ある子ども弟子の修煉体験
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文/遼寧省の子ども弟子 非凡   

 【明慧2023年11月18日】私は遼寧省の小さな町で生まれ、11歳になりました。父の祖父母、両親、母の祖母は皆、大法を修煉しています。

 母の話によると、私が母の胎内にいた時、母は私に師父の説法と大法の歌を聴かせてくれました。生まれてからずっと師父の説法を聴き、座れるようになった頃、祖母は私に足を組むことを教えました。1歳にならないうちに、私は大人たちを真似て発正念煉功を覚えました。1歳のころ、祖母は私を自転車に乗せて、大法のことが書かれたステッカーを貼り、大法のパンフレットを配るために出かけていました。3歳にならないうちに、私はすでに多くの洪吟を暗唱できるようになりました。ある時、修煉者でない大叔母と一緒に外出し、大叔母が人に挨拶した時、私はその人に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と教えてあげると、その人は笑っていました。大叔母は機嫌を悪くして、「朱に交われば赤くなる」と言いました。

 私は毎日祖母と一緒に煉功し、学法チームにも定期的に通って、祖母に褒められていました。私がまだ3歳にならない時、祖母のもとを離れ、両親の住む所の幼稚園に通い始めました。私は両親と一緒に家で学法し、両親が仕事で忙しく、夜になって学法するのを忘れることがあったとき、「学法の時間ですよ」と言いました。私は幼稚園に入ったばかりですが、『轉法輪』を通読することができ、(両親と一緒に)一人一段落ずつ読みました。

 私は大法の「真・善・忍」の基準に則って、子どもとおもちゃの取り合いをしたことはなく、誰かに叩かれたり、物を奪われたりしても、言い争ったりしませんでした。私が4歳の時、5月1日に祖母の家に行きました。祖母の家には大きな部屋があり、その日は父の祖母、両親、母の祖母、曾祖母、年配の同修など大勢で煉功しました。私も大人と同じように1時間煉功しました。その日の煉功場が特に良かったのを覚えています。これほど多くの同修と一緒に煉功することは滅多になく、当時は30分しか坐禅できませんでした。

 私が4歳半の時、母が妹を出産して間もない頃、祖父母が母の仕事を手伝うため、叔父の実家から従弟を連れてきました。私は従弟より4カ月年上でした。従弟はとても気が強く、おもちゃで遊ぼうが、席に座ろうが、食器を選ぼうが、いつも良い方を率先して選んでいました。私はいつも従弟に譲り、口喧嘩をしませんでした。祖父母や母が傍観していれば、私のものをひったくるなと彼ばかりを怒っていました。私は常に大法の「真・善・忍」の基準に従って、他人に礼儀正しく接するよう自らに求めています。私は今年小学5年生ですが、クラスメートとけんかしたことは一度もありません。師父は「どこに行っても良い人になりなさい」とおっしゃいましたが、私の成績は良く、テストでは毎回90点くらいを取っています。

 家にいるとき、携帯電話やパソコンなどで悪いものを見たこともなく、携帯電話でゲームをしたり、ショートムービーなどを見たりしたこともありません。師父が法の中で、それらは良くないとおっしゃっているからです。私は5歳の時、母にピアノを買ってもらい、先生にピアノを習い始めました。時間があればピアノの練習をします。また、妹と一緒にゲームをしたり、絵を描いたりもして携帯パソコンをいじらなくても充実しています。夜には法を勉強し、時には父の大法の資料の整理を手伝います。1時間坐禅を組むこともできるようになりました。私は大法の法理に従い、人と争うことをしません。なぜなら、人間がこの世に存在する目的を知っていますから。私は大法弟子になれたことを喜び、師父に感謝しています。

 私が年を取るにつれて、社会という染物ガメに堕落してしまうことを恐れ、祖母は私にこの交流文章を書かせました。師父を助けて修煉においてもっと精進し、最後の修煉の道をしっかり正しく歩めるように自分を促します。不適切な点があればご指摘ください。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/15/468214.html)
 
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