していました。そのため、母が亡くなったことで、私は一日中泣いていました。私は、情に囚われて抜け出すことができないことを知っています。

 ある同修が私を家に連れて行き、毎日一緒に法を学ぶようになりました。その間、私はたまたま休暇中だったので、毎日少なくとも3講『轉法輪』と各地での説法を学びました。その頃、私は少し辛くなくなり、笑顔が戻ってきました。多く法を勉強することで、いくつかの情の物質と思想業を取り除くことができました。

 その時、私は夢を見ました。私は学校の中で、担任の先生が私の勉強を監督するために両親を呼び出しました。私は父が学校に来たのを見て、「お母さんは来たの?」と父に尋ねました。父は「お母さんが来たよ、お母さんは教職員室にいる。もうお母さんを探さないで、常人の幸せな生活を追求しないでくれ」と言いました。その後、私は目を覚ましました。目が覚めた後、「私が人間の舞台に来て、父母と家族を形成したのは、私に法を学び、修煉させる目的であった。母が教師の事務室にいるということは、母が師父のところにいることを示している」と悟りました。

 師父はこのように説かれました。「先に去ってしまった人は、私が圓満成就にしてあげましたが、実はあるところで待っています。必ず私に迎えられるのです。私に迎えられない者は認められません。ですから、彼らも最後の終わりを待っています。もちろん、そこで待っている者には苦がなく、全てがはっきりと分かり、皆神の状態です。ただ位に戻るだけのことです」『二〇〇三年元宵節での説法』

 私はもう母に執着すべきではないということが分かりました。夢の中で、師父は私の父の口を通じて、常人の幸せな生活に執着しないようにと悟らせて下さいました。

 私はもう情の関を乗り越えたと思っていましたが、それから間もなく、私は車で父のところに行きました。途中で、以前母と帰宅していた時のことを思い出し、涙が止まりませんでした。家に着くと、生前よく来ていた同修たちがたくさん座っていて、私は再び抑えきれず、涙が溢れてきました。同修たちを心配させないようにするために、私は自分の感情を抑え続けました。しかし、抑えようとすればするほど、涙を止めることができませんでした。

 私は「修煉の意義を理解しているはずなのに、なぜ涙を抑えることができないのだろう?」と、不思議に思いました。「それは帰宅途中で、私はずっと母と過ごした美しい瞬間を思い出し、人間の情に動かされたからだ」と悟りました。それによって、私は旧勢力に隙に乗じられ、旧勢力が私の思考をコントロールし、感情を制御できないようにさせたのです。旧勢力は本当にどこにでも侵入できるものです。「修煉中、私が師父の法に従っていない場合、私は師父が安排して下さった道を歩んでおらず、必然的に旧勢力が安排した道を歩むことになるのだ」と悟りました。私は今後、常に自分の考えが法に則っているか、真の自分が自分を支配しているかを明確にする必要があります。

 その夜、私はまた夢を見ました。夢の中で私はとても難しい数学の問題を解き、長い方程式を列挙したところ、その解法は答えと全く同じでした。しかし、私がやった数学の問題だけは計算されず、その計算方法だけが列挙されていました。目が覚めた後、自分の悟りが正しいことを師父は励まして下さっているのであり、まだそれを実践していないことだけだと分かりました。

 翌日、私は同修と一緒に彼女の菜園に行きました。菜園に来て、ここは母が生前一番好きだった場所だ、と再び思いました。この考えが頭に浮かぶとすぐに、私はそれをつかみました。これは私ではありません。旧勢力が再び私を邪魔しに来て、私に感情的な要素を押し付けました。私はそれに騙されず、それを排除し、それを滅しました。すぐに効き目があり、私はそれに動かされませんでした。

 このように、私は一つの念、一つの念を掴んで滅しました。 徐々に、私は母への思い憧れる気持ちに包まれなくなりました。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/5/467814.html)
 
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