【明慧日本2023年11月12日】(前文より続く)
四、真の慈悲心は限りない強力なエネルギーを生み出す
ある日、妻が法輪功とは何かについて伝えている時、私服警官に知らない派出所まで連行されました。私は担当警官からの連絡を受け派出所に行きました。見た状況は10年前と同じく、妻は既に2日間絶食し、かごの中に閉じ込められ地面に横たわり動かず、息をするのも大変な状態でした。私は即座に釈放するように求めましたが、担当警官は「私たちは権限を持っていません。この問題は支局が決めます。彼女には前科があるので、今回はおそらく拘留されるでしょう」と言いました。
電話を受け取った時、私は「この機会を最大限に活かし、派出所で真実を話して人を救わなければならない。慈悲心と善念を持ち、自分を被害者と見ないように心がけなければならず、過度な自己防衛の心を捨て、無私無我の正念を持ち、率直に真実を伝えます。どんな状況でも相手の否定的な要素に触れず、彼らの中にある善の部分を見つけ出し、それを加持します」という強大な一念を発すると、恐怖心が消え、緊張が跡形もなく消えました。
派出所に入ると、担当の警官が私に法輪功を修煉しているかどうか尋ねました。私はできるだけゆっくりと話すように心がけ、真摯な態度で「もしも真・善・忍と詐欺、賭博、麻薬の中から選ぶように言われたら、あなたはどれを選びますか?」と尋ねると、隣の警官が「じゃあ、君は法輪功を修煉しているんだな!」と言い、その場にいた警官たちは笑いました。私は「言わなくてもわかるでしょう? 派出所の警官は20年以上にわたり、たくさんの学習者と接触してきので、彼らが良い人間かどうか、あなたたちがよく知っているはずです。私が言うまでもなく、その通りでしょう?」と言いました。
私は彼らに良い事を行うように勧め、できるだけ早く妻を解放する方法を考えるように促しました。私は「妻を解放すれば私たち家族はあなたたちに感謝し、あなたたちも功徳を積むことになり、その善行は子孫にも利益をもたらします。そうしなければ、誰にとっても良いことではありません」と言いました。担当警官は私の言葉に反論せず、非常に困った表情で「支局が見張っているんだ、軽く処理できれば重い処分はしないだろう」と言いました。私は「あなたは善良な人だと分かります」と言い、彼に没収したパンフレットや小冊子をよく読むように、そこに書かれていることが本当に理にかなっているかどうか確認するように勧め、この弾圧は、高潔で善良な人々を対象としており、あまりにも荒唐無稽で、天の理から言っても人間の理から言っても、法に違反していると伝えました。
大勢の警官の前で私がそう言うと、担当警官は鋭い質問を投げかけました。「家では親孝行をする、職場では黙々と働き、社会では仁徳に報いて損をしても耐え忍ぶ、私は、それは素晴らしいことだと思う。しかし、君たちは共産党に反対しているだろう?」と言い、顔色を変え声を強めて「ここは共産党の支配下にあり、党に逆らうということを、党が容認すると思うか? 共産党は世界を管理しており、党に逆らうことは社会の秩序を乱しているのではないか? 社会の治安を乱しているのではないか? これに対して弾圧するのは当然ではないか? 君はどう思う?」と続けました。彼がこのような質問で私を脅そうとしていると考えましたが、考え直し、これは彼が理解していない問題であり、彼が迫害に加担し、自己満足する理由です。私は彼に対して善意で説明しなければならないと思いました。
私は自分の闘争心を取り除き、ただ笑顔で彼を見つめました。彼の顔から黒い気が消えるのを待ち、それがなくなると彼に「実際、あなた自身で考えてみれば、一つの事実が見えてきます、このことは問題として成立しないのです」と話しかけると、彼は私を見つめながら目を大きくして、部屋の他の人々も静かに聞いていました。私は「考えてみてください、この弾圧運動はどのように始まったのか? 法輪功を修煉するすべての人は善人であり、江沢民は『文化大革命』のように罪をなすりつけて、ありもしない罪名をかぶせて人を捕まえ、デマや中傷をもって法輪功を弾圧しています。『天安門焼身自殺』、『薬を飲ませない』、『死者1400人』といった嘘をでっち上げ、千古の冤罪を作り出しました。学習者は真実を伝えているだけで、これが党に逆らうと言えるのでしょうか?」
「学習者はただ潔白を求め、迫害を停止するよう求めているだけで、これは共産党に反しているとは言えません。 嘘の情報を信じた人や迫害に参加した人に自害しないように忠告することも、共産党に反しているとは言わない、そうでしょう? 自分が法輪功の恩恵を受けていることを他の人と分かち合い、他人も恩恵が受けられるように勧めることは、善の行いであり、他人のためであり、共産党に反することとは何の関係もありません」と続けました。
その警官は、「あなたたちは共産党を邪悪だと言っている、それは共産党に反しているのではないか?」と言いました。
私は言いました。「本当にそうではなく、なぜなのか? 共産党は歴史と現実の中で行ってきたこと、今日はこれを弾圧し、明日はあれを弾圧するなど、手を翻せば雲となり手を覆せば雨となり中国人を苦しめています。私たちの年齢の多くはそれを経験しています。大躍進、三年間の飢饉、文化大革命はすべて人災です。反右派、六四天安門学生虐殺、法輪功への迫害も事実です。どれだけの冤罪があるでしょうか? どれだけの家庭が災害に遭わされたでしょう? これはすべて事実なのです」
「例えば、この3年間の都市封鎖、そして突然の封鎖解除によってもたらしたパンデミック、人々は苦しめられ、財産は損なわれ、果たしてどれだけの人が亡くなったでしょうか? あなたたち警官は、私たちが知っている以上にその惨劇を知っているでしょう? それが邪悪であるかどうか、どう思いますか? 憲法は言論の自由を明確に保障しており、学習者は真実を語り、人々に善悪と是非を判断ができるように、かれらの政権には興味なく、ただ人々に意識から彼らを認識し、彼らから遠ざけるよう促しているだけです。あなたたちは冷静かつ公平に考えると、この道理ではありませんか?」と話し、彼に大法の師父の著書の『轉法輪』という本を心を落ち着かせてじっくり読むことを勧め、一度読めばどんな疑問も解決できると言いました。
ここまで話すと、私は突然、一種の慈悲のエネルギーに包まれているように感じました。「あなた方警察官は常に忙しくしており、一生懸命で、一人ひとりが非常に疲れ、イライラして不安そうに働いている様子で、残業をして、あっちに行ったり、こっちに行ったりしているのを見ていると、私たちはどのように感じていると思いますか? 私は本当に心を痛めています」というと、 彼は一瞬驚き、「いや、私たちを憎まなければそれでいい、心を痛めることはないでしょう?」と言いました。私は感動して言いました。「学習者は真・善・忍を修煉しており、憎しみがなく、共産党だけが闘争と憎しみを唱えています。誰もが知っているように、現代社会の矛盾は非常に鋭く複雑で、一般の人々はどれだけの怨みと怒りを抱えているか、そして最初にその標的となるのはあなた方警官なのです。あなた方も人間であり、家族、子供、年老いた親もいます。しかしあなた方は憎しみと恨みをまき散らす道具として使われ、憎しみの報復の対象にされ、何のためにやってるのでしょうか? それに、どれだけの人が冤罪で逮捕されいるのか、あなた方は心の内でよく知っています。あなた方は本当に人間味が失われているのでしょうか? 多くの警官が良心に反することを行い、どれほどつらい思いをしているのでしょう? 私はある資料から、多くの警官が不眠症、うつ病、精神疾患を患っており、毎年自殺する人も多いということを知っています。あなた方の苦悩を理解してくれる人いるでしょうか? 時折、あなた方を見ていて、あなた方の立場に立って考えてみると、本当に気の毒に思います」
ここまで話すと、彼の目に涙が浮かび、本当に感動していました。その時、私は自分のエネルギー場が非常に強力であることを強く感じました。派出所の中の邪悪な要素は次々と解体され、警官たちから発せられる黒い気が一瞬にして消え去りました。、この日、彼らは妻を拘置所に送るという決定を取り消し、保釈しました。
結びの言葉
師父はこのようにおっしゃいました。「実は慈悲は巨大なエネルギーであり、正神のエネルギーなのです。慈悲であればあるほどエネルギーが強く、どんな良くないものも解体されます。これは以前釈迦牟尼もほかの修煉者も話したことのないことです。善の最大の現れは慈悲であり、慈悲は巨大なエネルギーの現れで、すべての正しくないものを解体することができます」(『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」)
法理について師父は、私たちに早くから説いてくださっています。しかし実践の中で自分はその通りに行うのがとても難しく、なぜなら、向上は実修から生まれ、認識のレベルで、同修との交流、他者を励ます文章のレベルでは達成できないからです。真に達成するには、堅固な正念が必要で、恐怖心を取り除き、一歩踏み出す必要があります。一歩踏み出すには、伝えるべき真実について深く理解し、不確かな言動ではうまくいかないことを理解する必要があります。これらすべては法をよく学び、真に修めて自分の衆生に対する慈悲心が必要です。
慈悲深く偉大な師父が弟子に教え悟らせ、導いてくださったことに感謝します。大法弟子を迫害する警官に対処する過程で、私はようやく恨みや個人的な怒りに駆られた浅はかな人心を捨て、「あなたは私を迫害していますが、私はあなたを救います」という、大いなる善と大いなる忍が主導する自分の行動をもって、大法弟子があるべき大きな慈悲心をもって、努力して無私無我、他人が先自分は後という境地に向かって絶えず昇華します。
私にはまだ、きれいに取り除かれていない様々な人心が多くあることを知っています。さらに精進することが必要で、より早く向上し、師父の衆生救いによりよく手伝い、最後の時間に必ず時間を大切にして、さらに精進していきたいと思います。
以上の体得に不適切なところがあれば、慈悲の心で指摘してください。
師父に感謝します!
(完)